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文献の向こう側には必ず生きた人間がいる。ロシア留学での決定的な出会い

「私を変えたあの時、あの場所」

~Vol.25 ロシア/ロシア国立人文大学

東京大学の先生方から海外経験談をお聞きし、紹介していくコーナー。

今回は、浜田 華練先生に、ロシア留学されていた当時のお話を伺いました。取り上げた場所については こちら から。

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修論に必要な資料を求めて留学へ

——2009年から2010年にかけて、ロシア国立人文大学に留学されています。留学のきっかけや理由からお聞かせください。

浜田先生: 「やりたいことがあったから」というよりは、「行かざるをえなかったので」という理由ですね。修士論文を書くのに必要な資料が、国内では入手・閲覧できなかったんです。当時は、今よりネットでアクセスできる論文や電子書籍も少なかったですし、ロシアの図書館は海外の図書館との相互利用にあまり対応していないので。何より古文書などの一次資料は、現地の文書館で閲覧申請して、何日も待ってようやく閲覧できるという感じなので、腰を据えて長期滞在する必要がありました。留学先には1年間研究生として在籍したのですが、ロシア国内の大学に籍があると、図書館や文書館の利用手続きが格段にスムーズなので、有難かったですね。


研究者人生に大きく関わる出会い

——なるほど、図書館など利用がしやすくなるのはメリットですね。研究生活はどのように過ごされていたのですか?

浜田先生: 私の修論の研究テーマ(帝政ロシアにおけるアルメニア教会の歴史)に関連する資料収集が留学の主な目的だったので、実はモスクワにある所属大学には籍だけ置いているようなもので、実際には帝政時代の公文書の多くが保管されているサンクトペテルブルクの文書館や、ロシアで現存する最も古いアルメニア教会のあるロストフ・ナ・ドヌー市、さらには国境を越えてアルメニアなど、各地を放浪していました。

中でも思い出深いのはロストフ・ナ・ドヌーです。ロストフ・ナ・ドヌー(直訳すると「ドン川沿いのロストフ」)は、2018年にロシアでサッカーのワールドカップが開催されたときに試合会場の一つになったことで、日本でも聞いたことのある人が増えましたが、その名の通りドン川沿いに広がるロシア南部の中心都市です。川運と交易で栄えた歴史のある街ですが、モスクワと比べると外国人や観光客も少なく、いかにも地方都市という風情ののどかなところです。そこでアルメニア教会関連の資料を探しに市立公文書館へ行ったのですが、ちょうど資料の一斉虫干し中で、閲覧できるものがなかったんです。そうしたらそこの館長さんが、「わざわざ遠いところから来て何も成果がないのは気の毒」ということで、その場でアルメニア関係の史料に詳しいスタッフに電話してくれて、出勤日でもないのにそのスタッフが私のためにわざわざ出向いてくれました。そのときのスタッフのアゴプさんとの出会いが、私の研究者としての人生をある意味では決定づけたといえるかもしれません。


「歴史」がまさに目の前の「人」に結びついた

——研究者としての人生での重要な出会い! とても気になります!

浜田先生: アゴプさんとの出会いがどう衝撃的だったかというと、少し歴史的背景の説明が必要になります。

18世紀中に、有名なロシアの女帝エカテリーナ二世がドン川沿岸への入植を奨励したことで、ロストフ・ナ・ドヌー市とその周辺は人口が増えて産業も発展していきました。ただ、ドン川流域の農地開発にはさらに人手が必要だったので、クリミア半島(当時ロシア帝国の属国扱いだったクリミア・ハン国)から、アルメニア系やギリシア系の住民をほぼ強制的にこの地に入植させました。なぜアルメニア系やギリシア系だったのかというと、キリスト教徒なのでキリスト教国であるロシア帝国臣民になることをメリットとしてアピールしやすかったんですね。ロストフ・ナ・ドヌーにアルメニア教会があるのは、そういう歴史的経緯からです。また、ロストフ郊外には今でも18世紀にクリミアから移住してきたギリシア人やアルメニア人が作った村がいくつか残っています。

ようやく話が本題に戻りますが、文書館スタッフのアゴプさんは、このアルメニア人村の住人で、クリミア入植から数えて13代目の子孫にあたるそうです。もちろん、私はこのアルメニア人入植の歴史について知った上で、その歴史について調べるためにロストフの公文書館までやって来たのですが、まさにその歴史を背負っている人がいきなり目の前に現れるというのは予想外もいいところでした。

「歴史は人が作る」というのは、言葉としては当たり前のことなのですが、思いがけず訪れたこの出会いによって、私の中で研究対象としての「歴史」と、今目の前にいる「人」が、にわかに接続されたわけです。なんというか、衝撃でしたね。パズルのピースとピースがカチッとはまったというか。この経験があったからこそ、歴史や古文書を研究する面白さの虜になりましたし、それ以来、目の前にある文献の向こう側には必ず生きた人間がいる、ということを明確に意識するようになりました。


