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包帯ぐるぐる巻き         ――画像しりとりはじめました(#170)

(#169) 必勝法→「ほう」→包帯ぐるぐる巻き

完全な考証ミスとまでは言わないが
この手練れは
明らかに南方みなかた先生が
この時代にもタイムスリップしていたと思しき案件( ̄∀ ̄)



この、全身血まみれ、包帯ぐるんぐるんの人、
中央児童福祉審議会推薦のさわやか坊さんアニメ『一休さん』の主人公、一休さんである。

まさかとは思うが、「このはしわたるべからず」と書かれた橋の真ん中を堂々と歩いてたら、ホンマに橋が壊れてて、そんな橋を踏み抜いて下の川まで落下して大怪我……とかいう水落オープンみたいなボケでなければよいのだが。

実際、何があったかは分からないが、とりあえずタイヘンなご様子である
(*´Д`)。

駄菓子菓子だがしかしっ!

ちょっと待ってほしい。
一休さんが暮らしていたこの時代って、そもそもいつなん?――て話。

一休さんの設定上の年齢が8歳ということなので、彼のモデルである実在の禅僧・一休宗純の生い立ちをそのまま準用するなら、時代背景は1402年 (応永9年)、室町時代の中期だ。
南北朝の騒乱がようやく落ち着き、前年の1401年には、大御所 (*1) の足利義満が明の建文帝から「日本国王」に封ぜられ、後の勘合貿易につながる大事な第一歩を踏み出したばかり、そんな時代である。

*1:大御所:アニメでは、足利義満は「将軍様」だが、史実では1395年(応永元年)には、すでに将軍職を嫡男の足利義持に譲って隠居の身になっている。
 ただ、隠居してもなお、義満は依然、大御所として政治の実権は握り続け、さらには、同年、武家としては平清盛以来という太政大臣に任官されている。先に准三后の宣下を受けているので、武家と公家のダブルでトップの地位に立っていることとなる。
 ぶっちゃけ、禅寺の一介の小坊主と頓智合戦に興じたり、幕府御用達とはいえこれまた一介の商人にすぎない米問屋と一緒になってわちゃわちゃ大人げない意地悪を企んでるようなフランクな存在ではない( ̄∀ ̄)。

そんな室町時代に、果たしてここまでの医療技術って、あったんだろうか?(・_・)?

と、気になったので、とりあえず包帯の歴史について調べてみた👆。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

世界レベルで見れば、エジプトのミイラが、それこそネタ画像の一休さんなんてまだかわいいくらいの全身ぐるんぐるん巻きになっているので、当然、この時代にもこのくらいは楽勝の医療レベルだろう。

実際、ヨーロッパでは中世の頃から医療用の包帯が使われていたようだ。

――では、日本ではどうだったのか。

その歴史を追うことができる確実なところでいうと、包帯の専門店が誕生したのが明治20年前後。ずいぶんと時代が下ってるぞ(・_・)。
それ以前は、さらし木綿や手ぬぐいを裂いて (*2)、包帯として活用していたという記述が残っている。

*2:さらし木綿や手ぬぐいを裂いて:現在でも包帯の単位として「レツ」という字が用いられているのは、この時代の名残である。
 当時は幅30cmのさらしを等間隔に裂いて用いていたので、現在でも、2包帯が幅15cm、3包帯が幅10cm、といった具合になっている。

さらし木綿や手ぬぐいを裂いて、包帯として活用していたというなら、ネタ画像のようなぐるんぐるん巻きも可能だったのでは?

一見、そうも思えるのだが、肌感覚としてなにか釈然としないのは、包帯代わりに使ったとしても、こないゴージャスな使い方ができたのか?という疑問があるからだ。

日本でさらし木綿に使用される綿が本格的に生産され始めるのは15世紀末、江戸初期のことなので、もし、さらしが作られていたとしても、この時代では恐らくまだ麻織物だろう。

まあ木綿にせよ麻にせよ、この時代のさらしはほぼ献上品、いわば「贅沢品」であり、般ピーの小坊主が気軽に裂いてぐるんぐるん巻きにできるほどカジュアルなもんだったのかなぁ……という疑問が湧いてしかたないのだ^m^。

何か、ビジュアルで包帯ぐるぐる巻きになった絵巻物でも残ってくれていれば良かったんだけどねー( ̄∀ ̄)

