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石橋を叩いても渡れないならどうしようか

石橋の前で一人の男が鉄の金づちを持ち、とんとんとんとん叩いている。かれこれ2時間ほどだろうか。石橋のはるか下には川があるが、流れが早く落ちれば泳ぐことも大変そうだ。それよりも近くの岩に頭をぶつけて一瞬でお陀仏かもしれない。

丈夫そうな石橋ができたのは30年ほど近く前。劣化しているとまでは言わないが、ヒビが所々に見えてどうにも不安で仕方がない。向かい側に行くにはこの石橋を渡るしか方法はなく、渡りたくもない石橋の前で立ちつくした。

この橋は本当に落ちないだろうか?

自分が渡ったとたん砕け散ったりしないだろうか?

普段から神経質なところがあるこの男は、玄関の鍵を閉め忘れたのではないかとひどく気にするところがあった。鞄の中には消毒液とハンカチとティッシュ、常備薬は必ず入っている。さらに薄手のビニール手袋をもち、この男が怪しげだと思ったものを触る時はいつもビニール袋をはめて触る。もちろん使い捨てだ。同じものを二度も使うのは鳥肌が立つほどいやだった。

とんとんとんまるで石橋の修理をする職人かなにかのようだ。真剣な表情で石橋を叩く横を、何を勘違いしたのか通行人がお疲れさまですと頭を下げていく。太った男が数人連れだって石橋を渡った時は冷や汗が背中をつたった。ボロボロの木でできた吊り橋でもないのに、何をこれほど神経室になっているのか自分でもうんざりしていた。

「渡らないのか?」

青年の背後から声がかかるが無視して石橋を金づちで叩く。

「俺が渡っても大丈夫か確認してる」

「お前より、よほど目方がありそうな人間が渡っても大丈夫だったろうが」

「そのせいでこの石橋はもろくなったかもしれない」

「いつまでも叩いていても仕方ないだろう」

ここでふと不思議に思って辺りを見まわした。男に話かけてくる人物が何者か知りたかったからだ。後ろを振り返れば自分が歩いてきた小道があった。鬱蒼とした森林に顔をしかめる。毒虫や毒草が今にも自分に襲いかかってくるのではないかとひやひやしながら歩いた。迷いようのない一本道だったが、どこで迷うかわかったものではない。常に地図とコンパスで方角を確認しながら歩いてきたのだ。

「お前は誰だ?どこに隠れている」

「隠れてなどいないさ。お前が気がつかないところにいる」

人を食ったような物言いに、不機嫌さを隠そうともせずにわめいた。

「もしかして泥棒か?俺は大したものはもっていないぞ」

「そんなものではないさ。今、俺はお前を助けてやろうかと考えているんだ」

「俺のことを助ける?」

男の頭上に影がさす。見上げたが何もなかった。青い空にぽかりぽかりとのんきそうな雲が浮かんでいるだけだった。誰かもわからない、得体のしれない者と話している状態が嫌だった。

「お前は誰だ?」

「一度だけ聞こう。お前はあちら側に渡りたいか?」

からかうように笑う声は低い。女ではなく男だろうと察しはついたが姿がわからなかった。青年は腕を組んで精一杯強がって見せる。

「ああ、渡りたいさ。俺は、そろそろ…」

渡ろうと思っていたところだと言いかけて、言葉がでてこなくなった。襟首を何者かに掴まれ、空中に浮いていたからだ。ついでに首も苦しい。

「え?あれ?お、おろせ!」

青くなって叫ぶと男の襟首をつかんでいる何者かが大笑いした。

「じっとしてろ!谷川に落っこちたいのか」

そろりと視線を下に向ければ流れの早い川の様子が目に飛び込んでくる。思わず目をつぶって今度は恐る恐る見あげた。自分を捕まえている何者かを確かめようと思ったからだ。青年は目を疑った。

赤い顔に長い鼻、黒く濃い眉にやっぱり黒い瞳がきらきらと輝いている。顔は怖いがどうも面白がっているようにも見えた。白い衣服は修験者が着るもの、高下駄に錫杖まで持っている伝説上の天狗だった。

大口を開けたまま男は橋の向かい側に着地する。まじまじと見つめる先からは不快そうな声が返ってきた。

「礼はないのか」

「た、頼んじゃいない。俺は今、自分の足で渡ろうとしていたんだ」

自分の足を示して真っ赤な顔をする男に、天狗はふんっと鼻を鳴らした。男の態度に機嫌を損ねるわけでもなく面倒臭そうにつぶやいた。

「帰りも渡れないようだったら、俺が運んでやるから安心しろ」

「け、結構だ!ちゃんと自分で渡れる!」

「どうだかな」

腕組みをしてとんとんと左足のつま先を地面に打ちつける。高下駄の先で地面に軽く穴ができる。男はとにかく言いそびれた礼を言って先を急ごうとした。

「まあ、いいさ。ところでお前はどんな願掛けをするんだ?」

男が進む先には何でも願いを叶えてくれるという祠があった。全国から人が集まる有名なパワースポットにもなっている。もちろん男は願掛けのためにここに来ている。願いが叶うかもしれないと思うからこそ、こうして汚くて不衛生な場所をひたすら我慢して歩いてきたのだ。

「神経質なところが治りますように」

「お前、自覚があったのか」

天狗は大笑いして地を蹴った。大空に舞い上がったところを男は見ていない、姿が一瞬にして消えてしまったからだ。後には、天狗が高下駄の先でつくった小さな穴しか残っていなかった。

「か、帰りは自分で渡れるさ」

男は前に進んでいく。天狗が祀られている祠を目指して。


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