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#幸せをテーマに書いてみよう~休日の休息~

「どーぞ」

「ありがとう」

「どーぞ」

「ありがとう」

四階建てアパートの二階、ベランダのある八畳間にはお昼を過ぎたあたりから陽があたるようになる。折り畳み式のちゃぶ台を置き、食事をしたり、ちょっとした作業をすることもあった。今はよちよち歩きの娘、千里と一緒に過ごしている。妻の浩美は久しぶりに友達とお茶をするのだと出かけてしまっていた。

中西健也は区役所の職員として日々働いている。つかの間の休日は家庭サービスと称して浩美の買い物を手伝い、家事を手伝い、千里と過ごす時間にあてていた。

ちゃぶ台の上にはたくさんの積み木が転がっている。この積み木は孫を喜んだ健也の母親が購入したものだ。職人がつくった立派なものらしい。物の価値もわからない娘にそんな大層な物はいらないと言ったが、それなら高価なオルゴールにしようなどと言うので、ありがたくもらうことにした。

丁寧につくられた積み木は、角が丸く、小さな子供が遊んでも危なくないようになっている。つるつるした手触りが気に入ったのか、しょっちゅう積み木を転がして遊んでいた。たまに口の中に入れるので、よだれまみれだし、生えたばかりの前歯で噛んだあとまであった。積み木としての遊びをまったくしない娘が、新しい遊び方を父親の健也に披露している。

「どーぞ」

「ありがとう」

積み木を健也の手に渡すと健也がありがとうと言う。このやり取りを浩美と健也を見て覚えていた。

「どーぞ」

「ありがとう」

積み木がなくなるまで、このやり取りを続けるのだと気づいた健也は、大人しく娘に従っていた。あと一つか二つで終わるというところで、ほっと息をついた。

「どーぞ」

「ありがとう」

最後の一つを健也は千里から受け取る。時計に目を向けると、午後二時を過ぎたあたりだった。そろそろお昼寝の時間だ、少しは自分の時間がとれるかなと考えていると、千里が小さな手のひらを差し出してきた。

「どうしたんだい?」

「あい!どーぞ!」

健也は思わず娘の手のひらに、自分が持っていた積み木をのせた。反射的な行動で何か考えていたわけではなかった。

「あーとー」

あーとーとは、ありがとうのことだ。まだ自分の名前も言えず、お父さん、お母さんもちゃんと言えない。健也は思わず微笑んだ。千里は積み木をぽんっとちゃぶ台の上にのせると、また手のひらを差し出す。そこで健也は、はたっと気がつく。娘は立場を交換して、また積み木の受け渡しをやる気なのだと。

「あのね、千里。そろそろ、おねむじゃないかな?お昼寝の時間だよ」

「あい!どーぞ!、あい!どーぞ!」

私は絶対ねませんよ!とでも言いたげに、目をぱっちり開けてきらきら瞳を輝かせている。健也とのやり取りがすっかり気に入ったらしい。健也はため息をついて千里の手のひらに積み木をのせる。

「はい。どうぞ」

「あーとー!」

この繰り返しをニ、三往復した後、千里がこっくりこっくり船を漕ぎ始めたので抱き上げて隣の六畳間へと向かう。襖で仕切り家族の寝る場所となっていた。寝かしつけようとすると千里は、健也の指をしかっと握って離さない。仕方ないとばかりに、畳の上に敷いてある小さな布団に寄り添った。いつの間にかすっかり眠り込んでしまい、気づいたら浩美が台所で夕食の支度をしている。夕暮れ時の赤い光が窓から差し込んでいた。

慌てて夕食の手伝いをするか洗濯物をたたもうと思い、健也の指を握る千里の小さな手を外してそっと額に口づけた。




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