とりあえず、片手間の短時間でリサーチできる範囲ではここまで(*´Д`)
今回は決定的な否定も肯定も敵わなかった。(無念だ)
なんかモヤモヤするので、この疑問は、今後も追っていきたいと思う
( ̄o ̄)♪

あ、ていうか、今、唐突に気づいたのだが、『JIN-仁-』の南方仁センセイがこの時代にタイムスリップしてたとしても、原材料の包帯がなけりゃなす術なっしんぐだよねー(≧▽≦)☆そういえば。

南方仁先生

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

一休さんの、この包帯ぐるぐる巻きにひと目で違和感を覚えたのは、そもそもこの『一休さん』て時代考証が随所に甘いから、そういった先入観を持って観てしまったのかもしれない。

先の注釈*1で見たような将軍さまが実は大御所さまだった、なんてのはさしたる問題ではない。
問題なのは、実際にアニメを観てた時もけっこう気になっていた、桔梗屋さんの言葉遣いの方だ。

桔梗屋利兵衛。「わからんちん」どもの一人( ̄∀ ̄)

このお人、設定上の本業は米問屋だが、なんや知らんがやたらと手広く事業展開しており、ほぼ何でもありの幕府お抱え御用商人、総合商社桔梗屋ホールディングスといった風情だ。
まあ、幕府お抱えというよりは、はっきり言って足利義満公個人のお抱え御用商人と言っていいだろう。

それ自体は、義満公が武家・公家両面でのトップという、もはや逆らえるのは時の天皇陛下だけという状態だから、全然アリだ。

問題はそこではなく、この「わからんちんども」仲間の将軍さまに対する桔梗屋さんの言葉遣い。
決して、身分を弁えないようなフランクさをあげつらっているのではない。

言葉が随所に「室町離れ」してるのだ。
口癖のようにちょくちょく聞かれるのが

「将軍さまだってノリノリだったじゃありませんか」


ノリノリ」ってなんだよ(・_・)

ノリノリ(イメージ)
ノリ方が卑猥すぎる(・_・)


あと、これはもしかしたらさすがに自分の聞き間違いだったかもしれないのだが、なにげに聞き流しそうになって、えっ?( ゚Д゚)て思ったセリフ――

「なははは。これでプラスマイナスゼロですな」

いやもう、実はおまへが南方仁だろ、と言いたくなるような室町離れしたセリフである。

ただ、こちらの思わずクリビツテンギョウなセリフは、ググってみたがヒットせず、確証がない。なにぶん、遠い遠い昔の記憶なので、確信すら揺らいでいる。

一番手っ取り早いのは、この御時世だからサブスクリプションで配信されている『一休さん』を観て、実際にそんなセリフがあったかどうか、確認すればいい。それだけの話だ。

だが、その一見単純そうに見える作業を躊躇わせる要因、それは――

アニメ『一休さん』全296話

長いよ、長すぎるよ、一休さん……(T_T)。
なんで7年もやってんだよ……。
オリジナルの『一休咄』なんて、全部ひっくるめたって46話ぢゃないか。

それに、だ。
このセリフがあることを証明するのはある意味容易い。
そのセリフを言ってる話を観ればいいのだから。でも、このセリフが私の聞き間違い、記憶間違いだという、ないことを証明するには、最低限296話全部観なければ証明にならないぢゃないか……。

長すぎるよ………(T_T)

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

今日の〆の一曲は、水樹奈々で『Don't be long

なんか、すっごい久々に水樹姐さんのライヴ観たけど、相変わらず、観衆を煽る掛け声が「Hey! Hey!」ていうより「へっ! へっ!」て聞こえるんだよなぁ……( ̄∀ ̄)

おっと、今宵ももうこんな時間だ。
なんか、さっき外をチラッと見たら、ごっつ暴れてるわ、冬将軍(*´Д`)

……明日も4時起きやね(ФωФ)💧


そんなこんなで、
明日も、なるべく多くの人が
長いものには巻かれる方がいいのか、抗う方がいいのか、そんなことをたまには真剣に考えてみるのも、また一興なのです(o^-')b♪


■ おまけ

 今回の画像しりとり列車 (170両目) の前の車両です。タイトル「必勝法」と下のネタ画像で、なにこれ?て引っかかりを覚えた方がおられましたら、時間が許すような時にでも、覗いてみてやってください。

■ 参考・出典

日衛連NEWS No.69 (2010年8月) (PDF)



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