消化不全

歌詞を書きたいと思えど、それが実現できない時がある。時間がなかったり、そもそもその議論に対して歌詞にするのに時間がかかるし、すぐには歌詞は書けないもんです。テーマは思いつくけど、そこからが長い戦いになる。最初からパッと思いついて、そこから広げていくほうが楽だ。

と、そんな話はおいておいて、結局何が言いたいかというと、こうして自分の中で「書こう書こう」と思って、書かずに捨てられた、或いは自分の中で忘れ去られた歌詞はいくつあって、それがどこに行ったのかはわからないということが言いたかった。

これは個人的にはすごく重い問題だと思う。自分は自分の中にある何らかの感覚的な価値観を歌詞や曲に変換するのだが、それができていないとなれば、自分の中で消化不全が起こっていると言えよう。今や何ら問題はなく、普通に生活できているが、あの刹那的な感覚を、自分の中で飲み込んで消化せずにどこかは消えてしまったものの価値という点では、自分の中で非常に大きいものがあるように思う。

何かを表現する人間にとって、そういう刹那的なものをも全て完璧に曲や歌詞にできるもんじゃないとは思っているけれど、そういう感覚って後々歌詞にしておけばよかったって思う。その時にはもうその体験や感覚は死んでいるので、もはや死人にクチナシである。自分の中の一瞬一瞬を、なるべく曲にしたい。そういった独りよがりなものだけでは務まらないのも事実だろうけれども。

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