うつ病という病気の理解をしてくれた母親と母親の介護は突然に①

今回は僕のうつ病への理解をしてくれた母親と母親を介護するまでを分けて書きたいと思います。

僕は3年前からうつ病と闘っている。そんな僕は仕事を辞め、日々波があるうつ病という病気と対していた。


しかし、そんな生活に苦言を呈していたのが一緒に住んている母親だった。母親はうつ病という病気がどういうものかは全く理解していなかった。頑張れば何とかなる、働きながらでも直せる、ヤル気次第だ、こういう考えの人だった。その強気な性格は、僕がうつ病になったブラック企業に母親が上司に釘を刺しにくるくらいだ。

その時は、当の本人の僕はなんとも言えない感覚だった。母親なりに庇ってくれたのだろう。しかし、うつ病になった会社に何を言おうと改善されないのは僕自身試したことだ。それを母親なりに試したかったのだろう。しかし、その言葉は悪いが、会社に来ることも告げず、一方的に上司に釘を刺しに来る行為は迷惑の何物でもなかった。

一般の家庭では、物事を親子で解決するとき、話し合って、何が苦痛なのか?とかどうすればいいのか?とかお互い理解しながら進めると思うが、この母親はイキナリ行動するのだ。

何て言えばいいのか分からないが、普通は上り階段の上に物事の解決のゴールがあるとすると、一歩一歩話し合って着実に上っていく感じだとしたら、
母親は3段飛びで自己解釈で終わって進んでいく感じだ。だから物事のゴールの行き先が違うのだ。

本当はゴールは同じじゃなきゃいけない。でも母親自身が自己解釈で完結してしまうものだから、僕も混乱するのだ。その結果が悪くても何故悪かったかを解決しないまま次の行動に出てしまうのだ。これは僕にとって母親の嫌いな一面だ。「なんであんなことしたんだよ!」ってなっても「だってあなたが悩んでたから」とか「やってみないと分からないでしょ」とかだ。
それでいい結果になればいいが、悪い結果になってきた過去や現在進行形で悪い場合、こういうデリケートな問題の相談して解決できる場所は家庭には無かった。

そんな強気な母親に生まれただろうか、僕も結構頑固に育ってしまった。どうしたって嫌なものは嫌だと会社を半ば強引に辞めたのも僕の頑固がなしたものだろう。だって、繁忙期に辞めてやったのだから。会社でどんなことがあったかは前に書いたものがあるのでそれを参考にして欲しい。

そんなこんなで、ブラック企業を辞め、雇用保険を貰いながら生活して、障害年金を貰いながら生活していくスタイルがここでスタートした。しかし、やはり母親は「働きなさい」という。僕は自己完結する母親に、うつ病で説明するのも辛かったが頑張って説明していた。一日一日波があって何も出来ないときがあるとか、頭の回転が悪いなどうつ病で起こった体の異常
を話した。しかし、母親の考えは同じだった。そんな家庭に悩みながら、僕もお金の大切さや働くことはしたいと思ったので自治体の就職相談などに自分で赴いた。その時、やはり人間不信になっていた僕は勤め人になることは出来なかったし心療内科の主治医にも止められていた。そこで見つけたのが"内職"だった。

何か母親が僕が小さかったときにやってたなーと思ってやってみようと決意した。内職でも面接があることに驚いたが、何とか頑張って面接に行った。そして自宅に内職が届き仕事をする生活がスタートしたのだ。だが内職は本当に頑張っても4~5万くらいが限界でした。そんな仕事内容に母親は一定の理解を得ながらも、やはり"勤め人"になって欲しかったのだ。僕自身これが今の限界だったし、ここまで来れただけでも僕自身で言うのはあれだが頑張った方ではないかと思っている。

うつ病は本当何も出来ないのだ、こういっちゃなんだが僕は恵まれない家庭環境ですよ、相談相手が近くにいないのだから、うつ病で近くに相談出来る人は本当に羨ましいですよ。。。そんな人が一人でもいる人はそれだけで恵まれていると思ってください。。。そして僕の生活を見ていて、やはり母親は言うのだ「普通の仕事しなさい」と

もう辛抱出来なかった。。。辛かった。。。どうすればいいのか自分で分からなくなって、主治医の先生に行ったら
「では母親を連れてきてください」と

そのことを母親に行って、後日一緒に病院に行くことになった。ここで言うが、うつ病で通院している人には分かると思うが、心療内科の主治医と話す内容は本当にデリケートで個人的なことを言う場所だ、そこに理解してくれない母親と行く。。。それだけでも苦痛でしかなかった。。。

でも、そこでも僕は"頑張り"をしました。本当に心が張り裂けそうだった、だがこれを乗り越えれば母親も分かってくれるのでは
ないか?と

先生から母親に一言「本人は今まで頑張ってきたのです、もう頑張らせることはさせないでください」と本当に涙が出た、僕は頑張ったって評価されない環境で育ってきたので自分を肯定してくれることがこれほど嬉しいことなのだと改めて思ったのです。「本人は前から今の状態じゃなかったはずです、今はうつ病という病気と闘っています、見守ってあげてください」と、本当に直前までは心が張り裂けそうだったが、母親と病院に行ってよかったと思えるようになっていた。

その後は母親も分かってくれたようで、うつ病への理解もしてくれるようになっていた。

続く

サポートして頂ければ今後の活動の活力になります。是非、お願いします。