神さまが宿る花|声を出すことがもっと楽しくなる!ボイストレーニングのヒント
歌が歌えなくなってしまったことがあります。精神的なストレスから、声を出そうと頑張ると上からズーンと圧がかかって、強い眠気が出てからだが重たくなるのです。
歌うと声が定まらなくて、喉の奥が硬直して小刻みに震えている感じに。張力がなくなってしまったような声でした。4~5日くらいで戻り始め、1週間もすると元の声になりました。
いくら肉体が「準備」できていたとしても、心が動かなければ声は出ない。肉体を動かそうとするエネルギーが働かないことには、どんなにトレーニングで磨いた肉体も、無力で綺麗な空(から)の器なのだと思い知らされました。
私たちは、歌いたいという気持ち(衝動※)が湧き起こらなければ、結局は歌えないのですね。
私自身は、人間は霊的存在だと理解しています。いやいや、死んだら記憶も何もかも消えておしまいよ!魂なんてあるものか!という方には、この読み物はつまらないかもしれません。あのとき歌が歌えなくなってしまった私は、肉体は魂の容れ物に過ぎないとはよく言ったものだと、声が出ないというのに感動すらしたものです笑
知り合いに声優業をやっている人がいます。かれこれ15年以上業界にいらっしゃるそうですが、私がボイストレーニングの聖典なんて呼ばれるフースラーメソードの話をした時、周りにやっている人なんて聞いたことないなあと呟いていたのを思い出しました。
実際は、このメソードでトレーニングされている方はもちろんいらっしゃるのですが、何を言いたいかと言えば、やらずともあれだけの感動する声が出せるということです。
役にバッチリ決まったときの声優さんの声は、まったく手の内が見えないほど、ただ息を媒体に神性が流れるかのようです。今どうやって出した!?とつい聞き返してしまいました。
才能とは最初から「在る」もので、むしろ肉体である器の使い方を後から覚えていくようなものなのかもしれないと思いました。
トレーニングとは「器の使い方を覚えていくこと」であり、何かを手に入れよう、何かになろう、目指そうと、わざわざ目的を拵えて、計画された直線をある程度は右往左往しながら進むようなトレーニングでは、開花しないのではないかと直感しました。
桜があれほど見事な花を咲かせられるのは、倒れないように根を踏ん張って!というような根性論ではなく、ただ自然の摂理なのです。かつての私のように、心を壊すような頑張りをしてまで、何かを手に入れようと疲労するのではなく、そこに「在る」真理を楽しんで見つけ、喜びと感動を分かち合うほうが自然に近いと思いました。
きっとポイントは、花を咲かせられる「条件」を揃えることなのです。薔薇なら薔薇に合った条件、ひまわりならひまわりに合った条件です。陽当たりが悪ければ、陽の当たる場所へと鉢を移し、逆に日焼けしてしまうなら、屋内に入れたり、涼しい木陰を作ってあげる。
上手な花を咲かそうと焦らなくてもいいのです。それよりも、自分の神性を発揮すること。ありのまま(本来とは何か)を追究してみると、鳥が空を飛び、魚が水の中をあたり前の顔で泳ぐように、花の蕾は自ずと開くはず。こういうのを「ゆだねる」なんて表現する方もいますが、本来の在り方に帰っていく感覚なのかなあと思うのです。
私は自然が好きです。どんなに小さな花にさえ宿る神性が愛おしい。何だかんだで、私たちを育てるのは "愛" なんですよね。
(おしまい)
お読み下さりありがとうございました!埼玉県(新座・志木エリア)&オンラインでボイストレーニングと歌のレッスンしております。
生徒さまの自由な心を尊重し、魂から表現しようとするエネルギーを型や常識で縛ることのない、心地よさと楽しさが広がる教室を目指しています。ボイトレの聖典フースラーメソードでレッスンします😉🎤✨
▼本気で声と向き合える!心地よさと楽しさが広がる教室です|なかむら詩子ボイストレーニング教室
※「衝動」について。発声研究者のフレデリック・フースラーは著書『Singing』の冒頭で以下のように伝えています。ちょっと小難しい表現をしていますがこんな感じです。
歌えないのは、発声器官(肉体)が貧弱だからとフースラーは伝えていますが、このnoteでは、発声器官(肉体)が貧弱であることの他に、歌声のもうひとつの条件、歌いたい衝動にもカギがかかってしまったら、やっぱり歌えないんだよね、ということを伝えています。
ストレスは大敵ですね!皆さまも心を大切にされてくださいね😌🤍✨