神憑るとは
先日より、Facebookの方で自著「小説咲夜姫」に関するグループを催していただき、そちらでは自分も作品の解釈や解説など時折書いています。
そこで最近思い当たったカミガカリ(神憑り・神懸り)について少し書きます。
小説咲夜姫では、木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)の化身である咲代さんに、何でもない竹取男の甚六さんが出会い、物語が展開します。
簡略すると「甚六さんが出世をし、出世したことで咲代さんの正体が明かされ、帰って行くことになる」のですが、この彼の出世が神憑りによるものです。
神憑るという言葉は、まるで神に憑いてもらったかのように物事が好転するという意味で、今でも使われますね。
そもそも「神と出逢うと人は出世する」といわれ、宗教を信じる人の心の起源ともいえます。神仏を護持することで人間は力をつけるのです。
竹取物語には様々な説が解釈され、中に「致富長者説話(ちふちょうじゃせつわ)」という解釈があります。これも神憑りのことで、かぐや姫と出逢った竹取の翁は瞬く間に富豪となり、出世しています。
この致富長者説話は、竹取物語を原作とする小説咲夜姫でも用いてあります。咲代さんと出逢うことで、竹取の甚六さんは出世するのです。
本文にもその神憑りが起こしたと思われる行動や心理描写などを書き残しているので、いくつか引用します。本書をお持ちの方は参考に。
「タケノハナの章」の序盤、竹林で竹の花を見つけた甚六さんが慌てて街に帰ってきた後の場面です。
竹細工の仕事でうだつの上がらなかった甚六さんですが、神憑りによってすでに性格が変わり始めているのがわかります。以前までの彼であれば、通りすがりの相手に自分を売り込むことなどしませんでした。
またこの時点では甚六さんは咲代さんに出逢っていませんが、すでに彼女は降臨し、甚六さんの家の中にいます。その証拠となる文も、実はこの少し前にあるのです。
この時、甚六さんは屋内から不自然な風が通り抜けていることに気付きますが、調べるまではしません。すでに中には咲代さんが降臨していて、その余波として風が残っているのです。
そうして神の化身と暮らすことになった甚六さんは、瞬く間に出世するのですが、そのせいで咲代さんの正体までが知られることとなります。それが第三章にあたる「サクヤタケの章」の内容です。
その章の最後、咲代さんが自分を神の化身だと明かした瞬間から、甚六さんは自分が神憑りによって今まで生かされていたのだと気付きます。
甚六さんは自身の出世のことを、一度たりとも自分の努力の成果だとは思いませんでした。だからずっと境遇に甘んじることはなく、その謙虚さが余計に咲代さんの心を魅了したのです。
この場面は、剃髪を望む咲代さんのため、甚六さんが町へ一人でハサミを買いに出たところです。すでに宝永大地震の後で、開いている店が見つからず、呆然と自分のことを考えます。
神憑りは、現代にも確かにあります。別に超能力や超常現象ではなく、精神的なものです。
神憑りの力を手にした後、その人が傲慢になるか謙虚になるかはその人次第といわれます。ただどちらが人としてふさわしいかは、考えるまでもありません。
サムネは、イラストレーターの「みけ*るーちぇ」さん提供の画像を借りました。