見出し画像

習い方―着物の着方教室を選んだ時に重視したこと―

私は習い事が好きだった。

新しいことが好きで、何か学んでいる感じが好きだった。
学ぶことで、新しい自分になる感じがするんだな。
常に不足感があって、変わらなきゃ、学ばなきゃ、みたいな感じが強かった。

多分、習った種類は人一倍くらいあるんじゃないかな。
子どもの頃は受動的に習わされていたのもあるんだけど
思春期を経て大学生になって、ころころと習い事は変わった。

いつのまに不足感と劣等感を抱えていたんだろう。
そんな自分に気づいてからは、だんだんと、すぐに習い事に飛びつく前に、じっくり考えるようになった。
だから、今は、習い事に逡巡するのがそんなに好きじゃない。


習い事で人生動かされてきたのもあるので、また書いていきたいけど
今は、ボイトレと着方教室に落ち着いている。

この二つの習い事を始めた背景には共通点があって、その共通点は今までやってきた習い事の動機と異なってきた。
その動機は、やっと、習い事そのものと習い事をする自分の関係をぴったりはめ込んでくれた。


私は今、いち瑠という、全国にある着物の着方教室に通っている。
7月からはじめて約3ヵ月の初心者(初級)コースが終わりかけており、来週修了試験があるという時期に来ている。

この教室を知ったきっかけは、ネットで検索したら一番上に出てきたからだ。
あと、私は都内の良い場所に(少し背伸びして)住んでいるんだけど、その周辺の着付け教室は…、まぁ、お料金が高かった。それに比べて、いち瑠は1回ワンコインで気楽なお値段だった。

習うにあたって、似たような名前と料金の教室で「いち利」もあって、最初どちらもネット予約してたら、どっちがどっちかこんがらがってしまった。予約の確認で電話をしたらスタッフの方から「予約入ってないですよ?」となったりした(笑)

たまたま、いち瑠の方が先に無料体験日になり、そこでの出会いがあったから即日入会した。
(後日、経験のためにいち利にも行ってみて、その方針が結構違っていたので、いち瑠にして良かった~♡と胸をなで下ろした。まぁ、両者とも同じ一蔵グループなんですが。笑)


 習い事は、たとえ無料であっても、無料体験レッスンから始まっていると思う。私が通ういち瑠の校舎には講師の先生が9人もいらっしゃって、たまたま、体験レッスンでK先生に教えていただいた。

どの先生に当たるかは運しだいで、私はラッキーだった。

K先生は背丈は小さくて、目じりの皺がかわいい40代くらいの先生で、指にはシルバーのリングをはめていて、着物とシルバーアクセサリーって意外と合うんだなと感じた。
けれど、身につけているものよりもニコニコと出迎えてくださった声と表情のほうが印象に残った。

K先生は、ふんわりやさしい方だった。
例えるなら溶けかけの雪見だいふくを、そっとおさえると指先に伝わってくる柔らかさだ。

K先生に着付けてもらいながら、「いずれ、誰かに着付けを教える日が来るはず…!」と、思っている不届きとどろき初心者な私は、先生の応対にも注目してしまっていた。
 私がどんなに失敗しても、注意をすることはなく、優しくフォローしてくださるやり方で教えて下さった。色々な習い事をしてきたけれど、教える際に徹底的に優しく伝えるという方は珍しいと思う。

何としても、この先生について学びたいと思った。

私がK先生に習おうと思ったのは、ある意味、自分にない「優しさ」を身につけたいということだった。けれど、それは自分の不足感を埋めるためとはまた違う感じがする。
 着物を着るということと、それを教える人の人柄がマッチしたラッキーな出会いで、自然と習いたいと思っていた。


そうか、「教える人の優しさ」は、「習う人を否定しない優しさ」だったんだ。
私はその優しさを身につけようとしている。もちろん、着物を着るということ自体もしたいから習っているのだけど。

 いち瑠の初心者コースは全8回で、今7回を終えたところ。
K先生が何か強く言葉を発したところは見たことがない。
 
 K先生はレッスンで着物を着おわった私達に「着あがりました」という。
その言葉がとっても可愛いと感じる。

 「着上げる」という言葉に初めて出会った。ただの「着る」ではないんだなと思う。
自分で「着る を仕上げる」ということを認めてもらったようで、とても嬉しくなる。

 先生の言葉を通して、日本語はとてもよく出来ていることに気付かされた。
着上がる前と後では、自分の何かが「上がる」状態になっているんだ。
確かに、着物は洋服と違って、仕上げないといけないこと(着る手順)が色々とある。手順があるから、手順通りに伝えれば誰だって教えることは可能になる。だけど、その工程をまとめて「着上げる」というのはK先生特有のものがある感じがする。

 いち瑠には中級コースもあり、その講師がK先生になるのかはわからない仕組みになっている。だから今後も続けるか迷っている。

そういう点が、チェーンの着方教室のデメリットになるのかなと思う。

習い事ジプシーという、自分の不足感・強迫観念からは逃れられたのは、それをしないようにしようとした自分自身と、先生の優しさだった。

習う前に、何で興味が湧いていて、時間とお金を使おうとしているのかを自分で掴んでおく。今になって、ようやく「これが目的だったのかも」と気づいたところだから、習ううちに目的は習ううちに変わってもいい。けど、わからない中でも薄衣を掴むように、指をひっかけて、おぼろげに察しているのが大事だと思う。
謎の劣等感はいつも本当に欲しいものを見えなくしてしまうから、気をつけていこう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?