夢、動物、タモリさん

うつの薬を飲まなくなって2年が経った。

薬を飲まなくなっただけでうつの影は気を抜くとすぐそばに現れるが、どうにかこうにか病院のお世話にならずに暮らしている。

ちょっとストレスがかかったり無理をするだけで体調が悪くなるので、自分のキャパを超えた生活をしないように自分をコントロールする術を身につけている最中だ。

そうしてジタバタする中で最近ひとつ脱皮したような感覚があったのでここに書いておきたい。


夢や目標に縛られるということ

大体小学校に上がったぐらいの年齢から「将来何になりたい?」と聞かれる事が増える気がする。

自分の得意な事や好きな事を既に意識できている子は、自分の知っている数少ない職業の中からなりたいものを考え、大人に伝える。(中には職業じゃなくて人間以外の生物や物を答えたりするノビノビした子もいるが…。)

私はと言うと「漫画家になりたい」と小学校低学年ぐらいから思い始めた。絵を描くのも漫画を読むのも大好きだったので漫画家一択という感じだった。

将来の夢があると自分の未来が彩られた気持ちになったし、“夢がある自分“も好きだった。

学校で将来の夢は事あるごとに書かされた覚えがあるが、そう言う時に「よく分かんない」とか「まだ決まってない」と答えることはなんとなく居心地が悪い事のように思えた。

だから無理矢理捻り出していた子も中にはいたんだろうなと思う。

31歳になった今、私は何者にもなっていないし強いてラベルを付けるなら「虚弱体質の主婦」と言ったところである。家事して疲れて、パートに行ってはストレスで胃がやられている虚弱な主婦。

小学生の頃は、まさか自分が漫画家にならずに「虚弱体質の主婦」になっているとは夢にも思わなかった。もし未来から来た私にそう宣告されたらショックで泣くと思う。でも、これで良いのだと今は心から思っている。

夢や目標なんて叶わなくてもその人の存在価値には関係がないとやっと最近思えるようになったのだ。

家族がいて、ペットが可愛くて、三食ご飯が食べられる。それがとても嬉しい。

別に漫画家になれなくても死なないよ、なんて言ったら子供の私は怒るだろうが。


ふたつの価値観

唐突だが、私はお笑いが好きだ。

ネタ番組がテレビでやっていれば録画を欠かさないし、劇場へ通っていた事もある。コロナ禍の今はお笑い芸人のYouTubeチャンネルを観るのが楽しみのひとつだ。

私がお笑いを好きな理由はいくつかあって、単純に観て楽しいのがまず第一にあるが、芸人の仕事を選んで生きている人へのリスペクトの気持ちが大きい。

その道の大多数の人の収入が不安定で、自分のセンスや能力をさらけ出す必要があって、恥を恐れず表現しなくてはいけないと言うところに絵の道と通じるものがあると感じる。面白い面白くない、上手い下手、好き嫌い、鑑賞者の評価と常に隣り合わせだ。(まあ表現全般がそうだと言えるが)

面白いことが言えるということは知性の表れだし、めちゃくちゃ知性のないギャグだったとしてもそこに独自性やわけのわからないパワーがあると「すげー」となってしまう。要するに面白い人が好きなんです。

年末になると大きな賞レースのMー1グランプリが開催されるが、決勝の舞台への注目度もさることながらファイナリストたちのそこまでの道のりをクローズアップする動きも年々加熱している。優勝コンビがいかに下積みが長かったかとか、そういう苦労話も見所のひとつとなっている。

苦労話を使って視聴者を焚きつけるような演出が好きじゃないと言う人もいるが、私はと言うとめちゃくちゃ興味を持ってかじりつくように見てしまう。苦労した人は報われてほしいし、悩みに悩んだ人が突き抜けて輝く瞬間がとても尊いと思うからだ。

番組で流れている内容がその人の全てじゃない事は承知しているし誤解していたり美化している面もたくさんあるとは思うが、そうした苦労話がネタとは別のひとつのエンタメのジャンルになっていると思う。

