生理的齟齬、或いは彼女が「タナトスに愛されたい」と語ったことについて。

記事を開いてくれてありがとう。
今日は僕が聞いた話について語ろうと思う。

まず「生理的齟齬」について。
「生理的齟齬」とは、「体の機能」と「自分の思考や意志、理性」が食い違ったり矛盾したりしている状態のことだ。
実際にこういう言葉があるわけではなくて、あくまで造語だけれど。
……ちょっと分かりにくいかもしれない。
例えば、眠ることは生きるうえで必要なことだけれど、もしそれを嫌悪したり拒否したりすれば支障をきたしてしまう。それは生存を目的とする体の機能からすれば重大な齟齬になる。
けれど、実際こういうことは多くの人に起こっていて、この不一致によって苦しんでいる人が後を絶たない。

——例に洩れず彼女もそうだった。

「タナトスに愛されたい。人からエロスなんてなくなってしまえばいい。霞を食べて生きていきたい」

大抵の人ならこんなLINEが送られたら「はい?」と困惑するだろう。
まあ、僕もちょっとした。けれど相手は僕が文学をやっていることをよく知っているし、「なんとなく分かってくれるだろう」と思ったのかもしれない。実際、僕はなんとなく彼女が伝えたいことを理解できたので、あらためて話を聞くことにした。

「生き物の命を奪ってする食事という行為に嫌悪を感じていて、けれどそう思いながら食事をしているし、美味しいものを食べたい気持ちはちゃんとある。この思考がサイクルして、少し苦しい」

彼女が語ってくれたことは、要約するとこういうことだった。
不快感や嫌悪感のためにその行為をしたくないのに、生存のための体の機能は正常に働いてしまう。
心と体の矛盾、不一致、齟齬。
彼女はひとまず平気そうにはしているけれど、本当は少しどころかとても苦しいことだと思う。
僕は、居た堪れなかった。こういったことが原因で拒食障害になる人は実際いるし、現代社会においてこの齟齬の問題は大きくなりつつある。
その一方、問題を解消するための場所や機会が十分に整っていないのが現状だ。目に見えていないだけで、取り上げられていないだけで、このような問題は常にそこになる。ほら、あなたの後ろや足元にも。

これを踏まえて彼女が最初に言った「タナトスに愛されたい。エロスなんてなくなってしまえばいい。霞を食べて生きていきたい」という言葉を振り返らせてほしい。
「タナトス」はギリシア神話に登場する神で、「死」を司る。
対して「エロス」は、同じくギリシア神話に登場する神で、「性愛」(=「生」)」を司る。
そう、彼女が言いたいのは「生と死」の二項だ。
彼女はタナトスから恩寵を受けることで、「生存のための身体の機能」という呪縛から抜け出したいらしい。
エロスは「生の欲動」だから、それを失いたいということだ。
では「霞を食べて生きていきたい」とは。
命を奪いたくない、ということだ。
奇しくも宮沢賢治を思い出す。彼もまた自分のなかにある修羅性と自分の意志とのせめぎあいに葛藤していたし、「霞を食べて生きたい」というようなことも言っていた。
そう、彼女の抱える悩みは随分昔から存在していることだった。


「解決できるとは思ってないし、そうするつもりもないんだけどね」

そう言って弱々しく笑う彼女の姿が悲しいほど簡単に想像できた。
今もこの苦しみに懊悩しているのだろう。
僕は、何かできるのだろうか。何もしてあげられないと分かっていながら、そんなことを考える。どうやらこれが、僕の抱えている重大な齟齬らしい。


「タナトスに愛されたい。人からエロスなんてなくなってしまえばいい。霞を食べて生きていきたい」

こんなにも美しい悲痛の叫びを、僕は他に知らない。

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