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「始まりの灯り」と「蒼をえらべば」に寄せて

世の中のムードがこんなに揺り返すのは震災以来だった。

それは、死が迫っているムードだ。

2011年3月11日、帰宅難民の一人だった僕は、あの日のことと、そのあとの日々を回想した。

気がつけば今、僕の手にはあらゆる便利がある。少しずつ少しずつ、あの頃感じた危機感を失ってきたと思う。恐らく、その危機感の正体すら掴むこともできずに。

「僕は忘れる」その事だけが真実で、免れることはできないのだと思った。

「始まりの灯り」の火種は、福島原発の爆発だ。あの頃、世界が一変して、何かが変わるとしか思えなくて、僕はそれを歌にした。

月日は流れ、その歌のことはもうほとんど忘れていた。去年、揺り返した世の中のムードの中で思い出して、歌いたくなった。

でも、また少しずつ忘れていくのだろうと思った。今度はその気持ちが「蒼をえらべば」という曲になった。


震災から10年、様々な経験をさせてもらった。そして一つ、気が付いたことがある。

世界は真実や心理では動かない、ムードで動くものだ。

それを感じてから、なんだかすごく納得した。

僕らは、人間という生き物だ。

共存している生物の一種にすぎず、本当などというものは、個体の数だけ存在する。それは科学とか物理とか善悪とか、そういう問題ではくて、ただの経験則の中で僕たちは生活をしているだけなのだ。

だから誰も悪くないし、誰しもが誰かの悪になり得る。

マスクというムードが世界を包んでいる今を僕は悲観的には思わない。それは生きようとする本能の延長にある。ただそれだけのことだろう。あと、僕はコロナ前から基本的にマスクを持ち歩いているし、人混みの中ではするようにしていたから、そこまで何かが変わった気はしていないけど、見渡す景色は一変して、それはやっぱり異様な光景だ。

コロナがやってきて、世の中のムードは伝染病よりも早く世界を包んだ。


「始まりの灯り」「蒼をえらべば」、この二つの曲のテーマは、「伝える」ということ。

僕たちはただ生きているだけで伝え続ける存在だ。それ以上でも以下でもなく、脈々と命を伝え続けてきた。

今、伝わるという悪いムードが世界を覆っているが、それ以上に「伝わる」という現象は生命の源であるという「伝わる希望」がある。

「始まりの灯り」では、伝わる希望を歌った。

「蒼をらべば」では、伝えることの多様を込めた。

昨日、再びの緊急事態宣言下で久しぶりにこの2曲を振り返り聞いてみた。

心が温まって、涙が溢れそうで溢れはしなかったけれど、この曲を作って良かったと思った。

この曲が、たくさんの人に伝わってくれたら嬉しい。

2021年1月12日









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