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信仰に対する雑感②-遠藤周作展を見学して(中編)-

 私のキリスト教信仰を省みる記事として、前編、中編、後編の3回に渡って、私の遠藤周作に対する想いと遠藤周作展について皆さんと一緒に考察しています。中編の今回は遠藤周作展で展示された作品「影に対して」、「白い人」、「海と毒薬」について、学芸員の方の解説と解説に対する私の感想を交えてご紹介して参ります。


遠藤周作展を見学する

影に対して

 この作品は生前の未発表作品で、遠藤周作の幼少期に父親と母親が離婚をしたことについて、遠藤の父親に対する複雑な心境と母親への想いをつづったものとのことでした。遠藤は人間の良心について、母親のことを想った際に良心を感じた、と学芸員の方が解説したことが印象に残っています。遠藤自身、キリスト教信仰において父なる神、母なる神ということをしばしば語っていますが、遠藤自身の幼い頃の両親の不和、また自身が母親に付き添い、母親のカトリック受洗とともに12歳の時に洗礼を受けていることとの関係がその言葉に表れているのかもしれません。

 また、学芸員の方は併せて母親と自身の妻に、遠藤は重なるものを感じていたとも解説してくれました。女性からするとマザーコンプレックスの形で妻を見ることに違和感を感じる人もいるかもしれません。遠藤のこの姿勢には、男性が女性に頼るところへの甘えが露骨に出た部分があると言えます。現在の男性においても女性に甘えを求めようとするところは自分も含めてありますが、まだ男女差別を当然視する遠藤の世代としてはなおさらかもしれません。

白い人

 この作品には、「白い人・黄色い人」とのセット作品の最初の作品です。「白い人」について、学芸員の方は主人公の醜さ、人種差別、第2次大戦中の戦闘をテーマにした作品ということを強調していました。私個人は、作品の中では己の顔の醜さを嫌悪し、キリスト教信仰に対するルサンチマン的で、ナチス占領下のヴィシー政権下のフランスでゲシュタポとなり親ナチス的行動をする醜悪さを象徴する主人公と、キリスト教信仰に対し教条主義的な傾向を持ち、主人公から迫害や侮辱を加えられても転向を拒む神学生との対比という点も強調されてよかったのではないかとも思いました。

 「白い人」における主人公と神学生のやり取りの場面は、ヨーロッパのキリスト教社会において、神を「信じる」か「信じない」かという二極論で考えるという傾向があるという意味で、日本人を意味する作品である「黄色い人」とは対照的です。「黄色い人」においては女性関係から教会を追放されたヨーロッパ出身の神父が、自身が行った過ちによって神に罰せられることを恐れる様子に対し、同棲相手が神なんか自分にはどうでもいいと、そもそも神を意識することがないということが表現されています。

 遠藤が「白い人」と「黄色い人」をセットにして一冊の本にしたのは、そうした日本とヨーロッパとの神認識の違い、キリスト教信仰への違いということを強調したかったのかもしれません。展示上の都合や、キリスト教信仰、キリスト教文学の複雑さに言及する必要性から「黄色い人」を省いたのかもしれませんが、個人的には残念なところでもあります。

海と毒薬

 十五年戦争末期に九州大学医学部で行われた捕虜の米兵に対し、生きたまま生体解剖を行ったことをテーマにした作品となっています。学芸員の方は、この作品が発表された当時は関係者が存命中だったこともあり、当事者を糾弾する目的で執筆されたといった批判が出たことに触れた上で、遠藤が著したかったのは戦争犯罪ということの強調よりも、なぜ人間は良心を失い過ちを犯すのかという根源的な問題であるとの解説がありました。

 「海と毒薬」に関連した作品として展示物には「悲しみの歌」という作品が展示されており、そのことにも学芸員の方は軽く触れていました。「悲しみの歌」は「海と毒薬」の続編と言える作品になります。主人公勝呂は、末期がんに苦しむ患者に安楽死を行い、過去に米兵捕虜を生体解剖したことと併せて新聞記者から厳しく問われ、自殺することとなります。その際、勝呂が苦しんでいることはわかっているから自殺しないでと、勝呂の心理にガストン(※1)という遠藤作品に出てくる「おバカさん」の主人公が強く訴えるシーンがあります。

 このガストンというキャラクターは、遠藤の抱いている、人を愛しながらも無力で何もすることができなかった神イエス・キリスト観をそのまま表現したものです。ただ私は、無力であるがゆえに弱者とともにあるという姿勢であるからこそ、強い神なのではないかとも考えるのです。また、ガストンが登場することによって、前回の記事でも少し触れましたが「海と毒薬」、「悲しみの歌」とで遠藤の神に対する認識の違いが出ているようにも感じます。その意味で両作品を読み比べてみるのもいいかもしれません。

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 いかがだったでしょうか。次回後編では、「沈黙」、「侍」、「スキャンダル」、「深い河」のほか、遠藤周作の「狐狸庵山人」としての活動など、小説家以外の顔について考察して参ります。

私、宴は終わったがは、皆様の叱咤激励なくしてコラム・エッセーはないと考えています。どうかよろしくご支援のほどお願い申し上げます。

脚注

(※1) 遠藤周作の妻である遠藤順子氏によると、ガストンのモデルは遠藤周作のフランス留学の際にいろいろと世話をしてくれたジョルジュ・ネラン神父がモデルとのことです。

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