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Twitterの外の人から見えるTwitterの景色

Twitterを再開して間もなく3か月。Twitterについて考えさせられた機会があったので、その話をしたい。

4連休の中日に大学時代の演劇の仲間たちとオンライン飲み会をした。開口一番仲間から聞かれたのは

「あのTwitterなんですか?」

という質問でありツッコミだった。私は笑うしかない。10年間もほぼROM専で放置してきたTwitterアカウント。それが今年の5月から突然、いかにもなツイートを連日いくつも放り込んでいるのは彼らにも見えている。斜に構えたキャラが突然ストレートなポエムを始めたら「この人、ついに変なものにハマってしまったのだな」と思う気持ちもわかる。

Twitterでつぶやく人は少数派

Twitterの利用率は3割程度。ツイートまでする人は1割もいない。さらにその中で1日1回以上つぶやく人はさらに稀だ。

その毎日のツイートも必要に駆られて書いているならわかるが、実際はそうではない。仲間から浴びせられる覚めたコメントたち。

「毎日もっともらしいことを書いて、いいね集めて…楽しいですか?」

「あと○○人で1000人達成ですって書くだけで100いいねとかつく世界って…すごいですよね…(負の絶句)」

「Twitterって「私は仕事で成功したい」とか「成功しました」「この仕事に賭けてます!」とか言ってるけど、そういう人っていつもツイートしてるんだよね。仕事したらいいのにって思っちゃうよね」

「良いこというじゃないですか。それで100いいねとかつくじゃないですか。「それで?」なんですよね。俺はああいう人たちは求めてないですね」

私はそういったTwitterの中の世界に慣れ切っていたが、いつものTwitterの世界の外から見ている仲間からは違和感しかなく、それがストレートに出てくる。よく妻にも似たようなことを言われる。

こういうポエムはやり始めた頃は抵抗ありまくりだったのに今ではスラスラ書けてしまう。

でも、慣れてない人から見ればポエムはポエムだし、違和感があるということはよくわかる。こういうレター型にしたって同じ。

これもこれで書いてあることはポエムと一緒だ。ただ、Twitterをやっていくと、この型にはめてツイートすることで反応が出たり、展開していくことが多い。逆に、斜に構えたツイートは相当センスか運が良くない限り伸びない。むしろ反感を買うので避けるべき内容になる。

Twitterの型にハマるほどできる外界との溝

私もたくさんのノウハウを読み漁った(サイトウさんのは新装版)。

本名アカウントを止めて、アイコンにこだわり、プロフィールをマニュアル通りに簡潔多様に仕上げた。政治・思想・批判のツイートをしない。ポジティブに相手を喜ばせる内容を心掛けた。本当にここに書いてある通り、愚直に実行していくだけで順調にフォロワーになってくれる方は増えていった。私はただの1回もツイートをバズらせたことはないが、フォローしてくださる方は1000人を超え、まだ増え続けている。

こうやって「反応をもらいにいくツイート」を繰り返していくとTwitterの外の世界の人たちと溝ができる。リアルな仲間たちと会うと「覚めた目線」が飛んでくる。同時に「なぜTwitterをやっているのか?」を問われる。

とはいえ、リアルな仲間たちには信頼残高が大量にある。違和感を感じたからと言って、引いてるからといって、そうそう縁が切れたりはしない。むしろ、こうやってストレートにインプットがもらえる。ありがたい。

この覚めた目線に対して私は笑うだけだ。私に対して「大丈夫ですか?」と言われて、言っている側の気持ちがわからなくなったら怖いと思ってる。でも今でも彼らの「大丈夫?」の先で言わんとしていることがよくわかる。だから笑える。笑える限りは行き来できる世界が増えただけだ。

リアルな信頼関係は偉大で堅牢だ。Twitterにおいてもオフラインのつながりを大事にしたい。コロナ禍が早く収束することを願っている。

ここまでの仲間の多くはこのツイートでカツアゲをされていた仲間たち。

こういうツイートはリアルな仲間に喜ばれているようだ。こっちの感覚が私の従来の感覚だ。これはこれで絶対捨てない感覚。そこからポジティブとサンキューとポエムが渦巻く世界へ足を伸ばす。

なぜTwitterをやっているのか?

私は「なぜTwitterをやっているか?」。この飲み会で聞かれ、考えさせられた。もともとはコロナ禍で外へ飲みに行く時間が減った代わりに始めたチャレンジ。

聞かれて建前を色々言おうかと思ったけどピンとこない。1番ピンとくるのは「楽しいから」。あと「日々新しい発見が得られる」。これに尽きる。

発見はほんと日々ある。これを書いている7月26日も例外ではない。とても面白いnoteを書いていたので少し前に紹介した方からこんなメッセージをもらった。本当に嬉しい。

CHUMSのエコバッグの一連の盛り上がりも私がTwitterをアクティブにしていなければ自分にとってこんなに充実した企画にはならなかっただろう。

日々のちょっとした盛り上がり。彩り。

私が「界隈」と呼んでいる、とても仲良くさせていただいているTwitterの仲間が10名くらいいる。その輪も少しずつ広がってきている。ことあるごとに盛り上げてくれるし、一緒に盛り上がる。その界隈の応援もあり、自分でラジオ番組までやってみることもできた。日々に楽しさの彩りを添えてくれている。

この彩りを楽しみながら、コロナ禍が落ち着いた暁にはリアルな繋がりを創り出したい。

それが「なぜTiwtterをやっているか?」の問いに対する今の私の答えだ。

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