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2019.11.1 ザ・きょんスズ30の思い出(その1)

コロナ騒ぎがはじまる少し前。11月のある晩のことである。
いつもより早く仕事を切り上げた私は、自宅とは反対方向の列車に乗車し、下北沢駅に降り立っていた。改札を出て、ヴィレッジバンガードの前を通り、北沢タウンホールのところの脇道を抜ける。暗闇に照らされた「ザ・スズナリ」の文字の下に人だかりができているのを見つけ、思わず笑みが溢れる。

この人だかり、月明かりと間違えてネオンサインに吸い寄せられているわけではない。落語界の"きょんきょん"こと柳家喬太郎の30周年企画の記念すべき初日を目にしようと詰めかけたのである。

柳家喬太郎といえば、メディアには滅多に姿を現さないため、知らない人は全く知らない。が、何かの拍子に罠にかかり、そのままずるずるずるずる喬太郎沼に引き摺り込まれていった中毒者は数知れず、一般的な知名度に反して安定の集客力を誇り、全国各地の落語会に引っ張りだこの人気者で、その界隈では知らない者はいない。にも関わらず、普段は競艇場などにいそうな中年男性の格好をしているので、事情を知らない人間は、なんでこのおじさんが、と不思議に思うだろう。

私はというと、落語に関して興味がないわけではなかったが、かなり距離がある感じであった。が、この年の6月に地元の近くで行われた落語会で初めて生で喬太郎の品川心中を聴いたことをきっかけに、7月に渋谷で行われた"実験落語neo"での円丈作品"令和元年はバラ色だった"、上野鈴本演芸場で行われた"引き出しの奥のネタ帳"での"月夜の音"と喬太郎性強めの作品を立て続けに浴び、初めはライトに楽しみたいと思っていたのだが、知らず知らずのうちに沼に足を取られ、完全に溺れてしまっている状態であった。

そんな最中、30周年記念公演が行われる、しかも一ヶ月間、との情報が流れてきた(喬太郎はSNSをやっていないので、一般人のツイートで出演情報などを入手することが多い)。

平成元年の入門以来、早くから頭角を表し、長きにわたって落語界を牽引してきた喬太郎が、令和元年の11月、芸歴30周年をむかえ、下北沢の小劇場"ザ・スズナリ"にて記念公演を一ヶ月間ほぼぶっ通しで敢行するというのだ。題して「ザ・きょんスズ30」である。一ヶ月の間に、さまざまなゲストが登場するが、主役の喬太郎は、各公演で毎回2席披露し、1日に昼夜2公演行う日もあり、素人目に見ても、非常にタフな企画だということは察しがつく。

チケット発売日時を確認すると、平日の昼間であった。普段の落語会でも早々に売り切れてしまう場合がほとんどなのに、今回のような特別企画で、発売開始時間にアクセスできないとなると、とてもじゃないが取れそうにもない、と諦めかけていた。が、その日の朝、偶然、通勤列車に遅延が発生したため、列車内で発売時間にちょうどアクセスすることができ、初日のチケットを入手することに成功した。その後も、各種プレイガイドのキャンセル状況を逐一チェックし、追加で2枚入手し、およそ10日ごとに1回公演を見にいくことができる幸運に恵まれた。 Twitterを見ると1日も取れなかったという人もおり、昨日今日知った自分がとれちゃって、なんかすいません、とちょっとした罪悪感に苛まれた。

そんなこんなで当日を迎えた私は、期待と不安がないまぜになった心境でザ・スズナリの門前に立っていた。近くのディスクユニオンや古書店には何度か訪れたことがあったのだが、こちらの小劇場には縁がなかったのだ。初めての場所には不安がつきものである。意を決して、安アパートのそれのような階段を、カンカンと音をさせながら昇っていく。

階段を登り切ったところにもぎりが2名ほど待ち受けており、チケットを提示する。入り口をくぐるとすぐ、非常にこじんまりとしたロビー的なスペースが広がっており、赤色と黄色の提灯と、真っ白な色紙がずらっと飾られ、1枚だけ喬太郎直筆のイラストとひと言が書き込まれている。1日ごとに白紙が埋められていくのだろう。壁を覆う白紙の数が、今日から1ヶ月間の長い旅路を暗示しているかのようである。円谷プロからのウルトラマン関係と思われるフィギュアの差し入れが飾られているのをみつけてにやりとし、会場に続く入り口をくぐる。

