終わりが与えてくれるもの
僕はこれまで、何かを始める時も、終わる時も、その境界線を曖昧にしてきた。
きっと、生まれた瞬間と死ぬ時を除いては、形ばかりの始まりと終わりが繰り返していくだけ。
昨日もその一幕なのだろう。
「終わる」という表現はむしろ「転換」という言葉がふさわしい。
でも、「終わり」という言葉を使わなければ、僕らは「転換」できない生き物なのかもしれない。
なぜなら「終わり」という言葉が与えてくれるエネルギーというものが確かにあって、それが正に「転換」の動力源となるからだ。
僕は初めて、ちゃんと終わらせる気で、終わらせた。
そうやって終わることで、得られるエネルギーを確かに感じたのだ。
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