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私は私の怒りに敏感でありたい。

今日はひどく体が重たい。頭も痛い。やる気も出ない。微熱が出ており、朝からイライラしている。

なんだか家の中の空気がひどく淀んでずっしりと重く感じられる。気温は高くないが、湿度が高いのだろう。息苦しい。

しかしエアコンをつけたり扇風機を回すと、今度は寒い。温度調節がうまく出来ない。湿度なんかもっとどうしようもできない。

なんだか肌がベタベタしているような感覚を味わいながら今日という日を過ごしている。



今朝は久しぶりに硬い大便が出てきた。本当に久しぶりだった。少し安心した。が、今また腹が痛くなっているので数十分後にはひどい状態に逆戻りしている可能性が高い。

具合は悪いが水分補給だけはしっかり行いたいものだ。



今日は荷物が届く可能性があるため、横になることはできても眠れない。荷物が来たら眠りたい。来るだろうか。なんだか時々外で風が荒れる音がしているが。

家から出ていないので外の状態も分からない。今日は雨なのか?



とりとめもないことばかり書いている。別段書かなくていいことまで書いている。


今日は朝に少し頭に血が昇ることがあって、ツイッターで怒りを撒き散らしてしまった。それからずっと具合が悪い。メンタルが弱すぎる。

好きなキャラ、私が強く共感しているキャラを、そのキャラに適当でない悪い言葉で雑に表現されたのが気に食わなかった。普通に腹が立った。

初めてフォロワーさんに対して「私の地雷を踏み抜いたな」と思った。

怒っている一方で、なんだか客観的な自分もいた。「そんなに怒らなくてもいいんじゃない?」みたいな、引いた目で見てる自分。

いつもそうだ。私は私の怒りに対して鈍感なのだ。それは怒りを客観視してしまうからに違いなかった。


怒りの感情は人間らしい感情だと思っている。私は私の怒りを自覚する度に感動するものだ。「ああ、私今怒ってるんだ!怒れる人間だったのだ!」と。

前述の通り客観視して「別に怒ることでもなくない?」みたいな冷めた目で見てくる自分がいるせいで、私は他人に対して怒りの感情を抱きにくい人間だ。

しかしそれは不健康なことだ。冷めた目で見て、大人ぶっているだけだ。

怒るべき時には怒らねばならない。


最近は少し怒れるようになってきた。表には出さないが。

自分は今怒っている、ということを自覚できるようになってきた。

これは健康的なことだと思う。


あとはこいつを品良く表に出せれば一歩前進できる気がする。

ただ怒り散らすのは品が無い。それは私の美学に反する。

品良く怒る、とはどうしたらいいのだろう、と思いつつ、

・大声を出さない(ただし大声が必要な時は遠慮なく出すべき)
・論理的に語る
・感情論では語らない

この辺りのツボを抑えていればまあまあ品良く見えるのではないかとも考えている。……ちょっと抽象的すぎるという点はおいといて。


突然水ぶっかけてくるようなやつ(例のポテサラじじいみたいなやつ)に対しては、逆に品の無いキレをかますべきだ。ああいう手合いのもんは大体「反撃してこなさそうなやつ」を狙って声をかけてくる。逆に言えば、そうやって油断してる相手には反撃すれば大体は怯んで逃げていく。

私はそういう手合いのものに滅多に絡まれないが(ポイントは常に周りを警戒しているような態度を取っておくことだ)、万が一に備えていつでも怒鳴れるように喉を温めておこう。



怒ると疲れるので怒りたくない、というのが本音ではあるが、それではいつまで経っても変わらない現実がある。

怒りの声をあげて現実が変わった例も少なくない。

私は今後も「怒った」と感じた時は怒っていきたい。


私だって人間なのだ。

ありがとうございます!生きる励みになります。