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「やりたいことをやる」期と「やるべきことをやる」期

僕の人生は「やりたいことをやる」期と「やるべきことをやる」期が半年くらいで交互にやってくるのだけど、今は後者に入ってきている。

世の中は「やりたいことをやる」がトレンドである。「やりたいことをやりましょう。それを仕事にしましょう」というスタイルである。

たしかにそれはひとつの生き方としてありだろうし、実際にそれで成功することもあるだろう。「好き」の力はいつも自分が思っているよりも強いものだ。

しかし僕の場合、「やりたいことをやる」だけで人生を回していこうとすると苦しくなるという実感がある。たとえそれでうまくいっても、どこか人生を消費しているような気持ちになってしまうのだ。

そういう時、僕は「世界が自分に求めていることはなんだろうか?」ということを考える。(ここで言う「世界」とは世間のことではなく、歴史も含めたもっと大きな世界のことだ。)

そうすると、自分の使命のようなものがふと分かったりする。そしてしばらくはそれに従ってみる。そうするとまた人生に充足感が湧いてくる。

それは「やりたいことをやる」というよりも「やるべきことをやる」という感覚に近い。しかしそれは不自由を感じるものでもない。必然でも偶然でもない、何とも言えない世界を生きているような感覚である。

それはある種理想に近い生き方かもしれない。しかし難しいのは、その生き方をずっとやっていると、今度は自分が何をしたいのかが分からなくなって、やっぱり苦しくなるということだ。

究極的には「やりたいことをやる」と「やるべきことをやる」が両立するところがあるのだと思う。しかしそれは究極的にしか両立しないから、今日もまた右往左往しながら生きていくのである。

ちなみに、しばらく放置していたnoteを再開したのも、世界が「社会に対して投げ続けなさい」と言っていたからである。どうぞよしなに。

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