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領域と結びつく地方政府

日本の地方政治が抱える構造的問題に迫る『領域を超えない民主主義』がまもなく刊行です。本書の背景と焦点が明らかにされている第1章第1節「領域と結びつく地方政府」を以下に公開します。ぜひお読みください。

都道府県や市町村の境界は,必ずしも山河のような目に見えるものだけで作られるわけではない.そのような境界によって作り出される地方政府の領域は,人々にとってどのような意味を持つのだろうか.境界によって確実に地方政府の領域が分けられているものの,場合によってはその境界がどこにあるのか自体明確にわからない,ということもある.移動の手段が極めて限られているとすれば,地方政府の領域は生活圏そのものを示すものであったかもしれない.しかし,交通機関が発展した現代,人々が日に何度も,いくつもの地方政府の領域をまたいで生活することは珍しくない.都市化の進展とともに住宅が連坦して建設され,とりわけ大都市部では意識せずに地方政府の境界を超えてしまうような日常がある.

境界によって「地方」の単位の領域を区切ることは,必ずしも自明なものではない.松沢裕作によれば,近世社会における基本的な構成単位であった村が,職能や身分によって結びついていたのに対して,近代以降に構成された地方政府の領域は,恣意的な境界によって明確に分けられることになったという(松沢 2013).しかし,恣意的な境界で切り出された領域は,それ自体が人々にとって切実な意味を持たなかったとしても,人々の共通の利益を想定する単位として扱われるようになる.そして地方政府は,その領域の中で人々の共通する利益と考えられるものを追求していくのである.

現代の日本において,都道府県・市町村という地方政府が,社会問題の解決を担う重要なアクターであるという認識は,以前よりも強まっていると考えられる.以前の地方政府は,中央集権的な地方財政制度のもとで,自民党長期政権に協力しながら中央からの補助を獲得し,領域の中で共通する利益――しばしば公共事業として行われる――の実現を目指す存在として捉えられる傾向にあった(Scheiner 2005; 斉藤 2010).1990 年代後半,日本においては地方分権改革が実施され,地方政府は国と対等な存在として,一定の権限を付与されるようになった.その過程では,財政的にも自立すること,つまり自らの領域での共通の利益を実現するための資源を,その領域で生み出された資源によることを求める議論も強い.依然として国による規制が厳しく,地方政府の独自性が発揮されないという批判がある一方で,都道府県知事はその自律性を高めて政治的に重要なプレイヤーとなりつつある.また,2000 年代に進んだ平成の大合併を経て市町村の規模は大きくなり,より高い能力が期待されるようになっている.

地方政府がその領域の中で自律的に意思決定を行うことが求められるようになる一方で,個々の地方政府の領域を超えた問題が以前と比べて重要性を増している.交通手段の発達とともに,人々は地方政府の領域にかかわらず活発に移動するようになるし,また,公共交通や上下水道などの社会基盤や廃棄物の処理など,規模の大きな地方政府において提供される公共サービスが,他の地方政府に住む人々に影響をもたらすスピルオーバーが生じることがある.反対に,国から与えられた業務や地域住民からの要望に応えるために職員の数を増やし専門性を高めるなどして能力を高めようとしても,資源の少ない小規模な地方政府にできることは限られている.このような課題の解決を図るために議論されてきたのは,市町村間の合併・広域連携や都道府県による町村部を中心とした垂直補完,さらには広域での大都市制度や道州制の導入などの制度改革であった.本書でも議論するように,近年の平成の大合併はその部分的な解決を図る試みのひとつであったが,それは決して最終的な解決とはならず,現在でも地方制度の改革を検討する地方制度調査会において継続的に論じられ続けている.

個々の地方政府を超えて,政府の役割が広域化していくときに,ポイントになるのは人や物が集積する都市の範囲である.都市の利益が,地方政府やそれを構成する住民の利益と結びつくというのは,自明のことのように思えるかもしれない.しかし,実のところ両者は緊張関係にあると考えられる.なぜなら,地方政府は仮にそれがもともと社会経済的な都市圏と一致するように設定されていたとしても,時間の経過とともに両者には乖離が生じていく可能性があるからである(曽我 2016).広がっていく都市における共通の利益は,必ずしも地方政府の領域における共通の利益とは一致しない.都市が広がる中で,関係する地方政府が増えるようになると,都市との関係をめぐる地方政府間の競争関係や地方政府内部での対立関係が生じる可能性が高まる.

これまで日本における政府間関係の議論といえば,ほとんどが国と地方の間の政府間関係に注目するものであった.地方政府間の連携に関する研究としては,主に制度的な観点から広域行政に関する制度やその改革が議論されてきたほか,「昭和の大合併」や「平成の大合併」という大きな政治的イベントについての分析が蓄積されてきた.これらの研究は,広域行政という問題について地方政府間の何らかの連携・協力関係の構築が必要であるという前提に立脚し,それを助ける広域連合や一部事務組合といった制度や,合併といういわば特殊な形式の連携を地方政府が採用するかどうか,ということを分析してきたものであると言える.

それに対して本書では,日本の政治制度の特徴についての整理を踏まえて,地方政府が領域を超える課題に対応することに困難を抱えているという点に注目して分析を進める.焦点化されるのは,地方政治における分裂した意思決定である.政治制度の制約によって,地方政府内の対立や地方政府間の競争が強く前景化する一方で,それを統合するような政党が機能する余地が少ない.結果として,日本の地方政府は既存の境界によって生み出されるそれぞれの地方政府の領域に強く拘束されることになり,地方政府間での連携を阻むとともに,都市の活力を衰えさせたり,地方政府内外での対立を先鋭化させたりする可能性があることを論じる.本書では,このような政治制度の特徴とそこから予想される帰結について,歴史的な経緯や数量的なデータに依拠しながら跡付けていくことを試みるものである.

【参考文献】
松沢裕作,2013, 『町村合併から生まれた日本近代――明治の経験』講談社選書メチエ.
Scheiner, Ethan, 2005, Democracy without Competition in Japan: Opposition Failure in a One-Party Dominant State, Cambridge University Press.
斉藤淳,2010,『自民党長期政権の政治経済学――利益誘導政治の自己矛盾』勁草書房.
曽我謙悟,2016,「縮小都市をめぐる政治と行政――政治制度論による理論的検討」加茂利男・徳久恭子編『縮小都市の政治学』岩波書店,159─182.

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