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「遊び」の出発点

小さい頃、わたしは「遊び」が苦手だったように思います。友達や先生の言うことにただ従う、「従順な子」。そこに、自分の希望はあまりありませんでした。

多くの人は、大人になるにしたがって、「遊び」を忘れてしまうといいます。でもわたしは、歳を重ねて、自分の考えが育つにしたがって、「遊び」を覚えていきました。

特に大学生になって、自分にとって本当に自由な時間がたくさん生まれました。高校までは、「勉強」という枠で高い位置にいくことが、大きな価値でした。が、東大合格を最後に、勉強の目標が消えたのです。(まだまだ勉強したいことが山ほどあることには、大学で学び始めて気づきました)


さて、膨大な時間があります。何をするか。


わたしははじめて、時間をかけて、自分の本当にやりたいことは何か、探り始めました。サークル選びも、授業選びも、バイト選びも。「自分がやりたいこと」に正直になり続けました。


これこそが、「遊び」の出発点だと、わたしは思います。


思うままに、体を動かす。
自分にとって、楽しいことを探す。

自然と、創造的になります。

「遊び」を覚え始めて、わたしは人生が楽しくなりました。自由に、人生を創り出せるようになりました。

それもこれも、何か1つの価値に縛られない、自由な時間があったから。

いま社会は自由な時間を忘れつつあります。東京の駅は忙しそうな社会人で溢れています。だからこそ、豊かな人生を送るために、「遊び」を意識して大切にしなければいけないのではないでしょうか。


おまけ)
個人的には、池袋のナンジャタウン(テーマパーク)は、「遊び」で溢れた素敵な場所だと思っています。大好きです。是非遊びにいきましょう。笑


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このnoteは、東京大学文学部小林真理ゼミが
「わたしと遊び」をテーマに書いたリレーエッセイ第3回です。

筆者紹介_市島


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