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記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
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14年経ち、餞別の言葉は「おめでとう」

この記事はシン・エヴァンゲリオン劇場版の感想である。
即ちネタバレがある記事だ。見たくないという人は気を付けて頂きたい。

記事一覧画面の抜粋文でネタバレをかましてしまうのも嫌なので、本編の感想の前にちょっと前置きの駄文を書こうと思う。

シン・エヴァが公開されて1週間足らずの3月13日。
そう。ついさっき見てきて、帰宅してこの記事を書いている次第である。
本当はもっと遅い時期に行こうと思っていたのだが、昨日ふと新劇場版の復習をしようとアマプラで序・破・Qを一気見してしまい。
Qなんか当時映画館で見たものの、全く意味が分からずマヌケな顔をして帰った。それ以来の視聴である。
やはり最初はわけがわからなかったが、ネットで見つけた解説記事を読んでようやく納得した。
そこで「これは即座にシン・エヴァを見なければ」となり、深夜3時に当日7時半からの回の予約をとったわけである。

エヴァンゲリオンはリアルタイム視聴していたわけではなく、17歳くらいの頃にアニメ版と旧劇場版を一気見したのが出会いだ。
現在31歳なので、14年間の付き合いというわけだ。奇しくも劇中の14年経過と重なる。記事のタイトルの14年とはそういう理由である。

そろそろネタバレありの本編の感想でもいこうか。




ネタバレあり本編感想

といっても考察好きの人みたいにめちゃくちゃすげえ文章は書けない。
見終わった直後は、よく分からない感情に支配された。言語化は不可能だ。
「感想を何か話せ」と言われても「あっ、あっ、あっ…」としか言えなかっただろう。

一つ確実に言えるのは、「きちんと終わって良かった」という事だ。
様々な感想を読んできて「陳腐」となじられていたりもするけれど。
実際に「あぁ、”普通に”終わってしまったな」とも思ったけれど。
陳腐だろうが普通だろうが、終わらせた事に意味があると私は考えている。

14年の経過

Qで劇中の14年が経過し、シンの序盤では、すっかり大人になったトウジやケンスケ、委員長が登場する。
トウジは委員長と結婚し、子供も生まれている。絵に描いたような幸せな家庭ってやつだ。
終盤ではレイとアスカが大人の姿になり、ラストシーンは大人になったマリとシンジで締めくくる。

かつての同級生が大人になり、子供も産まれてすっかり親の顔になってしまった…。うっかりFacebookを開いてしまった時の感覚に陥った。
現に私も初めてエヴァを見た17歳の頃から14年が経過し、31歳になっている。もう若者とは言いづらい年齢だ。子供はいないが結婚もした。

葛城ミサトという女

20代の頃も何度かエヴァを見直す機会があったが、見れば見るほど葛城ミサトという女の魅力に釘付けになった。
エヴァといえばよく「アスカかレイか?」という問いかけが発生するが、私はその2人より圧倒的に”葛城ミサト”を推したいのだ。
劇中では大人ポジションとして描かれる彼女だが、父親と上手くいかないシンジに自己を投影して深入りする不安定さ、愛情に飢える少女のような余裕の無さが垣間見えた。
大人なはずの彼女の不安定さが、妙に自分とマッチしたからこそ好きになったのかもしれない。
純粋にルックスが好きというのもあるが。あと三石さんの声。

そんな不安定な状態をひた隠し、時には強がりながらネルフでの激務をこなす彼女。
シンジの前では大人として振る舞う彼女。
そのかっこよさに痺れつつ「葛城ミサトはいい女」だと言い続けてきた。

そんな彼女もQ以降は一児の母となっている。
といっても夫は死に、息子とはもう二度と会わない決意をするという状態ではある。
だがQ以降の彼女は確実に大人になっていた。
これもまた感慨深いものがある。

シンエヴァ終盤のシンジをエヴァに乗せるとこで、ヴィレのメンバーと一悶着あるシーン。
彼女は身を挺してシンジを守った。エヴァに乗れと後押しした。
「あぁ、大人になっても葛城ミサトは葛城ミサトなんだな」
そう思うと同時に、少し泣いた。
シンで一番心を動かされたシーンはここだったように思う。