舞台にあたるところには、大きな巻物のようなものが鎮座している。この舞台から客席を見上げるように階段状に椅子が並べてあり、キャパシティは200人入るかどうかぐらいだろう。チケットを確認すると、前から3列目の真ん中のブロックである。ひいい〜、近い、しかもド正面かよ、と始まる前から怖気付く。携帯の電源をOFFにする。BGMはウルトラマン関係と思われる。私より10〜20ほど年上の男女が楽しそうに談笑している。

私のとなりの2席が埋まらないまま、開口一番。柳家小んぶ。喬太郎と同じ柳家さん喬一門の10番弟子だそうだ。「酒に酔った喬太郎に"人のキンタマ舐められる芸人になれ"といわれた。言ってみたかったんです。」と笑っちゃってる顔が印象的であった。

つづいて、本公演の主役、喬太郎が薄黄色の着物を纏って登場。なんか、顔赤くないか?緊張?体調?と心配になりつつ、話し始めたら普通になってきて安心。
「30周年なんて面映いですね。こういうの普通誰かが企画してくれてやるんですけど自分からやるなんて」
あー、それで恥ずかしがってたのか、違うか。
空席を見つけて、「転売に失敗したんですかね」とぽつり。うわ、こっちみられてんじゃん、となりのヤツ、なんで来ないんだよ!
一門には全員出てもらうとのこと。最終日は師匠の柳家さん喬。お願いしたら低めのテンションでオッケーしてくれたそうだ。喬太郎によるさん喬のモノマネで、会場が一気にパッと明るくなる。落語界きっての人気師弟である。
本題は井戸の茶碗。好きな噺だ。柳家さん喬の十八番でもある。侍がお城の窓から下にいる屑屋に話しかけるところで、こちらを覗き込まれているような気がしてドギマギしてしまう。その後も終始自意識が発動して集中できない。贅沢言って申し訳ないが、近すぎるというのも考えものである。

続いて柳亭左龍。さん喬一門の2番弟子で、喬太郎のすぐ下の弟弟子だそうだ。前座の頃喬太郎に厳しくされ、酒の席で「兄さん、包丁にぎりますよ!」と言ったら結構マジでビビってた。師匠の家に8:30にこなくちゃいけないのに大体9時頃来る。酒の匂いさせて。大体寝てて、師匠が来ると働きだす。など、近い関係性だからこそのエピソードを披露。
本題は、いたってノーマルな感じだったのが急に突き抜けたキャラの与太郎がでてきて、不意打ちを喰らう。与太郎選手権があったとしたら最後の方に出てくるやつ。

この辺りでお仲入りだったような。男子大学生風の2人が、私の隣の空席に座る。授業かなにかで遅れたようだ。

仲入りがあけて、柳家喬之助。さん喬一門の3番弟子。ここまでが、さん喬一門第一世代とのこと。素人時代、ル・ピリエというところでやっていた新作落語の会で、客として喬太郎の噺を聴いていた。すごく面白かった。偉そうに感想書いちゃってた。今の行動が後々影響しますよ。学校公演で落語家になりたいと言ってくる生徒。どういうの聴いてるの、と聴くと最初「喬之助さん」というが本当は?と聴くと「喬太郎師匠です。」という。兄弟子の防波堤になっているとのこと。

最後に、喬太郎が再登場。薄ピンクの羽織り。さっきより明らかにリラックスして見える。
「入門当初は寄席にこんなに人来なかった。当時から名人級だった小三治師匠でさえ5割埋まるくらい。志ん朝師匠でないと満員にならなかった。それが今自分が30日間やるなんて、あー!はずかし!」だって。
『恥ずかしい、けどやる。』と、誰かも言っていた気がするが誰だか思い出せない。

昔は落語が好きっていうのはカミングアウトだったとのことだが、私は未だに落語にハマっていることをほとんど誰にも言っていない。落語、というか好きなもの全般に関して話をするのが苦手だ。

大学時代のはなしから、すみれ荘201号。大学生の男女を題材にした新作落語である。
女は男に内緒でお見合いをするが、お見合い相手からはぶっ飛んだ言動が次々飛び出る。バッカじゃないの!と心の中で叫びつつ笑わされた。
東京ホテトル音頭からアンサーソング。最後の方、まさかの別会場の歌声が漏れ聞こえてくる。私はひとり、"小劇場ではこういうことも起こりうるのか"、と妙な感慨に耽りつつ、手拍子に加わるタイミングを失っていた。

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