いわゆる「コロナ反対運動」はなぜ大衆に受け入れられないのか?
病後のリハビリも兼ねてたまには真面目に書いてみたいと思う。
ご存知のようにコロナ問題が起きてから二年以上経過したが、いわゆる「コロナ反対運動」(以後反コロ運動)はうまくいっているとは言い難い。はっきりいえば明らかに失敗しか結果として残っておらず、大衆はその主張にうんざりしている。私も自分なりにやれることをやってきて、アマゾン、読売、テレビ、ラジオから地下鉄広告の問題に至るまで、かなり妨害を受けたことは確かだが、それを差し引いても私が行っている社会運動や啓発運動もうまくいっているとはとても言えない状況である。
なぜなのかについては明確な理由がいくつかあり、それらを反コロ運動やっている人が理解しているとは言い難い。とにかく一番の理由は大衆へのマウント感と正義感の押し売りである。これはSNS内では特に顕著にみられるが、家庭や会社でも同様のことをよく耳にする。反コロ運動者はとにかく自分は目覚めた人、賢い人であり、コロナを恐れテレビを信用している人は洗脳された羊という扱いである。言いたいことはわかるが相手はそれで聞く耳を持つはずがない。
ネットで炎上させたり過激な発言をするのは一つの手法であり、私もよく使う手法だが、それはある程度社会のおかしさを理解した人に対して、理解を深める情報を流したり、逆にまったくの初心者に対して「揺さぶらせる」ために用いる手法である。この手法をとるときは成功の絶対の条件があって、発信者が自らの名前、仕事、地位など社会的立場を明確にしない限りうまくいかない。それ以外の人がどんなに裏の情報を流したとしても、大衆には揺さぶりどころか拒絶心のみが発生して終わりになる。
FBやツイッターで「真実が~」などとエラそうに謳い、それにいいねがついたとしてもほぼすべては同一意見を持つ人間のいいねにすぎず、その人たちの裏にある心は「僕たちが間違っているわけないよね」という思想にすぎない。それを見て大衆は宗教の押し付け+傷のなめあいだとしか評価せず、その思想を押し付けられることを拒もうとする。当たり前の話なのだが、ネット上とリアルの世界では話し方も態度も変えなくてはいけないのだが、反コロ運動のデモや街宣運動など、「君たち大衆は洗脳されているバカだ」を強力に振りまいているに過ぎない。そんな街宣運動を私はたくさん見た。
正義感の押し売りほど人間にとってウザいものはないわけだが、それ以外にも反コロ運動がうまくいかない理由はある。一つは反コロ運動というのは発信者を含めて、ポッと出の素人ばかりの集団ということである。ポッと出の素人の集団だからこそ上記のことをやらかすわけだが、そのような人々が集まっても組織化、集団化がいい意味でうまくいかない。組織化や集団化は悪い意味でとられることが多いが、社会運動はこれをいい意味で束ねていく行為でもある。これをポッと出はわからないため、自由の名のもとに自分の欲求が満たされることだけを集団の中で考え行動していくことになる。
これが内ゲバの基本構図である。リベラルで自由と権利だけを主張する人間たちこそが、社会運動を潰すという構図は、社会運動を長年やっている人ならだれでも知っている。なんでもトップダウンの固まった組織でと言いたいわけではないが、ネットやSNSの世界は姿の見えない人々の巣窟であり、その多くは仕事もろくにしていないリアルがない人々であり、そのような人々こそが過剰なリベラルや自由と権利の主張を繰り返し、共産主義的思想に陥ることは多い。それを大衆が観察するから「リアルのない社会不満層が陰謀論に走っているだけ」という解釈をされてしまうわけである。
もう一つ大衆が反コロ運動を絶対に信用しない理由がある。それが政治色にかかわる問題だ。昨今マイノリティ―筆頭であるはずの反コロ運動において、政治色に基づく内ゲバや対立が激化しているようだ。それはポッと出である素人集団が、ポッと出であるがゆえの売名行為や、自分の政治色を反コロ運動を利用して反映したいという下心が浮き出た結果でもある。大衆は右翼保守者も左翼共産者双方に対して、ポッと出活動家の政治色への誘導に心底うんざりしているのである。