ここで私の中で矛盾が生まれる。

「夢や目標なんてなくてもいいし、叶わなくても死なないよ」という気持ちと

「苦労して努力して夢叶えてる人すごい!!サクセスストーリーに拍手!!」という相反する気持ちだ。

どっちが正しいと言う事はなくてそれぞれふたつの価値観なのだが、私は前者の価値観でいた方がラクに生きられるし心の中で占める割合が今はかなり大きいけど、後者の価値観も素晴らしいと思うし心の中に存在している。ちなみに昔はその割合が逆だった。

Mー1にみられる「苦労→成功→社会的地位や富」の図式は資本主義の最たるものというか、競争社会の縮図のようだ。何度も言うが、否定をしているのではない。

そんな世界の中で異質な存在と言えるのが“タモリさん”だ。


タモリさん

言わずと知れた日本屈指の有名人で、お笑いBIG3と言われるレジェンド芸人の一人。芸能界では成功者の分類に間違いなく入る人だ。

私はタモリさんの芸や佇まいが昔から大好きなのだがタモリさんが過去に言ったという名言の数々がずっと腑に落ちていなかった。

「やる気のあるものは去れ」

「座右の銘は現状維持」

というものだ。漫画家になりたいとか立派な人間になりたいという気持ちに満ち溢れていた20代までの私は「あくまで天才の発言だよなあ。普通の人はやる気出さないと人並みにできないし向上心を持ってない凡人は手に負えないんスよ」と思っていた。

大天才のタモリさんはそれで良いかもしれないけど、私はそれじゃダメなんですよと。

厳しい芸の世界で勝ちつつも競争から距離を置いた場所にいる。他のお笑い芸人とは一線を画したスタイルのタモリさんに憧れつつも理解が追いついていない部分が多かった。

でも、ようやくその言葉の真意がわかったような気がしてきたのが近頃のことだ。

私はうつになってから、子供の頃の夢や希望なんてとっくに諦めたはずなのにそんな自分が許せなくて「今の自分はダメな自分」だと感じていた。うつが治って薬を飲まなくて良いという状態になっても同じだった。諦めてダメな自分を受け入れるしかないのだと。

長い時間をかけて刷り込まれた「夢を叶えましょう!」という考えはなかなか消せない。それが唯一の価値観だったしもう頑張れなくなってしまった自分はこの価値観のレールから弾き出されてしまった不良品のようだった。

でも、4年間病気でほぼ寝ていて、うつの薬をやめても考えが変わってないから苦しくて、何かもういい加減このままのやり方で生きるのしんどすぎるなと思った時にふと気がついた。

人間って動物なのだ。自分は動物じゃないような顔をして生きているけど、天気に感情や体調が左右されたり、ご飯を食べたり排泄したりしないと生きていけない。

動物の生きる目的とは何かと知って驚いた。「生き続けること」なのだそうだ。シンプルかつ重要すぎる目的だ。

それを私はずっと見ようとせずに、自分みたいなちっぽけな存在が勝手に設定した夢を“何を差し置いても達成しなければいけないものだ“と思い込んでいた。挙句、死にたくなった。生き続けることができないラインまで行きかけた。

漫画家になる夢も、Mー1で優勝するという目標も、生きるためのモチベーションになったり自分を楽しくしてくれるものならば持っていていい。生きてるだけなんてつまんないよ、それ以上の喜びが欲しいよって人の気持ちもよく分かる。でも、それに縛られて死にたくなるならさっさと捨てないといけない。

だから、夢や目標なんて別になくてもいい。現状維持、生命維持ができていれば動物としては花丸なのだ。今日の天気が良いとか悪いとか、ご飯が美味しいとか明日はあれが食べたいとか。体を動かして自分の快・不快を知って、動物みたいに暮らすのはとても平和でありがたいことだ。

うつになってから抱えていた「諦めてダメな自分を受け入れる」という考えは違うのかなと気づいた。自分が設定した夢を叶えられなくても全っ然ダメじゃないし、生き物としての価値は変わらない。生きているだけで日々目標は達成されている。


タモリさんは、余計な力はいらないんだよと言っているのかもしれない。多分だけど。




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