見出し画像

リアルがロマンと出会う時 〜新しいリアリストとは?〜

新しいリアリストとは、つまりロマンチストのことだ。
そのことを今から説明する。
今朝、起き抜けにそんな思いが駆け巡って、頭の霧が晴れたので書き記しておく。
これは僕の考えだけど、誰かのモヤモヤの解消になってくれたらなとも思う。


私たちは解き明かすことが好きだ。
人類はたくさんの不思議を文明とともに解き明かしてきた。

科学は世界を可視化して、あらゆるものをデータとして私たちに見せてくれる。

神や仏よりもデータを信用する時代だ。
雨乞いよりも、雨雲レーダーの方が空の行くへを教えてくれる。
そればかりはどうしようもないことだ。

手のひらにもたらされたテクノロジーの上で、我々はあらゆる自由らしきものを携えているが、一つだけ人間が持っている特権を失いつつある。

それは、想像力だ。
とは言っても、データを積み重ねることで生まれる仮説やイメージは確かにある。
問題なのは日常の中で「分からないことが、分かっていることをの範囲を超えてしまった。」と、そう潜在意識が思ってしまっていることだ。

明日の天気、タクシーの位置、世界中の路地や景色、憧れのレストランのレシピ、誰かがつぶやく心のカケラ、10年も顔を合わせていないあの子の顔も。

あらゆる「情報が」「知ることが」、安易に可能となった。

そして、見える化によって、見えないことを信じる力がどうしても乏しくなってしまう。そんな自然な状態にある。私は自分をそう分析した。(違う人はめんごw)

それの何が問題なのか?
見えないもを信じようとしない潜在意識が積み重なったとき、何が起こるのか?

例えば、私たちはこの20年で、人に依存するようになった。
その最たるがSNSの台頭だと私は考える。
見えないものを信じる事のできない潜在意識は、自分という存在すらも、見えてこないと不安で仕方がないのだ。

こんなにも人に依存する意識が存在しなければ、今の世の中は辻褄が合わない。文明の進歩とクローバリズムが足並みを揃えて、いよいよ来るところまできたのだ。

そして今、それが決壊を始めている。見えるものを求めて繋がってきた挙句、今度は繋がりを断絶する事で、自分たちを見ようとしている。
その果てに何が待っているのだろうか?私にはわからない。

話を戻そう。

科学は、未知を解き明かし、生活に便利を与えてきた。
知らないことが知れるようになったし、10分後に雨が止むことも分かる。
ただ、恩恵が大きければ大きいほど、反作用する意識も確かにあったはずで、それが想像するという人の特権だったのだと思う。

例えば、ウイルスの大きさからヒトを見れば、その差はヒトと地球の比較よりも大きな規模であると言う。
人体にもまだまだ謎が残されている。
科学者は分かっていることだけを、分かった口ぶりで我々を納得させてくれるが、それは単に分かっている範囲での話でだ。明日の発見で今日の事実はそうでは無くなる可能性もある。

分かっていることだけが、どんどん積み重なって、膨大なデータが蓄積されてはいるものの、まだ、まだ、世界は謎に満ちている。

そして、例えば神様だって、いたっておかしくない。想像するのは自由だ。

今の私たちは、その考え方が乏しい。見えないものを想像しようとする力がとても鈍っている。

神は死んだ。
ニーチェの言葉は、正しいし、正しくない。

科学によって見えるようになったことは、知らないことを知ろうとした素晴らしい功績に違いないのだが、それによって我々が持つべき精神は、神を殺すことではなく、神を想像する心であり、謙虚さ、畏怖の心、好奇心や寛容さなのだと思う。

今の私たちは人に依存する。それはとても愛らしいが’、ある意味不幸なことだ。
人はそれぞれ違うのだ。
共感を求めて得られる快楽は、持続可能ではない。

だからといって、孤立する必要もない。
目の届く範囲で、共感を得て幸せになればいい。

そしてもっと自分や自然との対話にも比重を置くべきた。そして自分の生物としての意識について知る事だと思う。それについては養老孟司さんの「遺言」を読んでほしい。

世界は未知で溢れているが、私たちの手に届く範囲にも未知が充満していることを、初めて知ることのように思い出せばいい。

難しく考えず「分からないことの方が世界には多いのだ」と言うことだけ、心に携えていればいい。

だから、神はいるかもしれない。
例えば、そう思うのは自由なのだ。
それこそが、新しいリアリストだと思う。

リアルを把握し、ロマン、想像の甘美に浸る。
コンピューターには真似できない、人間の素晴らしさだ。

リアロマティストとでもいうべきか。他にもっといい言葉がありそうだ、ロマリアティストの方が言いやすいか?どっちでもいい笑。

これ以上書いても墓穴を掘るだけなのでやめておこう。
ただ、今朝、頭を駆け巡った思考で本当に救われる気持ちになった。

想像することが、こんなにも心を豊かにしてくれることをお守りにしていこう。
手のひらで広がる想像力も悪くはないけど、それを作ったのは人間だという前提を握りしめて生きよう。

リアルとロマンが出会う時だ。今たくさんの人類がその見えない始まりに立っている。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?