——「ピースとピースがカチッとはまる」、そのときの衝撃が伝わってきます。

浜田先生: またこのアゴプさんがものすごく親切な方で、文書館の資料について説明してくれただけでなく、その翌日車でロストフ市内とその周辺のアルメニア人村にある教会に連れて行ってくれました。郊外のアルメニア人村は5つほどあるのですが、各村に教会があって、そのうちの1つはフルシチョフ時代に爆破されたそうで、その跡も見せてもらいました。また、アゴプさんの住んでいる村で彼の息子さんにもお会いしました。アゴプさんがクリミアからの入植者から13代目に当たるのはすでに述べた通りですが、息子さんの肩を抱きながら「彼が14代目です」と誇らしげに言っていたのが印象的でした。自分の家系と、その歴史をつないでいくという使命感のようなものがあるんでしょうね。

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▲ロストフ・ナ・ドヌー市のアルメニア教会


出身で分けられる新・旧の寮。人種差別以外の可能性も

——アゴプさんとの交流のお話、とてもドラマチックですね。研究に関わらず、海外生活で得られたと思うことについてもお伺いしたいです。

浜田先生: 「マイノリティの視点」に立つことが習慣化したことですかね。もちろん、外国人としてある国に滞在することと、その国に生まれ育ちながらマイノリティとして生きる(生きざるをえない)こととは、全く別のことなのですが、その違いも含めて意識せざるをえなくなったエピソードが一つあります。

私が住んでいた大学には、キャンパス内に寮が二つあって、新しくて比較的設備もいい方には、主にアメリカや西ヨーロッパの学生が住んでいて、もう一つの古い方はロシア連邦内の共和国やコーカサス、中央アジア、それに日本や韓国、台湾など東アジアの学生が入れられていて、私もこちらの寮に住んでいました。こっちは、共用のシャワールームは各階に一つしかないし、洗濯機もないので新しい方の寮まで洗濯物を持って移動しないといけないなど、明らかに不便でした。この時点ですでに人種差別的なのですが、こういう分け方をしている理由はどうもそれだけじゃないのかも、と思った出来事がありました。


「マイノリティ」ゆえに、社会に従うしかない圧力が

——留学生の出身に応じて、新しい寮か古い寮かの振り分けが違っていたのですね…。その理由と気づくきっかけの出来事とは、どのようなことでしょうか。

浜田先生: 私たちの寮の、ただでさえ階に一つしかなくて常に争奪戦のシャワーが壊れて、しかも数週間待っても修理が入らなかったとき、この寮に住む数少ないヨーロッパ出身者であるイタリアからの留学生が耐え切れなくなって、学長に直訴するための署名活動を始めたんです。私も、単純にシャワーが使えないままなのは困るので、賛同して署名しました。しかし、ロシア連邦内の共和国や中央アジア、コーカサスから来ている学生たちは非常に消極的でした。彼らは、下手に声を上げることで、今のこの待遇すら取り上げられることを危惧していたのではないかと思います。

私も含め、外国の大学から留学生として来ている人間は、たとえこのことが原因で大学との関係が悪化しても、自分の所属先に助けを求めることもできるし、最悪の場合帰国すればいいのですが、ロシア国内やCIS諸国から来ている人たちの多くは、学位取得や就職などその後の人生がかかっているので、大学当局からの評価は下げたくないわけです。

また、当時はチェチェンなど北コーカサスの反政府組織によるテロへの警戒が強く(私の留学中にもモスクワの地下鉄で自爆テロがありました)、出身地や身元に関係なく、コーカサス系であるというだけで不動産屋や大家が部屋を貸さないという差別が当たり前にあったので、コーカサス系の学生には、寮に住み続けられるかどうかは死活問題だったと思います。少なくとも現状に満足していれば、それより事態が悪化することはないので、大人しくしていようという意識が働くのも無理のないことです。

しかし、本来、不当な待遇に対して抗議することは当たり前の権利で、それを行使することで不利益を被ることはあってはなりません。そういう人権に対する基本的な認識が共有できていないのが、やはりロシア全体の根深い問題なのだと思います。そして、おそらく大学側は、こういう抗議を避けるために、権利意識の高いアメリカやヨーロッパの学生は設備のいい寮に入れて、声を上げたくても上げることのできない事情のあるロシア国内のマイノリティやCIS諸国からの学生と、わりと従順な東アジアからの学生とを古い方の寮に入れていたんじゃないかと勘繰っています。

