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【五月祭】LINEヤフー会長 川邊健太郎氏 による 東大Diligent特別講演会

 東京大学Diligentは、2023年4月に設立されて以来、ビジネスから離島環境保全、国際活動まで幅広い活動を行っている、東大生約500名が所属する現在急成長中の東京大学の学生団体です。今回、東京大学本郷キャンパスで開催された五月祭に際して、現LINEヤフー代表取締役会長を務める、輝かしい経歴をお持ちの川邊健太郎氏を講師としてお招きして、学生に、起業やスタートアップについて講演していただきました!

 軽快なトークとユーモアで会場を魅了する。学生起業からLINEヤフーの会長として活躍されるに至るまでの軌跡と変化の激しい時代において我々学生にこれから求められるものとはいったい何なのでしょうか?

(↑東大Diligentの活動内容はこちらのHPにて!)


激動の1995年と学生起業

 今では日本人の誰もが知るLINEヤフーの会長を務められている川邊氏。その起点ともいうべきは1995年、大学3年生のころの電脳隊設立でした。インターネット黎明期にインターネットに可能性を見出し、起業したその経緯を語りました。

学生から社会人まで多くの人に参加していただきました

1945年から1990年代までは、安定した時代だったと言います。しかし1990年代になるころには、冷戦の終了やソ連の解体によって世界情勢が変わり、激動の時代が到来します。その激動の時代の片棒を担いだのがテクノロジーの変化でした。インターネットの普及を皮切りに目覚ましい速度で変化するようになり、その変化は現代に至っても止むことを知りません。

大学生活と安定した時代の終わり

 川邊氏は大学時代、昼夜逆転の生活を送っていたそうです。午前3時までレンタルビデオショップTSUTAYAでアルバイトをし、帰宅後は無料で借りた映画を2本ほど見てから寝るという生活を送っていました。

 そんな日々を過ごしていた1995年の1月、テレビで阪神淡路大震災を目の当たりにします。高速道路がひしゃげ、あらゆる建物が倒壊したその光景に驚いたとおっしゃっていました。多くの学生が現地に赴きボランティアをする中、川邊氏も「何かをしなければ」という思いが募りましたが、期末テスト中だったために行動に移せなかったそうです。

 また同年の3月、朝ヘリコプターの音の喧騒に起きました。テレビをつけると、地下鉄でなにか薬品のようなものがまかれ、体調を崩す人が多数いるという報道を見ます。いわゆる地下鉄サリン事件でした。この事件を経て、川邊氏は安定な時代は終焉し、人、そして自分の死を身近に意識し、さらに「何かをしなければ」という思いを募らせたそうです。

 それでも実際に行動をおこすことはなく、TSUTAYAでバイトを続けていたといいます。やはり、何かを始めようとするのは誰であってもハードルが高いものだと感じました。

Windows95の登場と電脳隊起業

 同年、Windows95の発売が発表されました。この発表に世間は騒然とし、発売日には秋葉原に大行列ができました。以前大学機関でインターネットブラウザを体験していた川邊氏は、このOSの発売と世間の盛り上がる様子に、「これは世の中かわるな」、「みんなこれを使うようになるな」と感じて発売当日に購入し、インターネットの関連事業を始めることを決意します。ここにインターネット技術を用いた学生企業、電脳隊が始まります。

学生企業 電脳隊~競争とは~

 こうした経緯で起業された電脳隊。学生のみでどのように経営をとり、続々とインターネット事業に参入してくる大企業に面した時、どのように対処したのでしょうか?

川邊氏はXでも様々な情報を発信されています!

好調なスタート

 電脳隊起業当初、インターネット技術を使ってビジネスをできる企業がそれほどなく、学生集団であっても、様々な仕事が電脳隊に舞い込んできました。ブラウザで出てくるコンテンツを作ったり、企業のホームページ作成を受託していたりしたそうです。そのように2年間は世間で話題になるなど充実していたとおっしゃていました。

