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ドラマティックではないけれど。忘れられないアリゾナ留学の日々

「私を変えたあの時、あの場所」

~Vol.22 アメリカ合衆国/アリゾナ大学大学院

東京大学の先生方から海外経験談をお聞きし、紹介していくこちらのコーナー。

今回は、井上 博之先生に、アメリカ アリゾナ大学での留学当時のご体験をお伺いしました。取り上げた場所については こちら から。

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現地の生活を経験し、博士号を取得するために留学へ

――2011年から2016年にかけて留学をされています。初めに、留学までの経緯をお聞かせください。

井上先生: 学部1年生から大学院博士課程の途中まで、けっこう長い期間を駒場で過ごしました。博士課程からの留学を決めた理由はいくつかあります。僕は学生のころも今も基本的にインドア派で好きな本や音楽や映画に触れられていればそれで幸せという人間なのですが、アメリカ合衆国の文学を勉強しているのに現地の生活を直接経験したことがないのはまずいかもと大学院生になってしばらく経った時期にようやく思い始めたこと、とくに小説や映画を通して関心を持っていた南西部に住んでみたいという気持ちが強くなったこと、それからこれはもっと実際的な理由ですが、「研究者として就職したいのであれば合衆国でPh.D.をとってきなさい」と駒場で指導教員だった先生に何度も言われていたことなどがあります。南西部の大学院を中心に何校か出願して、最終的にアリゾナ州トゥーソンのアリゾナ大学に決めました。


自己嫌悪の日々から、やがて「自分もここにいていいんだ」と思えるように

――ご自身の関心や指導教員の先生の勧めが留学につながったのですね。では、海外で過ごすなかで印象的だった出来事についてお教えください。

井上先生: 生活の場所が変わっても人間そんなに簡単には変わらないということなのかもしれませんが、向こうに行っても基本的にはけっこう地味なインドア生活を送っていたので(笑)、ドラマティックな経験はあまりありません。ちょっとした出来事で印象に残っていることはたくさんありますが、今振り返って思うのはとくに最初は授業についていくだけでも大変だったなということですね。これもインドア派の人間らしく英語の会話には相当な苦手意識がありましたし、先生やクラスメイトが何を言っているのかわからなくなるとか、議論に入るタイミングをつかめずにアパートに帰ってから「今日もダメだったな」と自己嫌悪におちいるとか、しょっちゅうでした。このままではまずいと思って、途中から授業で一番先に発言することを意識するようになり、次第に議論に参加できるようになっていきました。毎週千ページ以上は読むので予習もきつかったですし、博士候補生(Ph.D. candidate)になるための試験に向けて読まなければいけない本も膨大な量でしたが、読書だけは好きだったのでなんとか乗り切れたのだと思います。


――少しずつ環境に溶け込むにしたがって、気持ちの面でも変化などはありましたか?

井上先生: どんなに苦手意識のあることでも場数を踏めば心理的なハードルは下がっていくとわかったのは大きかったです。留学生が相対的に少ない学科に在籍していましたが、授業での議論にも少しずつ慣れていきましたし、僕の発表の途中でクラスメイトがこっちを向いてウインクをして励ましてくれたり、授業後に何人か部屋に残って議論を続けたり、「先週出してくれたペイパーがすごくよかった」と先生に言ってもらえたりしているうちに、自分もここにいていいんだなと思えるようになっていった、そういうちょっとした出来事は今でもしっかり覚えています。社交的な場に出ていくのも最初はけっこう抵抗があったけれど、院生の勉強会に顔を出してそのあと近くのバーで話し込んだり、先生の家でのホーム・パーティーに呼んでもらったり、今になって思うとそういう時間が本当に貴重なものだったと感じます。大学の業務はしばらくいいからもう1回留学してきなさいと言われたら喜んで行きますね。

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▲留学中に何度か息抜きのために出かけたアリゾナ州セドナ


現地での学びが、今の自分につながっている

――海外体験全体を通じて、得られたと思うことはなんですか?

井上先生: 研究・学問の面においては留学したからこそ今の自分があるのは間違いありません。留学中にとくに影響を受けた先生が指導教員も含めて3人いるのですが、文学作品のテクストとの向きあい方はその先生たちに教わったという意識が強くあります。小説だけでなく映画を研究対象として考えるようになったのも指導教員の影響なので、留学していなければ今何をやっているだろうとふと考えることはしょっちゅうあります。また、やはり向こうでの生活を経験できたこと自体が大きかったです。本や映画をとおしてしか知らなかった南西部の風景に直接触れられたことは忘れられないですし、僕自身はキリスト教徒ではないのですが、留学中にときどきお世話になっていた大学外の人に教会に連れて行ってもらったことなども貴重な経験でした。ほかにもささやかなことですが、生活のなかで経験する日本にはない習慣も(建物に入るときに続けて入ってくる人のためにドアを持って開けたままにしてあげるとか、スーパーやコンビニの会計のときにたいていレジの店員さんと世間話をするとか)、行ってみないと知りえなかっただろうと思います。反対に、日本への帰国後しばらくのあいだはアメリカではそういう習慣があったのに日本にはないな、と一種の逆カルチャー・ショックも経験しました。もちろんこれは決して珍しい経験ではないはずです。

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▲住んでいたトゥーソンのすぐ近くにあるサワロ国立公園。「ここにも留学中に何度か歩きに行きました」と井上先生


――ささやかな日常風景も大きな影響になっているのですね。では、帰国後に留学体験が活かされていると思うことなどはありますか?

井上先生: 東京に戻ってきて混みあった電車に乗って吊り革につかまっているとアリゾナの砂漠に戻りたいな、ハイウェイを車で走りたいなとか思うのですが、これは「活かされている」体験とは言えませんね(笑)。大きなことを言うと、研究面においても生活面においても自分にとって当たり前だったことが場所を変えれば決して当たり前ではないという、物事を相対的に見る視点を得られたのはやはりかけがえのない経験です。また、留学を終えて帰国してから初めて大学で授業をする立場になったのですが、自分が教員としてどうふるまうかには留学時の経験が少なからず影響を与えているはずです。駒場でもアリゾナでも僕はいい先生に恵まれたので、その影響を自分なりに消化して学生の皆さんに接していきたいという思いはつねにあります。


人生が一変するわけではない、けれどきっと貴重な体験になる

――これから留学や国際交流体験を希望している学生に、メッセージをお贈りください。

井上先生: 現在海外のどこかの場所に強い関心があって、語学の勉強なども含めて留学のための準備もがんばれると感じるのであれば、ぜひ機会を見つけて留学を経験してください。どこに行っても自分と向きあうことにはなるはずなので、海外に行きさえすれば自分の人生は(いい方向に)一変するなどといった期待は抱かないほうがいいですし、留学中も思いどおりにいかないことや予想外のトラブルに遭遇する可能性はつねにあると想定してほしいです。でもそうした事態も含めて偶然の出会いや出来事に対して自分を開いていけるのであれば、貴重な経験になることは間違いありません。比較的自由に動きやすい若い時期に、ぜひ新しい環境に身を置いてみてほしいと思います。

――ありがとうございました!


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