とにかく、この出来事は、マイノリティとして生きる人々は、常に従順であることを社会から強いられているということをよく示すエピソードでした。このエピソードでは「社会」とはロシアの大学のことですが、さまざまな国、さまざまな社会にも言えることだと思います。日本でも、近年問題になっている技能実習生の待遇など、似たようなことは起こっています。しかし、おそらく日本で日本人として生活しているだけでは、マイノリティが社会から受ける圧力というものを、ここまでダイレクトに意識することはなかったかもしれません。


緑色の飲み物「タルフン」の思い出

――マイノリティという立場のよわさによって、声をあげることがそもそも難しくなってしまう、ということを間近で体験されたのですね。お話を伺うだけで考えさせられる、重要な内容だと感じます。少し話は変わりますが、留学時のこぼれ話などもあればお聞きしたいです。

浜田先生: なんだか堅苦しい話ばかりになってしまいましたが、基本的には楽しい1年間でした。向こうで知り合った人たちはみんな親切で楽しい人たちでしたし、先ほど述べたアゴプさんとの出会いのような、人生を変える経験もありました。ロシア正教の復活祭には、友達と「パスハ(過越祭)の卵」、いわゆるイースターエッグを作ったりもしました。シーズンになると、スーパーなどで卵のデコレーションキットが売られているので、それを使って。ただ、ロシアでは、細工する前に卵の中身を抜くということをせず、基本的に「ゆで卵」に直接彩色するので、後日微妙に着色料が移った大量のゆで卵を食べる羽目になりました。

あと、私のロシアの思い出の味として、「タルフン」という清涼飲料水があります。旧ソ連圏ではわりとメジャーな飲み物なのですが、その名の通り、「タルフン」というハーブを使った、独特の香りのある緑色の甘い炭酸です。ロストフ・ナ・ドヌー市内の旧アルメニア人街をぶらぶらしていたら、そこの住人らしき人(おそらくアルメニア系)が、おごってくれました。結構好みが分かれる味で、私自身もおいしいのかまずいのかちょっと判断がつかないのですが、これを飲むと、ロストフの旧アルメニア人街の、街路樹が生い茂り石造りの古い民家が立ち並ぶ通りと、そこを抜けたときに眼前に広がるドン川の雄大な流れが目に浮かぶので、また飲みたいですね。

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▲清涼飲料水「タルフン」(ただし、画像はロシアのものではなくアルメニアのもの)


頼ることが上手に。知らない人に荷物を運んでもらって

——「タルフン」、今も懐かしい思い出なのですね。では、帰国後も海外体験が活きているなと思うことはありますか?

浜田先生: 良くも悪くも、「人に頼る」のがうまくなった気がします。ロシアは、ソ連崩壊に伴う社会・経済の混乱が長く続いた経験がありますし、今でも公共サービスはあまり当てにならないので、身近な人同士が助け合ってどうにかする文化があります。それが良いか悪いかでいうと、多分良くないんでしょうけど。とにかく「助け合うことが美徳」というよりは、「嫌でも助け合わないと生きていけない」ので、日本的な基準での「いい人」のカテゴリーからは外れるような人でも、助けを求めれば、あるいは求めてなくても当たり前に助けてくれる印象があります。駅の階段でスーツケースを運んでいたら、とても愛想がいいとは言えない男性が、無言・無表情で持ってくれたり。本当に無言だったので、失礼ながら最初ひったくりと勘違いしましたが。

それとは別のケースで、これまた不愛想な知らない男性が荷物を運んでくれて、最後に私が「ありがとう」と言ったら、男性は「こんなことで『ありがとう』なんて言わなくていい」と言い捨てて去っていきました。愛想がよかったりフレンドリーだったりすることと、親切であることは必ずしもイコールではない、ということに気づけたのもロシア留学の成果と言えるかもしれません。わかりやすい「笑顔」とか「感謝」がなくても人は助け合えるし、むしろその方が自然なんじゃないかと思うようになりました。


ぜひ異文化にどっぷり浸かって。ただし「同化」に要注意

——「親切」のあり方が違うという気づきは、現地で過ごされたからこその発見ですね。さて、最後になりますが、留学や国際交流体験を希望している学生へメッセージをお願いします!

浜田先生: 長年馴染んだ環境から飛び出して、全く異なる社会・文化にどっぷり浸かる経験は、柔軟な若いときだからこそできることなので、ぜひチャレンジしてほしいです。ただ、同時に、そうしていったん浸かった現地の社会・文化と、ある程度距離を置く視点も持ってほしいと思います。一番怖いのは、その国の社会のマジョリティの視点に同化してしまうことです。「現地になじむ」という名目で、現地の多数派の考え方やメンタリティを、その差別感情まで含めて飲み込んでしまわないためにも、語学力やコミュニケーション能力だけでなく、何を受け入れるべきか、何と距離を置くべきかを判断できる適切な倫理観を養ってください。

——ありがとうございました!


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