(うときゅういっきの「これから」 同調圧力 デフレ3)

2021/11/30-3
(うときゅういっきの「これから」 同調圧力 デフレ3)
自分の様な人間が、多く会社から弾き出され中には海を渡って他国で活路を見出す者も出てきました。
その人達が新天地で安くて良い商品を作りだしそれが回り回って我が国に「低価格の洪水」となって襲来し、結果追い出した古巣の会社すら潰ス自体となって今日のデフレ傾向を決定づけた気がしております。
もし妥当な範囲で価格転嫁が認められていれば多くの人々が意欲を失う事なく、又解雇される事もなく国内で働き続けて居たかも。
そうなっていれば他国からの安くて良い商品による「洪水大禍」もなく失われた30年もなかったのかも。
それにしても何故我が国では妥当な価格転嫁が出来ないのか?
そして何故その皺寄せが人にばかり来るのか?
思うに屁理屈ではどうにも動かし難く変容させにくい(融通の利かない)「物理変数」を避け、屁理屈が効き易く変容させ易い(融通の利く)「心理変数」を使いたがる傾向が我々にはある気がしております。
即ち「論理」の物理系ではなく「心理、情緒」の「人間系」をバッファとして使う傾向が。
例えば
「騒いで事を大きくし次の就職に差し支えるといけない」
と思う心理とか
「安い給料でも首を切られるよりはマシ。肩書きを失う失業のみっともなさに比べたらお安いもの」
と思う心理とか。
前者は必要以上の将来予測とその予期不安から。
後者は安定とメンツ第一思考から。
と言えそうです。
要するに時間軸と空間軸に存在する人の目線に対して最悪を予測して可能な限りの予防線を張る。
それにしても何故我が国国民にはこういった「心理変数」が面白いほど効いてしまうのか?
ちょっと圧を加えると地面を這う蟹の群れの如く例外なく一斉一方向に動く習性があるのか?
ひょっとしたら我々が同じく
「殺生与奪の権が自分の側にではなく全て他人の側にあるから」
ではないか。
殺生与奪の権が自分になく他人に会った場合、自分ではどうにもならないわけですから、いつ来るか分からないご託宣に常に怯えたり、落ち着かなかったり、挙げ句の果てはその不安から逃れる為に殆ど身売り同然の形で自分の方から相手の言いなりになったりします。
公的な肩書きや地位は他人が与えるものなので人の評価がとても気になります。
人気も人が与えるものなので人の目線や噂話が是またとても気になります。
我々皆が殆ど同じ状況下に居る事の必然の結果?
しかしもし自分が自営であれば、自営のリスクはあるものの自分の進退は自分で決められるので「何時来るか分からないご託宣を待つ事による怯え」だけはしなくて済みます。
又自分の価値観とやろうとする事が明確であれば人の目線や噂はそれほど気にはなりません。
しかしそれは「公的見解」
実際の我が国は既存の枠組みや様式が余りに強固で
「改めて自分では作り出せそうもない。ならばそれには逆らわず当て嵌めるしかない」
と言う事になっているのかもしれません。


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