見出し画像

「逃げる」ことも選択肢。中国 内モンゴルへと渡って

私を変えたあの時、あの場所」

~Vol.20 中国 / 内モンゴル自治区

本コーナーでは、東京大学にゆかりのある先生方から海外経験談をお聞きし、紹介していきます。

今回は、石井 剛先生に、中国で滞在されていた当時のご体験をお伺いしました。取り上げた場所については こちら から。

無題192_20220322164530

雄大な中国の地にあこがれて留学、そして長期滞在へ

―1995年から2000年にかけて、中国内モンゴル自治区に滞在されています。滞在のきっかけを教えてください。

石井先生: 中国での長期滞在は1993年から1年間の留学が初めてだったのですが、留学先が地方の小さな町の大学だったこともあって、もっと中国の地方にどっぷり浸かりたいと思っていました。というより、もともと中国の黄色い土地に対するあこがれが強かったということかと思います。なぜそうだったのか今でもわかりませんが、あの雄大な乾いた大地に抱かれることでとにかく「自分」から逃げ出したかったのでしょうね。立派な夢や抱負がなかったことだけはたしかです。


温かい心と豊かな智慧を持つ人々との出会い

―あこがれの地に行かれていたのですね。海外での長期滞在では、困難にぶつかることなどありましたか?

石井先生: なぜこのようなご質問をなさるのか興味深いですね(笑)。当時あのまま東京という「コンクリートの沙漠」に居続けることの方がわたしにとってはずっとたいへんだったはずなので、中国で暮らすことには喜びしかありませんでした。そう思えるのは、やはり、あちらで出会った人々がわたしにとってはすべて温かい心と豊かな智慧を湛えた存在だったということが大きいと思います。わたしはふつうに中国に住んでいただけなので、何か特異なエピソードを挙げようとしても思いつきません。それは皆さんが普通に日常を過ごしていてそこには何も特別なことがないと感じていらっしゃるのと同じだと思います。本当にふつうで平凡です。


―困難にぶつかったエピソードを伺ったのは、その困難をどのように乗り越えたかをお尋ねしようと思っていたからでした…。

石井先生: なるほど(笑)。あのころわたしにとっての「困難」は日本で生きることでした。いわばそこから逃げ出したわけです。だから、困難にぶつかったときには逃げることを皆さんにはお勧めします。無理に困難を乗り越えようなどと思わずに、それを回避すればいいのです。中国で覚えたいちばんためになる言葉は「車到山前必有路」、つまり、車が山の前までやってくれば必ずそこに道はあるという諺です。道は山の頂を避けなければ通じません。迂回するとか、トンネルを穿つとか、いろいろあります。でも必ずどこかに通じるのです。

画像1

▲「駐在先のエジンホロ旗で親しくしていた旗科学技術委員会や農業局の人たちの自宅に招かれたときの写真」とのこと。写真二列目中央が当時の石井先生。


異質な存在との出会いが、よい変化を生む

―長期滞在の間、トラブルなどをきっかけに、自分が変わったなと思うことはありますか?

石井先生: 「困った案件」にこだわるんですね(笑)。変化ということについて言うと、海外に出ること自体がその大きなきっかけであるとは思います。わたしたちは変化の中で成長していく存在であり、自らが変化していくことで世界も変化していくものです。変化は、言語を通じて自らと世界を認識する人間の生のあり方を規定している基本条件だと思います。で、よりよい変化を可能にするのは、異質なものとの出会いであり、それはまず別の言語に入ることによって生じます。別の言語を使うことによって、世界は確実に変わります。一つの言語に埋没してはいけません。いくつかの言語の間を自由に往還できるのがいいですね。中国での生活をやめて日本に戻ってきたことは、もう一度、他者の言語を他者に返すためにも必要なプロセスでした。あのままだと今度は中国語の中に埋没してしまっていたでしょう。


―「異質なものとの出会い」が大切なのですね。現地でのエピソードをもう少しお聞きしたいです。

石井先生: 最初はNGOの駐在員として沙漠緑化活動をしに行ったのです。中国には広大な荒漠地がありますが、その中には人間の経済活動によって歴史的に沙漠化した場所も少なくありません。そういうところでは逆に人々が手をかけることで緑を恢復させることができます。わたしが派遣されたところでは、現地政府の人々が住民と良好な関係を築きながら、沙漠をもう一度、緑豊かな土地にする事業を粘り強く進めていました。まあ、わたしは緑化のことなどわからなかったので、ただ土地の人に交じってただ飲んだくれていただけだったのですが。駐在期間の途中で内蒙古大学に拾ってもらってからは、日本語学科で日本語を教えていました。


―帰国されてから、海外体験が活きていると思うことはありますか?

石井先生: わたしは向こうではただふつうに生活していただけなので、特筆すべき「体験」はありませんし、最初からそのようなものは求めていませんでした。面倒くさいし、怖いですから(笑)。同じように、日本に帰ってきたばかりのころ、親戚や友人に「帰国した」と言われるのにも強い違和感がありました。「本来いるべき国にもどる」というのが「帰国」のニュアンスですが、わたしにとっては、日本に生活を移すことは全く新しいチャレンジだったので。

ただ、中国での生活にどんな意味があったんだろうと考えてみると、それは社会人としての振る舞い方の基礎を身につけることだったのかもしれません。今になっても、中国人の身の処し方がわたしの規矩になっていると感じる瞬間があります。逃げた先の中国によって救われたのですから、わたしは幸運な人間だと思います。


「取りあえず逃げる!」でもいい。選択肢を増やす留学・国際交流

―さまざまお話をお伺いしてきましたが、最後に留学や国際交流に興味のある学生へ、メッセージをお願いします。

石井先生: 長い人生においては望みが破られた先に別の望みが開けてくることが往々にしてあります。目標に向かって真っすぐ邁進しようとする人生も立派ですが、世の常としてそんなことがうまく行くはずはないですので、肩の力を抜いて日々を楽しむのが大事かと思いますね。それが無理なら取りあえず逃げる! そのために逃げる先はたくさんあった方がいいのです。留学とか国際交流体験はそういうオプションを増やすにはもってこいじゃないでしょうか。

―ありがとうございました!


📚 他の「私を変えたあの時、あの場所」の記事は  こちら  から!

最後までお読みいただき、ありがとうございました! よろしければ「スキ」を押していただけると励みになります。

次回の記事も引き続き、お読みいただけるとうれしいです^^

リンク

🌎 Global駒場 (駒場キャンパスの国際関係総合サイトです)

🌏 GO公式Twitter (GOからのお知らせなどを日々更新しています)

🌍 学生留学アドバイザーTwitter (留学アドバイスを行っています)

🌏 GO Tutor Facebook / Instagram (留学生、KOMSTEP生、USTEP生、PEAK生向けにチュートリアルを行っています)