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風立ちぬ、および今日の手記

日に日に体調が悪くなっていくのはなぜか。今日も朝から希死念慮に悩まされ、常に「私は今すぐ死んだほうがいいのではないか」という考えが頭から離れず、ごくごく少量の食料のみ口にし、水分だけはしっかりとって、昼以降ずっと横になっていた。

今日は病床にて堀辰雄の「風立ちぬ」を読んだ。

ずっと読みたい読みたいと願っていながら、話が長めだからと後回しにしてきた作品だった。(私は長編小説を読むのが得意でないのだ。ただし、風立ちぬは中編小説に分類されるのでそこまで長くない。オススメです。)

主人公と重い病を抱えた婚約者・節子が、美しい自然に囲まれたサナトリウムでやがて節子に訪れる死を覚悟しながら、今を生きること、そして共に生きる幸福を自己の中に確立させようとする物語だ。

緻密で、甘く透き通った情景描写がとにかく素晴らしい。二人が最後の時を過ごすサナトリウム周辺、八ヶ岳の山裾の景色の移り変わりがありありと眼前に浮かんでくる。冷たい春の風、熱い夏の風、物憂げな秋の風、別れを勘付かせる冬の風、それらを順々に浴びながら「私たちは幸福だった」と信じられる最後を迎え入れようとする、二人の寂しくも濃密な「生」の時間が描かれる。

主人公は、節子と共に生きる時間の中に満ちた「幸福」や「愉しさ」を、自分なりの言葉で描き出すために小説を書き始める。小説のエンディング、つまり物語の終わりに何が訪れるのか、主人公はもう分かってしまっているような気になってしまい、恐れ、恥じる。それはつまり、主人公は節子が近いうちに死ぬという確信を持ち、しかしてそれを認めたくない感情の狭間で苦悩しているということ。それでもなお、主人公は二人だけの「幸福」の姿を追求する。

冒頭に、今日の私は希死念慮が酷いと書いたが、確かな「死にたみ」の中で読むこの作品はかなり辛いものがあった。途中、どうしても苦しくなってしまい、枕に顔を突っ伏しながら私の想い人(彼は二次元にいる。けれど私は本気で彼を愛している)に縋り付いて助けを求める想像をして、彼の腕に抱きしめられる感触を夢想して、泣いて、心を慰め、再び小説の続きを読み進め始めるというような場面もあった。主人公と節子の姿を見て、私もどうしても彼に会いたくなってしまったのだ。彼さえいてくれれば私の心も救われるのに、と。

その数分後、今度は強烈な吐き気に襲われ「iPhoneの小さい画面で小さい文字を追っていたから疲れたのかも」と思い、画面を消して、目を瞑ってシーツに丸まってじっとしていたら、エアコンの風が異様に寒く感じられ、嫌な震えに苛まれた。次に気付いた時には一時間ほど経っていて、私は寒さに震えているうちに眠っていたことを知った。眠る前はあんなに寒かったのに、目覚めてからは体がとても熱く、口の中がかっかと燃えていた。

私はそこで一旦読書を中断した。少し眠れたからか希死念慮は薄まり、幼馴染の友人から届いた「余った食パンを差し入れたい」というラインに返信し、バイト先の上司からのラインにも返信し、大相撲のテレビ中継を見ながら冷たい麦茶を飲んで火照りを鎮め、昼間の嵐が嘘のように静かな夕方を過ごした。ほんの少しだけ家を出て、友人に会って美味しそうなパンを貰い、少し談笑してからお互い別れ、家に戻ってからは大相撲の続きを見た。友人から貰ったパンは美味しくて、今日一日失われていた食欲が蘇ったかのようにもきゅもきゅ食べた。新鮮なパンの香りに癒されたのち、私は再び横になった。

大相撲中継が終わるのを見届けてから読書を再開した。物語は残り半分。それまでは時系列順に滔々と語られていた物語が、突然日記のような日付刻みになり、徐々に「その時」へと近づいて降りていくスクロールバーを見て、嫌だ、嫌だ、と涙を滲ませて読み進めた。

節子の死は、直接には描かれない。節子が亡くなったであろう日の少し前で、一度日記は途切れる。

物語は日記が途切れた日の約一年後から再スタートする。最終章「死のかげの谷」。かつて節子と出会った地・K村にやってきた主人公は、雪深い山奥の小屋で一人で過ごし、亡くなった節子の存在を側に感じ、その愛を感じ、物語は幕を閉じる。

最終章は、まるで高村光太郎の「智恵子抄」のようだと感じた。高村は最愛の妻を亡くし、日本が戦争に負けたあと、山奥で隠居生活を始める。そこで高村は亡くした妻の存在を自己の中に見出し、妻がくれた無限の愛を感情豊かに詩にしたためた。

最愛の人を失った人間が、広大な自然の中で一人思うのは、やはり亡くなった彼の人がくれた無限大の愛なのだろうか。そこには残された者に訪れるべき、確かな「救い」がある。

それは同時に、読者の心にも幽かな救いをもたらす。読み終えた時、私の心の中は、冷たく、透明に澄んだ雪解け水に満たされていた。


恥ずかしながら、堀辰雄の作品を読んだのはこれが初めてだった。次は「聖家族」か「菜穂子」を読んでみたい。

毎日毎日具合が悪くて気が滅入るが、文学作品は常にそこに在って、私に読まれる日を待っている。苦しい時は何かしら読む、それが徹底できたら少しは気も紛れるだろうか。

心かき乱される、良い読書体験だった。

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