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よもやま語らいゼミ開催後記⑦「『元気が出る』というとき、どこから出てくるのか」

 よもやま語らいゼミとは東大生を対象に、あるテーマについて自由に話し合いをするイベントです。4月13日開催の今回は「『元気が出る』というとき、どこから出てくるのか?」をテーマにしました。運営側と参加者合わせて10名弱が話し合いました。やや哲学的な問いであったのが功を奏したのか、チャットも含めてさまざまな話題について話が盛り上がりました。その様子を簡単にご紹介したいと思います。

色々な角度からの話題が出ましたが、今回は4点について簡単に紹介します。

①推しを見て(聞いて・体験して)元気になるか
 元気を出したいとき、推し(例えば、好きなアイドルなど)を見ると元気が出るという意見があり、共感する人は多くいました。好きな人が幸せそうな姿を見てこちらも幸せな気分になるみたいなものではないか、家に帰ってきたような安心感や楽しさがある、などのコメントが寄せられました。ただ、それが「元気が出る」ことなのかについてはそれぞれの感覚が違う面もあるようです。

 一方で、「よし、元気を出すぞ!」と思って元気を出すことはできないのではないか、という意見もありました。元気を出そう、と思って行動する(例えば、推しを見るなど)こと自体に元気が必要ではないか、との声もありました。さらに、推しに依存するような状態になってしまうと、逆に元気を奪ってしまうのではないか、そして元気がない時こそ、そのような依存状態に陥りやすいのでは、というジレンマの声も聞かれました。

②元気を出したくない時はあるか?
 「元気を出したくない時」についても、あるという人とないという人がいました。ある、という人の中にも、元気がありすぎると余計なことにハマってしまいそうで怖いからあえて元気を出しすぎない・出すぎないようにしている、といった人や、元気がない状態がなんとなく心地よい、という人もいました。

 好きな歌の歌詞として「常に元気でいるように繕わなくても良い」という言葉をあげてくれた方がおり、常に「元気を出す」必要があるわけではないのではないかとの声もありました。「空元気」という言葉もあるよね、とのコメントもありました。

③「元気」という言葉のイメージ・自覚
 私はこのイベントが始まる前は、「元気」というと、とてもエネルギッシュな状態をイメージしていました。しかし、例えば友人に会った時の「久しぶり、元気〜?」という挨拶は、必ずしもそういう意味の「元気」ではなく、平穏無事だとか、マイナスではないことを指すのではないか、との意見がありました。個人的にはとても納得し、その多義性も面白いなと思いました。

 また、「元気が出ない」ことは自覚しやすいが、「元気が出ている」ことは自覚しにくいのではという意見もありました。後者については、エネルギーが満ちている時はそれを自覚している暇もないからではないか、との声もありました。

④「元気な人」の評価
 個人の状態を示す「元気」とは別に、性格を示す「元気」もあるよね、という話も出ました。「あの人は元気な人だ」といった場合です。声が大きい人は元気があると思われやすいけど、必ずしも声が大きい人は元気で・小さい人が元気ではないとも限らないよね、といった意見がありました。

 「元気な人」の評価についても話題が進みました。子供の頃は「元気である」ことは高く評価されるけど、歳をとるにつれて重要視されなくなり、むしろ「いい歳してうるさい」というようにマイナスに捉えられることもある、といったことから、年齢によって「元気である」ことの評価は変わるのではないか、という声がありました。

 上記の声に対して、視点を変えるとそれは必ずしも年齢ではなく、未熟さと関連しているのではないかとの意見もありました。「元気」は人を評価するときの数ある軸の一つだが、「元気な若手社員」のようにいうときは、元気さ以外に評価するところがないから、ある種セーフティネット的に元気さを評価しているのではないかということです。若い頃は未熟なことが多いので、結果として若い時は元気さが評価されやすい、ということですね。個人的には大変面白い視点だと思いました。また、「元気」なことは伸びしろと捉えられて評価されるのではという見方もありました。エネルギーがあるから、そのエネルギーを使って成長していけるとの期待があるのではないか、ということです。この考えも面白いと感じました。

 コロナ禍でオンラインコミュニケーションが普及し、「元気な人」の活躍の場が少なくなっているのでは、との声もありました。オンラインミーティングで「気合いだ!気合いだ...!!.」とか、「1・2・3・ダーー-!!」とか言われても空気感が伝わらず盛り上がらないかもしれませんね。

 イベントの最後に、では結局元気はどこから出てくるのか?という疑問に戻ってきました。明確な答えは出ませんでしたが、自分の体の中にもともと元気収納boxのようなものがあって、人それぞれの「鍵」で開けると元気が出るのではないか、などの意見が出ました。元気は自分の体のどこかから出てくるもの、という感覚については共感する人が多いようでした。

 このイベントの元々の問いは「『元気が出る』というとき、どこから出てくるのか?」でしたが、それにまつわる様々な話題が出て、とても楽しく話すことができました。今回のように少し哲学的な問いを他者と考えると、事前に自分では思ってもみなかった観点での意見を聞くことができ、大変面白いなと感じます。

 ある問いを立てるとき、その問いを構成する単語の定義が人によって違ったり、複数あったり、個人的な文脈と社会的な文脈があったりすることで、対話に幅が生まれるのかなと思います。「議論」をするときは言葉の定義を事前にしっかりすり合わせることが多いですが、あえて曖昧なまま進めることで、色々な見方に触れることができるという、ゆるい「対話」の良さを感じられました。

 皆様も一度、自分の「元気」はどこから出てくるのだろう?と考えてみてはいかがでしょうか。答えのない問いを考えてみることで、新たな発見があるかもしれません。東京大学ピアサポートルームでは、このようによもやまな話題について話す「よもやま語らいゼミ」という学内限定イベントを毎月行っています。この記事を読んで興味が湧いた東大生の方、ぜひ参加してみてください。2022年5月は、23日に「昼夜逆転生活はダメなのか」というテーマで開催予定です!

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