熟々    澄淫田紬


 ツメタイ。
 歯軋リガ、残響ス。
 錆ビタ鉄ガ、刺ス。
 光ガ、コジ開ケル。
 頭ヲ、揺ス振ッタ。
 カンゼンニ、覚醒スル。
 ココハ、ウミ。
 ……?

 どうやら、眠ってしまっていたらしい。ここは……あっ!まずい!
 私は急いで電車を降りた。私は地下鉄に乗っていたのだ。
 違う。
 降りる駅はここではない。
 まあ構わない。今日は気軽に、小旅行のように、洒落込もう。さあ、

つらつらと。

 降りた駅のホームは、ドーム状。殺風景。駅員の寝ている改札を出、外に上がる。
 友達にもらったショルダーバッグを持ってたはずが、無い。スマホもあの中だったはず。大切にしていなかったから、別にいいケド。所持品は剥き出しのICカードと、かっこいいと思って、持つようになった懐中時計のみ。それら二つが、脛まであるトレンチコートのポケットに入ってる。
 間に合う間に合う。
 どうやら私がお邪魔しているこの異土は、ベイサイドタウンらしい。海って、見るのは大好き。泳ぐのは嫌い。疲れちゃうし、溺れちゃうし。駅の周辺の地図を見て、海辺まで歩くことに。うん。少し、めんどくさい。でも、歩くのは、楽しい。歩いて歩いて、歩いて歩いた先が、釈然としない景色でも、足が張って、腕が伸びて、疲れるのが、これがまた、……実に心地いいのだ。思わず、……笑いが、こみあげる。ああ、速まる。足取りが。急げ。
 道中、古びた、随分と古びた、書店を見つけた。いち早く海に行きたいという気持ちは負け、私はその歴史を感じる、――この言い回しは対象を褒めることが出来れば、皮肉の意を込めることも出来る――書店に足を踏み入れる。中は以外にも、……ああ、感嘆してしまうよ。非常に整理されており、むしろ近時の書店よりも落ち着いていて、きれいな空間だ。
 訂正。確かに内装は美しい。売り物の全ての本が見渡せる。けれど、歪なのは本の内容だ。戦争、教育、時代小説等々。マーガレット・Ⅿ没後何周年特集されている。「風と共に去りぬ」。戦争のお話なんて、滑稽よ。
 中に二人組の、……三人組の客がいた。私は彼ら、どうやら家族に忍んで近づいた。見ると、子供の育て方特集なんてされた雑誌を読んでいる。母親に、スリングによって巻きつけられている赤ん坊と、目が合った。子供は女の子。唯々、唯々可愛らしかった。つぶらな瞳、呆けた口元。これからのびていく癖のある髪の毛。いやいやいやいや。そんな言葉でまとめちゃあいかん。それほどに。この、妖美な子供は、これから、どう腐っていくのでしょう。ええ、想像しても全く面白みがない。
 女っていうのは、つまらない生き物。常に誰かを探して、騙されて、恥、悔やむ。みんなそうだ。この子だって、きれいなのは、今だけ。どうしても。きれいに生きられるのに、何て、勿体無い。毎度世に、その可憐さは消される。私も、こんな風に生まれてみたかった。こんな時期が、一瞬でもあれば。泣きたくなった。おまえたちのせいだ。その惨状を赤ん坊に見せつけ、両親は驚いて、不審そうで、目を丸くして、睨んで。怖いよ。怖い。はっ!怖い!
 疲れた。走ったせいもあるけれど、結局噛みついて、喉が痺れて、お腹が空いたせい。海の見える丘という公園についた。緑が美味しい場所だった。あらあら?まだ二十歳にもなっていないかな。液で囁き合って、体だけで感じてる、野蛮な方が二人ほど。憧れてしまう。想像せよ。私の両手は彼の首筋に纏わりつき、彼の優しい手が私の後頭部を優しく抑える。彼の腰が少し丸くなり、私の踵が少し浮かぶ。彼の吐く息が口周りをくすぐる。ゆっくりと、触れ、それまで餌をねだる汚い犬のようだった舌が、優しさという感情を、具現化。彼は大樹のように構え、私は蔦のように巻き付く。
 いい。ステキ。ステキだわ…!愛を注いで、詰めて、いつか割るんだわ。こいつら、やめろ。見せるな。見せるんじゃない。やめて。そう、報いるのよ。そんなものを観に来たのではない。ああ、そうだ。手を。
 ハッ……!気付いてしまった。愛に。まだ早い。早いのだ。さっきからのしこりは、これ。
 頭から水が被った。見渡すと、周りは海の水。何だ、海が見える丘と言っておきながら、ここも満ちる、のね。海の地平線、写真でしか見たことない、太陽が沈んでいる。もう少し近づいて見ようと、一歩、一歩足を踏みだした。波が当たり、私を押し返す。後ろに転んで、また全身水に浸かる。急いで立ち上がり、進む。また、押し返す。転ぶ。今度は前に。抵抗し、転ぶ。やはり後ろに。押し返す。転ぶ。水ではない、冷たくて、硬い感触が足に。それは懐中時計。それは自ら、輪廻転生を繰り返す。彼を道ずれにして。拾い、太陽を睨みながらポケットに入、また誘ってくれるよう、想う。転んだ。今度は、波のせいでも、足がもつれた訳でもない。無かったのだ。砂が。水も。私は今も何故だか考える。さあ、

つら、つらと

 ……。
 病人みたいな、歯軋りが聞こえる。
 錆びた鉄みたいな、血みたいな、そんな匂いが鼻腔を。
 眩しい、何かの光が、向こうからやって来る。あれは。
 揺れている。脳が。心が。体まで。
 起き上がる。沢山の人が私を見下ろして騒いでいる。
 おや、そうか。
 止まるか。
 小旅行は、御仕舞。

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