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学生らしく「思い」を大切に

はじめまして。文科一類2年の曲尾渉です。UT-BASEでは、団体連携部門や高校生向け企画準備、記事作成部門の活動に携わっています。本稿ではまず、僕がUT-BASEで活動する上での原動力となっているものについてお話したいと思います。

それは、大きく分けて二つあります。一つ目はUT-BASEの掲げる理念と自分の理想が一致していることです。二つ目は、この団体で一緒に活動する仲間の存在です。

情報格差に挑む

まず、1つ目の原動力について。僕が共鳴するUT-BASEの理念とはずばり、学内に存在する情報格差を無くすことです。情報格差には二種類あると考えています。『知りたくても知ることができない』というパターンと『そもそも存在すら知らないままチャンスを逃していく』というパターンです。インターネットが普及して、気になったことは検索バーに打ち込めばすぐに出てくる時代、前者のような情報格差は多くは見受けられません。しかし、そもそも興味が向かない情報(後者の情報格差の背景)は、検索バーに打ち込んで調べようとすら思わないので、なかなか巡り合うことができません。むしろ、ネットの普及と引き換えに、新聞やテレビ、雑誌などの種々雑多な情報を含んだマスメディア離れが進んでいる今こそ、自分から積極的に興味をもたない限りは出会えないような情報が増えている、つまり「情報の分断」が進んでいると考えられます。

入学当時の僕にとって、学生団体の情報や大学外の種々のプログラムの情報がそれに当たりました。地方出身で大学に高校の知り合いが一人もいなかったので、履修の登録やその他の手続きに関する情報の収集に忙殺され、学生団体、というものが東大にあまた存在することを微塵も知らず、調べようとすら思いませんでした。

そもそも入学当時は、勉強なんて机の上で完結するものだと信じて疑いませんでした。

しかし、入学から半年たった秋になって、クラスで一緒になった友人にUT-BASEを紹介してもらい、初めて学生団体なるものに入会しました。そこで出会った人たちは、他にもいろいろな団体に所属して、自分の体を実際に動かしながら、仲間とさまざまな経験をし、アウトプットとインプットを繰り返しながら、生き生きと学びを深めていました。僕にとって、「学び」のあり方が一気に広がったブレイクスルーの瞬間でした。こんな機会があったんだ、と驚きの連続で、入学時に学生団体を自分で調べることもしなかったことへの後悔を感じました。

大学入学後のみならず高校時代も、さまざまな「隠れた制約」の中に押し込められていたと思います。東京に来て思うのは、高校時代から部活や勉強以外にさまざまな活動に従事してきた学生がとても多いということ。都会と地方の二項対立に単純に帰着させてしまうのはやや飛躍がありますが、それでも地方の学生にとって、そうした課外活動の機会が相対的に限られているのは疑いようのない事実です。

「隠れた制約」は想像以上に大きく、厄介なものです。知らないうちに多くのチャンスを奪ってしまう。UT-BASEは、新歓活動や履修情報、学部の情報など、東大生の多くが必然的に求める情報を提供し、多くのユーザーの方々を獲得してきました。だからこそ、多くの東大生に情報を発信できる基盤を確立できた今こそ、新たな情報を調べる意欲を掻き立てるような、潜在的な機会の宝庫の存在を発信したいのです。

東大はいろいろな「学び」に満ちあふれています。それを余すことなく伝え、「学び」のあり方の地平線を無限に広げていきたい、「知らないがゆえに選択できなかった」を減らしたい。そうした思いのもと、僕はUT-BASEで活動しています。この思いに共感してくれる方はぜひ一緒に活動しましょう!

最高の仲間の存在

二つ目の原動力は、この団体で一緒に活動する仲間の存在です。UT-BASEは学びに対して貪欲なメンバーが集まっています。彼・彼女らと共に活動することは、自分の視野を広げたり、学びへの思いを沸き立たせりすることにつながっていると確信しています。団体の活動だけでなくプライベートで遊んだり勉強会をしたりすることも多く、アットホームなコミュニティであることは保証できます。

特筆しておきたいのは、メンバーの興味は多様でありながら、個々の思いを尊重し共に同じ方向を向いて走ることができる、ということです。

これこそまさに今のUT-BASEの文化なのではないかなと感じます。互いに刺激を与えつつ、思いやりを持って接することができる。そんな魅力的な仲間と一緒に活動できることも、自分にとって大きなモチベーションになっています。

学生らしく「思い」を大切に

最後に今後の活動について、僕の理想をお話したいと思います。
前述したように、UT-BASEはファミリーのような温かさがありつつ、目標に向かってひた走る推進力を持った最高のコミュニティです。しかし、そんなUT-BASEにも時々閉塞感が漂っていることがあります。

その閉塞感とは具体的にどのようなものなのか?簡潔に言うと、「活動」が「仕事」や「義務」になってしまっていることへの窮屈さだと思います。

UT-BASEは、メンバーに給料が支払われているわけではなく、無償でいわばボランティアワークのような形で運営されています。この団体のみならず、他の多くの学生団体も同様の活動形態を取っています。では、学生はどうして対価をもらうわけでもないのに団体の活動に、時間とエネルギーを注ぐのでしょうか?

その根底にあるのは、自分のやりたいことや好きなことをやっている、という感覚だと思います。好きなことだからこそ熱中できる、理想に向かっていると実感できるからこそ時間やエネルギーを注ぐことができる。それこそ学生団体の醍醐味と言えるのではないでしょうか。

他方、プロジェクトやイベントを他人を巻き込んで進めていくと、役割分担に基づいて責任や義務が生じるのが常です。また、高い理想の達成のためには、理想状態と現状のギャップに基づいて具体的なノルマを設定し、その達成に向けて突き進む必要があります。そうして、理想と程遠い現状に対するフラストレーションや、ノルマが達成できていないことに対する焦燥感、責任意識に飲み込まれてしまうこともあります。

これはある意味で仕方のないことだと思います。しかし、ノルマが生む精神的な負荷を多少乗り越えながらもメンバーが楽しく活動していくためには、それぞれが活動の先にある目標や理想へと近づいている、という充実感を得ることが大切です。ユーザー目線で必要な情報を発信することを続けてきたUT-BASEですが、メンバー自身の「思い」や「やりがい」も、より尊重できるような文化づくりに貢献したいと考えています。

何かをしたい、という積極的な思いが、何かをしなくてはならない、という窮屈な義務感になった瞬間、活動は楽しくなくなってしまいます。消極的な義務感に加えて、後ろ向きな現状認識もメンバーのストレスにつながると思います。つまり、自分の理想やそれに基づいて策定した具体的な目標(ノルマ)を100点満点として、そこから〜ができていない、〜が足りない、などと減点方式で現状を認識してしまう思考法です。もっと加点法的な考え方を取り入れて、少しノルマから心を解放し、何かがしたいという前向きな感情で「活動」に勤しめると理想的だと思います。

最適化も大切ですが、回り道だって尊い。学生らしく、好きややりたいを大切に。

「活動」が「仕事」にならないように、全員が前向きな気持ちで活動できるように、メンバーの「思い」を大切にできる環境や文化をUT-BASEでつくっていく。

こうした議論を年次に関わらずオープンにできる文化がUT-BASEにはあります。メンバーがより生き生きと活動できる最高のコミュニティを目指して、真剣に、そして楽しみながら、熱い話し合いは続きます。読者のみなさんもぜひ一緒に団体の文化を作っていきましょう。



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