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面接で無敵になるために。もしくは評価に振り回されず、自分の人生を生きていくために。

「評価されたい」

人は重要な場面になると、そのように考えてしまう生き物である。

そして多くの人はそれを当然のこととして捉えている。なかには「もっと評価されるために行動しないと」と頑張ったり、「もっと評価されるように行動しなさい」と教育(?)してくる人もいる。

しかし、僕はこのような考え方を採用していない。なぜなら、このような考え方は自分を疲弊させ、結果として人間関係を壊し、そして自分の人生を生きられなくするからだ。

たとえ頑張って評価されたとしても、それを長く続けることはできない。自分が疲弊してしまい、やがて相手の期待に沿うことができなくなり、そして人間関係を壊してしまうことになる。(これは頑張った恋愛が長続きしないことと似ているかもしれませんね。)

反対に、頑張った結果評価されないと、自分を罰したり相手を恨んだりして、やはり自分が疲弊したり人間関係を壊したりしてしまう。(これもまた恋愛でよくあることかもしれませんね。)

さて、今日は僕にとって重要な面接があった。詳細は書かないが、うまくいけば人生が大きく変わるような面接だ。

朝目覚めると、そこには少し緊張している自分がいた。そして「評価されたい」「評価されるためには何をすればいいだろう」という思いがムクムクとやってきた。

僕はその思いをゴミ箱に捨てた。

そのかわりに「自分が何を望んでいるか」をノートに書きだして、あとは即興することに決めた。

自分の望みをノートに書き出しながら、僕はこれが演技への臨み方に近いと気づいた。演技のアプローチは様々あるが、最もポピュラーなのは「目的に向かって行動する」というものだ。

まともに書かれた脚本であれば、役は目的を持っている。ロミオはジュリエットと結ばれたいと思っているし、ジュリエットもまたロミオと結ばれたいと思っている。役を演じる時に最も大事なことは、その目的に向かって行動することである。(そしてその目的はなかなか達成されないから、ドラマになる。)

反対に、役の目的を忘れて「ここではこう反応しよう」「ここではこう反応しよう」という演技をすると、どこか嘘っぽい演技になってしまう。相手に応えているのではなく、準備されたものを出しているだけの演技になってしまう。

これは面接でも同じことだと思う。「こう聞かれたらこう答えよう」というシミュレーションをすることは悪いことではないが(むしろ良いことだとも思うが)、実際にシミュレーション通りの回答をすると、どこか嘘っぽい回答になってしまう。

もちろん、これは「投げやりにやる」ことでもない。自分の望みを忘れないことは大切なことだ。ロミオがジュリエットを愛していない、ジュリエットがロミオを愛していないロミジュリを誰が見たいだろうか?

しかし驚くべきことに、世の中の多くの人は「準備によってガチガチに固める」ことか「全てを投げやりにやる」ことしかできない。

なぜなら、「望みを持って、あとは即興する」ことは、思い通りにいかない状況へ足を踏み入れることになるからだ。自分が望みを持っているように、相手も望みを持っている。そしてその望みが完全に一致することはない。だからこのアプローチは、必ず思い通りにいかない状況へ直面することになる。

そしてそれを恐れる人たちは、準備を固めることで思い通りにいかない状況を避けたり、そもそもの「思い」を投げ捨てることで思い通りにいかない状況を避けたりする。しかしそこには本当らしさや喜びがない。もっと大きく言えば、自分の人生を生きることができない。

思い通りにいかないことへの恐れがなければ、人は自分の望みに向かってシンプルに進んでいくことができる。もちろん思い通りにはいかないが、そんな中でも前向きに進んでいくことができる。それはまるで物語の主人公のような生き方だ。

そしてこれは、評価に振り回されない生き方、ということでもある。

「無敵」という言葉がある。僕はこれを「誰にでも勝てる状態」ではなく文字通り「敵が無い状態」だと考えている。評価する/評価されるという世界は、勝ち負けの世界である。それに対してお互いに望みに向かっていく世界は、私とあなたの世界である。

社会にはまだまだ「評価される行動をすべし」という圧力がある。僕もいまだにそちらの世界に引き込まれそうになることもある。しかしそのたびに気づいては、私とあなたの世界を生きていきたいと思っている。

今日の面接が相手にとって評価されるものだったかは分からない。しかし、少なくとも僕はその過程を楽しむことができたし、発見もあったし、出会いに感謝している。そして人生は続いていく。

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