大企業の参入と苦悩

 しかし、1997年ごろになると大企業もインターネット市場に目をつけるようになります。IBMがE-ビジネスを、富士通がソリューションビジネスを称した事業を展開し始めました。
 当時の電脳隊は、教科書通りの経営をしていて、ハーバードビジネススクールの教科書を参照していました。その教科書の中に書かれているのが、ビジネスとはとどのつまり競争であり、競争には価格競争戦略差別化競争戦略しかないということ。ここで電脳隊がとっていた方針が価格競争戦略でした。つまり規模を拡大することで単価を下げて競争に勝つという方針をとっていました。しかし、大企業と競争するとなると学生だけで規模を拡大し競争するのは明らかに厳しく、壁に当たってしまいました。
 一方で差別化競争戦略は、アップルなどがとっている付加価値をつけることで他企業と競争する戦略でした。
 この苦境の中でこのまま価格競争戦略をつづけるべきか、何か付加価値を見出して差別化競争戦略をとるべきか苦悩し、ついにどうするべきかわからなくなったそうです。

シリコンバレーと打開の兆し

 この苦悩の中で川邊氏がとったのが、一か月休業してシリコンバレーに行ってみる事でした。結論から言えば、シリコンバレーにいったことは正解だったそうです。
 なぜ正解だったかというと、一つには、ハイテクスタートアップを様々訪ねて、スタートアップのやり方を学ぶことができたということ。
 また、スタンフォードの学生やMIT卒の人が電脳隊と同じように起業しており、電脳隊と同じように経営しているのを見て、自分たちも大丈夫なのではないかという漠然とした自信をもつことができたということ。
 なによりも大きかったのがシリコンバレーでのパブでのトークだったといいます。最新の事はシリコンバレーのパブやレストランでのナフキントークで会話されていました。このナフキントークレベルで聞いた話が「現在パソコンのインターネットは大きくなりつつあるが、携帯電話のインターネットはより大きくなる」ということでした。この携帯電話とインターネットの融合というアイデアを日本に持ち帰り、電脳隊で裏どりの調査を経て、事業ドメインを携帯電話インターネットに決定することにします。
 2000年代に生まれ、携帯とインターネットが切り離せない時代を生きてきた自分からすると、このような裏話があったというのは非常に驚きでした!

事業ドメインの大切さ

 ベンチャーは事業ドメインをはっきりさせることが大切だと川邊氏はアドバイスされます。漠然と「何でもできます」と発信することではなく、「我々はこの分野でこういうことができ、他の競合では同じようなことはしていません」と示すことが重要だとおっしゃいました。できる分野が小さい、つまりニッチでもいいので、シェアを高めることが重要です。電脳隊は携帯電話インターネットにおいて一時的にシェアを100パーセントまで高めることで世間の評価を得たそうです。大企業との競争をうまく潜り抜け、シェア100パーセントを達成したことは本当に驚愕でした!

Yahoo! と 川邊氏 と 未来

 携帯電話インターネット向けのソフトウェア開発に事業ドメインを絞ることで大企業との競争を乗り越えた電脳隊は、シェア100パーセントを達成したことで、大きな利益を生むようになったそうです。その結果、Yahoo! のオファーを受けて電脳隊を54億円でバイアウトし、電脳隊はYahoo!に合併されることになりました。元々40万円の資本で開始したスタートアップが54億円でバイアウトできたことに、今までの努力や決断に対する達成感や充実感を感じたそうです。

 Yahoo!で働くこととなった川邊氏は、様々なインターネット事業を担当されました。ヤフーモバイルやヤフーニュース、GYAO! 等で業績を上げられ、社長を約5年務められたのち、現在はLINEヤフーの会長をされています。

未来は予測するものから創るものへ

 情報技術の尋常じゃない進歩によって、未来は予測するものから創るものに変化しているそうです。さらに情報技術は、個人に力を与え、個人はインターネットを使って夢を実現することができるようになりました。このように個々人が自身の夢を追うようになれば、良い意味でも悪い意味でも、未来の予測は不可能です。しかし、創ることに関して言えば自分に端を発してインターネットを利用すれば可能です。学生は未来を予測してそれに応じて就職先を決めるのではなく、自分が今何をしたいか、5年後何をしたいか、10年後何をしたいかを考え、インターネットやクラウドファンディングを利用して、未来を創っていって欲しいと我々学生にアドバイスしていただきました!

真剣に話を聞く参加者

 講演終了時には、会場に集まった学生、社会人から拍手喝采が沸き起こりました。学生にとってはもちろん、社会で活躍される方にとっても、川邊氏のユーモアと、そしてチャレンジ精神の溢れる講演は、何かを成し遂げたいという思いを奮起させるようなものだったと思います。今回はこのような機会をご提供していただけたことに深く感謝しております。ありがとうございました。

文責:園田 航士








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