2019 3.4 声が良くなるほどに音痴になる理由

(読み返して、なるほど、、忘れてる、、と思う、2020.9.13)

声を良くするために、これまで様々なことを試しました。次第に声は強く、声量も備わり、ブレずにまっすぐな声を出せるようにはなりました。

ただ、声が良くなるほどに、歌っていて自分の音程がわからなくなってしまう状態が多くなった気がします。
目指している音程に向かって歌っているのだけれど、そこに全然はまらない。
これまで経験したスポーツに例えると、ストライクがどうしても入らないピッチャーのような心地、テニスのサーブが全然入らないようなもどかしさとも似ています。
ストライクやサーブが入らなければ、試合にならないのと同じで、自分の歌声はまるで試合になっていない心地でした。
それを毎度毎度気にしていたわけではなく、いい時もあったし、確かに声はよくなっているのだからとも思っていたし、何より自分の表現としての気持ちを最優先にしたいという思いもありました。

でもやっぱり、迷子になりながら歌うというのは、音楽的に自分には気持ちの良いものではなかったです。
「もっと声が良くなれば、上手くなれば」それはきっと解消するはずと、がむしゃらにいろいろなことを試しました。
ある時は、呼吸法、ある時は、舌の使い方、喉そのものを支える筋肉を鍛えるフースラーメソッドなるもの、口の周りのオトガイと呼ばれる筋肉、軟口蓋のコントロール、と、上げていくとキリがない。
近年はセントやヘルツ単位で見えるチューナーに声を当ててみたりして、一定の音程に保つことは可能になりましたが、音程を見失うことの原因を突き止めることはできませんでした。

今回、その謎が解けた気がします。

そもそも、実音が良くなればなるほど、それに共鳴する響きもまた大きくなるのです。
だから、実音を頑張って出せば出すほどに、はっきりさせたい音程以外の周波数も増幅して、それが音感を狂わせていたような気がするんです。それに惑わされて、実音そのものの音感も乱れるという悪循環が生まれていたような、、。

部屋で囁くように録音したものが意外と良かったりするのは、余計な周波数帯が無く純粋にメロディーそのものの周波数が聞こえるということだったのかなと。

今回倍音について考えた時、例えばCの4で260Hzくらいを出している時に、オクターブ上のC5が560Hzくらいに存在していて、声を出してみると響きの中に確かにオクラーブ上を感じます。その560Hzにしっかりとフォーカスして響きを作ることができると、本当に気持ちよい感じになります。
これまで闇雲に響かせていたものを実体のあるものとして捉えることができると、とても安心して歌えます。

倍音を纏うことで、音に深みと抜けが生まれ、音が音程としての輪郭をしっかりと持つことができます。

なんというか、音の深みという意味では、12弦ギターやマンドリンのように、オクターブの響きを持つ音の特性に近いような感覚もあります。

ただその倍音の響きにフォーカスするということは結構難しい。ジェットコースターのように乱高下するメロディーと共に、倍音を作っていくのは至難の技のようにも思えますが、今持っている感覚とてして「できそうだ」と思っています。
これまで培った体の様々な機能が、これからとても役に立ってくれると思っています。

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