第3村について

ニア・サードインパクト(通称ニアサー)のわずかな生き残りは、第3村というコミュニティを形成している。
この村はとても昭和レトロな雰囲気で、なんならジブリに出てきそうな村だ。

この第3村だが、ニアサーの生き残りが作った集落なので、当然10年かそこらしか経っていない。
結界の中のわずかな領域で人々が協力し合って暮らしている。
トウジ曰く第3村として安定するまでは色々苦労もあったらしいが、少なくとも今現在はみんな平和で和気あいあいに暮らしているように見える。

なんか非現実的だな。

住む領域も狭く、食料も限られていて配給制だ。
そんな空間でみんなが和気あいあいと暮らす状況。まるで道徳の教科書のようだ。
この村では、醜い小競り合いなどは一切描かれていない。
完全に異質なアヤナミレイ(仮称)に対してですら、みんな親切に接してくれる。貴重な食糧もくれる。やさしい世界。

普通、数少ない領地で人々が暮らすとなると、争いはつきものである。
仮に争いがあったとして、それを乗り越えて第3村を形成したあとでも、小さないざこざは避けて通れないだろう。
だが劇中でそんな描写は一切ない。村人たちはどこまでも親切で、どこまでも前向きだ。みんな仲良しだし。

だからこそ非現実的に見えた。

誰かが「第3村は庵野が鬱病を患った時にジブリの風立ちぬの声優をやった時の投影だ」と書いていたが、それを読んで少し納得した。

マリ

シンを見終わった方ならお分かりだと思うが、シンジはマリと結ばれる。
「レイかアスカか」論争を差し置いて「なぜぽっと出たキャラのマリ?」と一瞬思ったが、ぽっと出たキャラのマリだからこそ新劇場版の完結に不可欠のピースといったところだろうか。
一部でマリが庵野秀明の妻、安野モヨコの投影だとも言われていて、それも少し納得した。

ちなみにマリの正体はゼーレの人間であり、かつてゲンドウやユイと共に冬月のゼミにいたという事が判明。
「ゲンドウくん」呼びから何となく察してはいたが。

親父との決別

結局ラスボスはゲンドウである(なんか人間やめてる)。
親子対決。初号機と13号機が対峙し、シンジがかつて過ごしてきた場所でやり合う。
さすがにミサトさんの部屋や学校の教室でバトってるのはシュールすぎて笑いそうになった。

やっぱり「おめでとう」と言いたい

先に述べた通り、この新劇場版はTV版や旧劇場版と比べて「普通だったな」と感じた。
思いの外普通に終わって怒ってる人もいるみたいだが、これは庵野秀明自身を取り巻く環境、心境の変化などもあったのだろう。
東日本大震災もあったし。

だからこそエヴァンゲリオンという作品をきちんと終わらせるには、もうこの終わり方しかなかったんだと思う。
何はともあれエヴァンゲリオンという作品は終わった。完結したのだ。

17歳という多感な時期にエヴァと出会えて良かったと思う。
自分が明確に大人になってしまったと自覚してから、エヴァの最終章で大人になったかつての愛すべき登場人物達を見守る。
「あぁ、時が経ってしまったんだな」と淋しいとも何とも言えないような感情に囚われたのだ。弔いだろうか。

不満点から何から色々書いたが、やはりきちんと完結した事に対しては素直に「おめでとう」と言いたい。
95年にTVアニメ版が公開されてから約25年。
庵野秀明は遂にエヴァンゲリオンという作品に決着をつけたのだ。

「さようなら、全てのエヴァンゲリオン」


余談だが、映画を見た帰りに漫画版風の谷のナウシカを全巻購入して帰ってきた。
庵野秀明に多大な影響を与えた作品である。
ジブリの映画版がお馴染みだが、漫画版は映画のその先のストーリーも描かれている。
自分でもよく分からないが、なぜか無性に読みたくなってしまったのだ。

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