聞いてみた#20:  橋の記憶

姶良市山田地区に「山田橋」という橋があります。

昭和4年。およそ90年前に作られ、鉄筋コンクリート製としては鹿児島県内で最も古い橋ですが、解体されることが決まっています。

昭和初期のデザインが感じられる山田橋。

9月には、この橋を灯籠で飾り別れを惜しむというイベントも行われました。

この橋の歴史を学び、解体されたあとも地域のみなさんの記憶に残るように、との取り組みを進めてこられたのが、第一工業大学工学部専任講師の羽野暁さんです。

9月23日のRadio Burnにもご出演いただきました。

で、いよいよ解体が始まっていると羽野先生からお聞きしまして、「山田橋のその後」が気になって見に行ってみました。

欄干はすべて外されています。ちょっと寂しさもありますが・・・

この欄干、実はキレイに切り分けられて近くの広場で保管されています。

羽野先生によると、この橋の欄干などを再利用し、山田橋があった場所の両側に、公園のような形で整備して地域のみなさんの憩いの場所にしよう、という計画が予定されているのだそうです。

山田橋の象徴的なデザインが、この親柱。この部分は活かす予定なんだとか。

「第二の人生」の出番を待つ約90年前の欄干たち。

一区切りだけ、橋の下に置いたままになっている欄干の一部を見つけました。
よく見ると、穴が空けられています(赤矢印の部分)。

これはなんですか?と羽野先生にお聞きしてみました。

90年ほど前に作られたコンクリートであっても、新しく整備する設備の素材として活用するためには「現在の基準」を満たしている必要があるんだそうです。なので一部を写真のようにくり抜き、強度などを測るために持ち帰られたのこと。

かつてのコンクリートは丸い石を使っていたのに対し、現在は砕石を利用しているなど、そもそもの作りにも違いがあります。

羽野先生が見たところ、90年前の欄干のコンクリートは「とても綺麗」とのことでした。丁寧な造りがうかがえます。

「思い出の風景」が無くなっていくことは寂しいことですが、このような取り組みを通じて地域にその記憶が残っていくのはとても素晴らしいと思います。「昔はここに橋があってね・・・」とベンチに腰掛けながら語るような姿が見えるような気がしました。

引き続き追いかけていきたいと思います。

自分はこの地域で生まれ育ったわけではないですが、地元の馴染み深い橋がこうなったらどうだろうなあ、と想像してみました。

自分の地元、旧薩摩郡東郷町の象徴的な橋といえば赤い鉄橋の東郷橋。

写真右側は旧東郷町の中心地、左側に渡ると旧川内市でローカル線・宮之城線の楠元駅があった場所です(1987年に廃線)。その後市町村合併で同じ市になりましたが、もともとはこの橋を渡って隣の町へ、さらに鉄道で遠方の町と繋がる入り口だったことでしょう。

その意味において、橋というのは「こちら側」と「あちら側」を結ぶメディアでもあり、人々の生活を広げてくれる入り口でもあるのです。

東郷橋が出来た年代はこんど詳しく調べておこうと思いますが、自分が物心ついた頃からこの姿だったので少なくとも30年は経っています。

人口減少、税収減の流れを受け、全てのインフラを同様に維持してゆくことは困難になっていきますし、30年以上経った設備の老朽化はどんどん進んでいきます。何を残すか、は難しい選択を迫られる場面が確実に増えるはず。

設備をそのまま残すだけではなく、山田橋のような「記憶に残す」取り組みの事例が、今後もっと増えてくればいいなと思っています。

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