私も市民が作る政治の会という政治団体と市民の党という政党を運営しているので、同じ穴のムジナではないかと言われるかもしれない。それは甘んじて受けるべき批判だが、私としては明確に違うという主張をしたい。この二団体はコロナ問題が始まるだいぶ前から設立した集団であり、コロナは途中で湧き出てきた問題にすぎない。大企業や業界団体スポンサーに準拠しない政治、コミュニティ作り、多数の地方議員の創出を意識して現在も動いているので、反コロ運動は数ある問題の一つに過ぎないと思う。その視点は反コロ運動に対する私の冷めた視点にもよく反映されているのではなかろうか。
昨今話題となり国政を目指している参政党さんも、近い思想はあるのではないかと思う。彼らもまた数年前から政党構想を立ち上げ、神谷氏を中心に支持母体を広げながら準備してきたと聞く。彼らは右翼保守的集団であり、私とは政治思想的には相容れないところもあるが、様々な意味で幾人かは友人であり、政治団体の初歩はクリアしていると思うし国政については応援したいと思う。今のところマイノリティ政党として当選の可能性があるのは参政党しかないかもしれない。
残念ながら他の様々な政治組織は「政治ごっこ」といわれてもしょうがないかもしれない。マイノリティでしかない反コロ運動において、自らの政治信条を強く押し出すだけの人々が増え、何の下準備も支持母体も組織もなく政党を名乗り、政治思想が食い違う集団に攻撃を仕掛ける。特にこれは全国的には左翼共産型、リベラルタイプの政治マニアによく見られる傾向であり、いわゆるプロ市民と言われるものたちの行動である。このプロ市民と陰謀論者、Qアノン信者、地球平面説論者、大麻信者、SDGS信者、のク●たちが複雑に絡み合い、どの医者を祭り上げ利用しようかを考えるものたちばかり暗躍している。それが現在の反コロ運動の現状なのである。
いったいこれで誰が反コロ運動を応援しようというのだろう。大衆は当然ながら誰も近づきたいとさえ思わないだろうが、反コロ運動に手を出してしまった初心者たちは、その現実を見て参加意欲を確実になくしていく。この運動はPCR、マスク、ワクチン、社会規制の四つが主たるテーマであり、そのテーマゆえ女性たちの参加比率のほうが多いと推測されるが、素人女性たちはこの構図を理解できずすぐに逃げ出してしまうだろう。そのような人々の中にも正義感と承認欲求は渦巻いており、当初の主たる目的さえ忘れてしまうのが人間の性ともいえるわけである。
これを踏まえてはっきり言ってしまえば、この「反コロ運動」というのは決して成功することはないだろう。15年社会運動をやってきた私としては、そのことは身に染みてよくわかるし、実際に結果としてうまくいっていない。日本では社会運動は成功しないと言われてきた理由もよくわかる。私は2025年日本は形が無くなると5年近く前から唱えているが、これは「反コロ運動」の失敗も二年前から加味したものであり、より2025年日本滅亡説は現実味を帯びることになったと思っている。ではそんな日本、そんな世界の中で我々はどうやって生きていけばよいのだろうか。
まさに陰謀論で唱えられているように、これから社会では選別、管理、貧富の拡大、寡占化がさらに進行していくであろう。それを止めることはこんなマイノリティの内ゲバ軍団にできようはずもない。だから私が人々に言えることはどんな形であれサバイバルの準備をすることである。それは2025年以降を視野に置かねばならない。2025年以降の黄昏の世界の中で、自分と自分の大事な人たちを守るために、いかなるシステムを自分の周りに構築し、いかにリアルを充実させ、いかに自分の発言権をネット外(ここ重要)で充実させていくかが望まれる時代になるだろう。
あと3年で日本の経済占領と奴隷のような管理システムの構築を防ぐことはできないが、それを避けたり反乱軍コミュニティを作るための準備期間に充てることはできうる。それこそ私が近年唱えてきた日本版華僑のような横つながりであり、人脈形成であり、リアルな世界での自己経済の安定と発言権の確保でもある。これは結局原点に回帰していくことでもあり、ヒーロー願望からの決別でもあり、自らを充実させていく作業でもあり、政治色や思想色を越えた形での薄い大同団結でもある。それを達成することができたときのみ、日本にも生き残るチャンスがあるのではないかと私は思っている。
追記:この記事の批判、否定、揶揄、反論などは一切受け付けていない。叩きたい人は外野で勝手にやってもらいたい。
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