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次の週末は木登りしよう

「自分のからだでもっと遊んであげよう」

これはコンテンポラリー・ダンスカンパニー「コンドルズ」主宰の近藤良平さんの言葉である。

私はハッとした。自分は五体満足で生活しているのに、体で十分に「遊べて」いないのではないか。重いリュックを背負って下を向いているばかりの大学生活で、私の体はすっかり縮こまってしまっている。立つ、歩く、座る、荷物を持つ、、、体の使い道がたったこれだけだなんて。

ふと思い出す。いや待てよ、小さい頃の自分って体を動かすことを純粋に楽しんでいたんじゃないか!?体を使って遊んで、「創造」すらしていたんじゃないか!?


ということで、私は「体で遊ぶ」をテーマに自分の遊び史を振り返りたい。


1.泥だらけの保育園時代:木登りは基本スキル

私が小学校入学前の2年間を過ごした保育園は、すごかった。世の幼稚園・保育園にあるような勉強や歌の練習の時間などなく、とにかく外で遊ばせてくれる保育園だった。ここに転入する前は、”普通の”保育園に通っていた私はさぞかしその落差に驚いたことだろう。

母親から聞いた話では下着まで泥だらけにして帰ってきたことが何度もあったそうだ。アルバムを見返してみると、友達と泥遊びをしながら笑顔でピースをする自分がいる。

また、園庭には木登りにちょうど良い高さ・太さ・枝振りの木が生えており、園児たちの練習の場になっていた。私も当然のように木登りスキルを身につけ、イチョウの木によく登っていた。ザクロの季節になると入口横の木に登り、実を取ってそのまま食べていた。


2.回転(さ)せずにはいられない小学生時代:一輪車、側転にドはまり

小学校に入学した私は、両親が共働きのため放課後は毎日児童館で過ごした。

児童館の目の前には広い公園(その名も「ジャンボ公園」)があり、友人といろんな遊びをした。この公園にも「木登り用なんじゃないか?」と思えるほど登りやすい木がいくつもあり、木の上で秘密の集会を何度も開いた。

私が児童館で出会った遊びで1番ハマったのは一輪車だろう。児童館に行きはじめた初週に出会い、「乗れるようになりたい」という一心で毎日毎日練習した。一輪車に乗っている時のスイスイ動ける感覚がとても好きで、児童館に帰ったら荷物を置いてすぐ一輪車置き場に向かっていた。

もう一つ、小学校時代にできるようになった「体を使った遊び」がある。側転だ。何がきっかけで興味を持ったのか覚えていないが、練習をしていたらめちゃくちゃ得意になっていた。とにかく「側転したい!!」という気持ちが抑えられない時もあり、そんな時は体育館を側転でぐるぐる回っていた。今できるかは怪しいが、当時は10回連続など余裕だった。側転好きが高じて、友人と一緒に20個くらいオリジナルの側転を考えたこともある。たとえば「流れ星」はスタートとフィニッシュに両手を頭の上でクラップする。「はさみ」は倒立状態になった瞬間に脚を閉じ、すぐに開くタイプの側転。「その場側転」は、移動距離をできるだけ短くする側転。などなど。こんな風に少しずつ動きを変えて、新しい側転を生み出していた。


3.すっかりインドア中高生時代:10年続けたクラシックバレエ

こんな私も、中学・高校では体を使った遊びをめっきりしなくなってしまった。

唯一、楽しく体を動かしていたのは保育園から続けていたクラシックバレエのレッスンだった。バレエの動きは、顔の向きからつま先の向きまですべて型が決まっているので、自由に体で「遊ぶ」こととはほど遠いが、ここでは敢えて「遊び」につなげてみたい。

バレエには、脚を180°に開いて跳躍したり、片足のつま先に立って1,2回転したり、トゥシューズという先端に板の入った靴でバランスを取ったり、といった柔軟性とバランス感覚が求められる動きが多い。少々こじつけっぽいが、バレエで培った柔軟性とバランス感覚そして脚の強さは、私が体で自由に遊ぶための基礎になっていたのだと思う。バレエを習っていなければ、木登りも一輪車も側転もそこまで得意にはなっていなかっただろう。


4.体で遊ぶ楽しさを再発見:「身体表現の実践」を履修

そして、大学4年生のSセメスターに「身体表現の実践」という授業で冒頭に紹介した言葉に触れることになる。この授業は、体を動かすことを通じて自分と他者の身体に興味を持ち、身体の可能性を再考することを目的としていた。(東京大学授業カタログ「身体表現の実践」

回を重ねるごとに、他者の体の動かし方の特徴(=自分との違い)に気付き、それによって自分の体の特徴、動かし方の癖を(再)発見できるようになった。

特に印象に残っているのが、体育座りで横一列に並んだ約10人の脚の下(三角のスペース)をうつぶせになって進んでいくワークである。狭くて暗いところを進んでいく感覚は普段の生活では味わうことのないものだったし、「大人がこんな風に楽しく体で遊んでいいんだ!」と思わされたワークだった。

この授業を履修してからは、もっと自分の体・他人の体に興味を持ち、尊重しようと思うようになったし、自分の体の特徴を活かした「遊び」をしよう、と考えるようになった。まだ十分実践できているとは言えないが、機会を見つけて体で「遊んで」みたいと思う。


おわりに

以上が「体で遊ぶ」を軸に振り返った私の遊び史である。

「あー、木登りよくやったな」とか「一輪車得意だった!片足乗りも出来た!」とか「最近体使って遊んでないな」とか、何かしら「自分」と「体」と「遊び」について、考えるきっかけになったらとても嬉しい。


他にも「わたしと遊び」に関しては、たまごっちを買ってもらったものの日中世話ができなくて死なせてしまうので親に職場に持っていってもらっていた話、ラブ&ベリーやたまごっちのアーケード型ゲームにハマっていた話、家族でぬいぐるみにアテレコして茶番を繰り広げている話、妹との会話のなかで突然「ウミネコごっこ」 が始まる話などエピソードにはきりがないがそれはまたどこかで。


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このnoteは、東京大学文学部小林真理ゼミが
「わたしと遊び」をテーマに書いたリレーエッセイ第11回です。

筆者紹介_森本


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