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大変だ!Twitterの魔法が解けてきて普通の人になりそうな話

今年の5月から本格始動したTwitter。かれこれ5か月、1800名以上の方とつながることができた。ここにきて岐路に差し掛かってきている。「Twitter上のお約束」と呼んでいるリアルや日常にはないコミュニケーションに違和感を覚え始めてきた。

再開当初はノウハウのnoteを読み漁り、アイコンを変え、名前を変え、プロフィールを変えた。仕事終わった深夜、フォローしてくださった方々へいいねを押しにいく巡業もやってた。増えたり減ったりしながらもがいていた。

その後、お互いのタイムラインにいいねを押し合う「心の友」みたいな仲間ができた。ただ、Twitterなのでそのメンバーも入れ替わることが多い。当初から今までずっと心の友でいられている方はわずか。片手でお釣りがくるくらいだ。そんな仲間ができ始めた頃からフォローいただく方はあまり減らなくなり、増える日が多くなった。

転機になったのはそのあと、実際リプライ(通称「リプ」と呼んでいる)をお互いにするような仲良くさせてもらう方ができた。最初は2人、そこから輪が広がり、すぐ10名くらいまで広がった。とにかく日常会話のようなノリでどんどんリプをし合う。楽しかったし、いまだに楽しんでいる。自分で発信するよりも楽しんでいることは間違いない。

もう1つ効果があった。リプはリプしているお互いをフォローしている人にはタイムラインで表示される。このリプを大量に行っているとそうなるとそのメンバーたちにもリプが表示されるため、実際自分で発信しなくても相手のタイムラインに存在をPRできる。そうなると本物のツイートに対するいいねの数が増え始めたし、フォローしてくれる方の数も増えた。毎日増加していくようになった。

再開してちょうど2か月の7月8日、節目も迎えていた。

当時は浮かれていた。時々、ノウハウをウリにするアカウントのプロフィールで「3か月で1,000フォロワー達成」みたいな表現を見ると、変な優越感に浸っていた。ソシャゲにハマってランクを競う。そんな感覚だ。

その後、仕事の企画のきっかけにツイートが盛りあがり、それをきっかけに会社の色を少し出し始めた。そんな時、Twitterとは別のオンライン飲み会があり、そこで1度考えさせられた。なぜ私はTwitterを本格的に再開したのか?その時のnote。

私にはこのTwitterの半分リアル、半分ゲームみたいな感覚への「割り切り」を持っていた。みんな好きに騒げばいい、フォロワー数が増えるから、中毒になるくらい「あと〇〇で1,200人です」みたいなのばかりツイートしている人、それを応援するツイートばかりがタイムラインに並んでいる人、いつ仕事しているかわからないくらいずっとTwitterしてる人もいるけど、別にいいじゃん!そんな気持ち。

リアルな人とのコミュニケーションで魔法が解け始める

この夏、ここで知り合った仲間の何人かと会うこともできた。とても仲良くさせてもらっている人とのリアルな出会いは本当に嬉しい!

その時点でTwitterでもかなり仲良くさせてもらっていたので、会っても違和感なかった。それどころか、このTwitterのしきたりでもある「ハロー」「ポジティブ」「サンキュー」の原則から外れた話もできた。

来るもの拒まず去る者を追わず、いつでも前向き、良いことばかり。

そんなわけないじゃん

公衆の面前で言えないような過去だってある。Twitterやってる人だからないわけじゃない。ただ、みんなタイムラインではそう装っているだけだ。素顔をチラ見せする仮面舞踏会。それがTwitterだ。

会うとそれがよくわかる。

また、Periscopeというインターネットラジオも変えた。私の場合、テキストコミュニケーションが苦手で、その克服のためにTwitterをやっていたということもあったが、何度か実験しているPeriscopeは話すだけでよい。明らかにこっちのほうがやってて楽しいし、向いていると思えた。

先月、このnoteなど、当初の私のノウハウを支えてくれて、憧れでもあった、齋藤さん、おーさわさんとも会うことができた。

決して本人からツイートはしないが齋藤さんはCHUMSが大好きだそう。ちょうど手元にあった仕事の企画でもらったエコバッグをプレゼントした。おーさわさんもかつては私の住んでいる街の近くに住んでいたそう。ここに書けないTwitterやっていってもなかなか知る人ができないアカウントではなく人間としての付き合いの楽しさを強烈に感じた。

これ以外にもZOOMも含めて、たくさんのTwitterの方々とのリアルに感じられる出会いがあり、今も継続している。そのリアルなつながりの中で、自分の中のTwitterだからと許容していた、半分ゲームのようなルールに違和感が出始めてしまった。

お約束に耐えられなくなってきている

今現在の自分、今もTwitterを楽しんでいる。が、以前よりもしきたりを守る気持ちが薄れてきてしまっている。

おおよそ、タイムラインに出てきて読んだツイートはよほど変なことを言わない限りいいねをしていたのだが、それも選り好みするようになってきた。一方でリプはどんどん本音を書くようになってきた。

また、応援ツイートは人を選ぶようになってきた。特に750とか2,300とか5,700とか9,800とか11,000とか有効数字2桁になる「刻む応援要請ツイート」には嫌悪感すら抱いてきている。応援を煽るツイートをするとプロフィールを見るフォロワーが増え、実際フォローが増えるからやるのだろう。それも本当に大きな節目なら納得がいくが、この例に挙げたレベルで煽っていく人は毎日閉店セールをやっているアニバーサリーの濫用のように思えてしまっている。別に個々人の自由だし、やってもらっていいんだけど、私は強烈な違和感を覚え始めた。それを応援するリツイートもしかりだ。もっと自分のことや周りにあったこと、有益なことをツイートして欲しい。その人の人生が垣間見られるツイートが見たい。ライブ感のあるリアルなツイートが見たい、そんな気持ちが高まっている。なによりそれ以上に、

リアルに語り合いたい、と思うようになった。

Twitterで知った多くの面々とテキストや写真のようなバーバルコミュニケーションだけでなく、間を楽しめるノンバーバルなコミュニケーションがとりたい。リアルな人間のポジティブだけでない部分も見たい、知りたい。リアルの出会いをZOOMのトークをもっと楽しみたい!7月に書いたnoteの気持ちは10月の今、高まっているし、この後もさらに高まり続けるだろう。もともとリアルな人間を知ることが何より好きだったのに仮面を被っていたことに違和感があったのもかもしれない。

というわけでこれからも知り合った皆さん、これから知り合う皆さん、仲良くしてください!ホントのホントによろしくお願いします!

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