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峠の釜めし


残念なことに、私は早起きがそんなに得意ではない。
しかし私はその日、朝早く家を出なければならなかった。
数日前の私は何を思ったか、当時住んでいた八王子から実家がある長野の田舎町まで普通列車で帰るという小旅行を企てた。
無茶でもなんでも、旅は計画を立ててしまった者勝ちだと思っている。

起きたのは出発時間ぎりぎりだった。
それでも普通列車で帰ると決めたのだから、と
慌てて荷造りをして八王子駅行きのバスに飛び乗る。

朝食は駅でパンを買って、電車を待つ間に呑むように食べて済ませた。

八高線に揺られて高麗川まで1時間。
乗り換えて高崎まで1時間半。
さらに乗り換えて横川まで30分。

窓から見える景色は、立ち並ぶ家々から畑に変わり、横川に着く頃には見渡す限り山になる。

ただ長野の実家に帰るだけなら、お昼前に出れば十分だった。
この日朝早く、確か朝7時過ぎに家を出たのには、実は私なりのある「目的」があった。

「ふうん、このルート使うと、横川通れるんだ。久しぶりにアレ、食べてみようかな。」

横川といえば、おぎのや。
そう、峠の釜めし

え?ただ釜飯食べたいってお話なの???

いえいえ、まさか。
私の「目的」は「峠の釜めしを食べること」ではなく、「峠の釜めしのおいしさに感動すること」だった。

11歳くらいまで、私は長野に住んでいた。
それこそ佐久という、少し家から離れた街でも峠の釜めしは買えた。
佐久に出かけた帰りにでも、何回か買って食べたことがあるんじゃないかとおもう。正確に言うと、家族が買って食べていた記憶はある。
ただ、小さい頃の私は本当に好き嫌いが激しかった。
たぶんだけど、釜めしもいろんな具材がのっているから嫌がってあまり食べたことがなかったんじゃないかと思う。
実際に何回か食べていたとしたらもうちょっと味の記憶とか残っていそうなものだけど、見た目は思い出せるのに味は思い出せないから食べていないのだろう。

あれから10年くらいは経った。
食べられるものは格段に増えたし、食わず嫌いもしない。
もう、しいたけやピーマンを避けて食べるなんてこともしない。
中国ではサソリだって食べたしカエルもウサギも美味しくいただいた。
私は10年間で食べられるものが指数関数的に増えたのだ。

もう、峠の釜めしを食べる幸せを全力で噛みしめてもいいはずだ!

そう、横川で峠の釜めしを食べて美味しさに感動するためだけに、8時間もかかるルートで長野を目指す小旅行を企てたわけだ。
※ちなみに新幹線を使えば4時間かからずに着く。

乗り換えのたびに、窓の外に見える景色が変わっていくたびに、高まっていく期待。

ついに横川駅に着いたときのわくわく感といったらもう。

1つ深呼吸をして、軽い足取りでおぎのやに向かう。
引き戸を開けて中に入る。

「ごめんね~、今満席なのよ。そこに名前書いて待っててもらえる?」

・・・!!!

そういうこともある。

店内はさほど広くない。待つなら外だ。
6月にしてはちょっと夏が過ぎる空の下、軽井沢行きのバスダイヤとにらめっこしながら名前が呼ばれるのを待つ。
バス、逃したら次1時間~2時間空くのでかなり深刻。

暑すぎて、少々狂ってきた私は、おぎのやの前の鉢植えをひたすら見つめていた。

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「ちょっと可愛いな・・・。うちでもやろうかなこれ・・・。」
見つめすぎて愛着湧き始めた頃、ついにわたしの名前が呼ばれた。

時計を見る。
今から食べても、バスに間に合う!
勝った!私の勝ち!!!

席に座るやいなや
「峠の釜めし、お願いします。」

あとからメニューを見てみたら、釜めし以外にも色んなメニューがあった。
とはいえここまできて峠の釜めし食べないのも意味が分からないので、峠の釜めしを待つ。
もはやイメージだけが膨らみきって、ワクワクに満たされる私の心。

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ついにきた、峠の釜めし。
紐をほどき、紙を外して丁寧に折りたたむ。
割り箸を割り、後は蓋を開けるのみ。
緊張の瞬間、そろりそろり蓋を開ける。

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わぁ♡

何から手をつけたら良いのでしょう・・・!!
まずはゴボウとか、2つ入っている具からでしょうか?!
結局手前から食べて、最後に卵→杏と食べた気がする。

無言でひたすら食べる。
いや、1人なんでね、なにか話しながら食べているのも不自然ですけれども。
無言で、無心で、ひたすら食べた。

私の中では珍しい、食べ物に対する未練。
きっと、食べて美味しさに感動する前に死んだら、私は成仏できない。
本気でそう思っていた。
たかが釜飯かもしれない、それでも私はこの釜めしを美味しく幸せいっぱいに食べてみたかった。

ただそれだけのために立ち寄った横川。

食べ終わって一息ついて、気がついた。
薄暗く木のずっしりとした重みを感じる店内と、さくさく店を切り盛りする店員さん。お客さんからは笑顔が溢れ、柔らかく温かい空気に包まれている。すごく居心地のいい空間だ。
最高の場所で再び峠の釜めしを食べられたことが嬉しくって、色んな人に「峠の釜めし食べたんだー!」って自慢した。

その日私は、小さい頃苦手だった釜飯を食べた。
「美味しいな、楽しいな。」って声が漏れそうだった。
間違いなく、私は峠の釜めしの美味しさに感動した。

「ごちそうさまでしたー。」

大満足で引き戸を開け、夏休みど真ん中のように蒸し暑い外へ飛び出す。
バスに乗り込み、窓に写る自分のにやけた顔を見つめて余韻に浸った。

きっと峠の釜めしは、この先いつ食べても美味しい。
今度は杏から食べてみようかな。
考えている時間だって、楽しい。
また横川を通るときには、寄ってみようと思う。



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