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考えない日記:緑のジャケット 2022.10.24

 祖父を思い出した。朝、窓を開けて汚れてしまった座布団をはたいていると冬の香りがした。それは一年振りの香りで、例えば数日前に食べた早生の蜜柑の香りと同じ種類の感情を連れてくる。あるとき家族と帰省した祖父の家で「冬の匂いがするね」というと、彼はセーターの袖口からはみ出したシャツの袖を正しながら「苦手かね?」といった。「好きだよ」と答えると、「それなら良い香りといった方がいい。匂いは好ましくないものにつかうものだ。」といった。
 
「香り」は「匂い」よりも確かに繊細な雰囲気を持っている。食事の時に「いい匂いだね」とはいう。しかし、肉の焼ける匂いは良い香りというにはパンチが強い。どちらかといえば、肉それ自体が焼ける匂いよりもその肉に振りかけて香を移した酒が蒸発するときにたてるものの方に「香り」は住んでいる。人が悲しいながらも生きていくために殺生しなければならない肉や魚や植物が、消費されるために放つ気配。それは生命の受け渡しとして、香りという言葉では貧弱すぎる強い匂いと複雑な感情を身に纏っている。


 早生の蜜柑を剥くときに溢れるあの青みがかった香りは、幼子の成長のようにあっという間に消えてしまうあの香りは、この一年を生き延びたという大袈裟なものではないにしろ、好ましい出来事をもう一度体験するということが日々の奇跡の一部であるという事実をそっと伝えてくる。

 今朝方にみた夢の中で開催されていた屋外イベント。そのイベントの背景音楽として「蜜柑の音を鳴らして下さい」という仕事の依頼を受け、現場に向かっていた。途中で知人だという背の高い男に会い共に歩くが、一向に誰だか分からない。彼に上着を貸すことになりジャケットを脱いで渡すが、彼は道中で具合が悪くなりその上着を「後で返すから」といって道の隅に置いてきてしまう。ああ、これで無くなってしまうな、ここは日本ではないのだからと思いながら歩き続けると石造りの橋が現れる。二人で渡る。橋は両端が切りっぱなしの平らになっていて手摺などはない。「この誰にでも川へ落ちる余白を残している橋、好きだなぁ、さすがフランスだなぁ」などと言いながら川を渡る。

 会場へ着くとSさんという友人が迎えてくれて、いきものがかりだかMy Little Loverだかが来ているので紹介するといって向こうへ手を振る。だが、自分は彼らを知らないし誰を見て良いのか分からないのでまごまごしている。Sさんが「話していくか」と聞くのだけれど、「いや蜜柑の音の準備があるから」という口実で気まずいその場をそそくさと去った。配線だらけの舞台裏を歩きながらイベントが終わったらジャケットを探しにあの石橋をもう一度渡ってみようと考えていると目が覚めた。

fine  2022.10.24 lun

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