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大好きなAmazonを辞めて起業するまでの経緯

独立し会社を辞めてから3ヶ月が経った。
起業をするきっかけから最近やっていることまでを備忘録的に記しておく。

小学生〜高校生

両親が知り合いだけを集めたテニスの大会が、僕の初めてのビジネス経験だった。
その大会会場にて出店を開くように、と両親は僕と姉に資金をくれた。
なんとそこで儲かった金額がお小遣いになるというビッグイベントだった。
前日に近所の業務スーパーに行き、1本50円ほどのスポーツドリンクを大量に購入した。
迎えた当日そのスポーツドリンクを100円で売り、手元には小学生1年生の僕にとっては十分すぎる儲けが残った。
この小さな経験から僕の自分で稼ぐという発想は始まった。

小学3年生の頃は各地で品切れが続出するほどヒットしたベイブレードを田舎のオモチャ屋で売れ残ったものを買ってヤフオクで売った。

中学生になるとまだ日本ではマイナーだったAmazonで、業務用コンドームを格安で購入し、ヤンチャな同級生(中学生だったため皆コンビニで買ったりするのに抵抗があった)に高値で売った。

起業を意識したきっかけは高校1年生の時に参加したビジネスコンテスト。ビジネスアイディアを考え、二日間かけて最低限動く形(MVP)を作りプレゼンをする。
僕が出したアイディアは、現地の味を知る人がお勧めする、国内にある海外料理屋の口コミサイトを作るというもの。
ミシュランがプロが採点して星を与えるように、タイに住んでた人が国内のタイ料理屋をジャッジするというものだ。
帰国子女の友人に片っ端から日本で食べれる現地の味のお店を教えてもらい、その店に出向いて掲載許可を貰って、実際に4店舗ほど青山周辺のお店が載っているパンフレットを作った。
結果は全体で2位で悔しかったが、この時に「将来僕は起業するんだろうな」という思いを漠然と持ち始めた。

高校2年生で部活や大学受験などで忙しくなってきた頃、Facebookなどで同い年や年下で起業している人を見かけるようになった。
しかし、自分がまだ何も行動できていないことでコンプレックスを変に拗らせていたため、そういった連中を「意識高い系」と揶揄し、行動していない自分を正当化するようになってしまっていた。
起業家だけじゃなく、頑張っていて結果を出している同級生も憎くてしょうがなかった。変に凄い世界を知ってしまった分、自分をちっぽけに感じていた。

大学1-2年

大学受験は諦め内部進学、ICUに入学した。
このあたりで「行動してる人間コンプレックス」は最大になった。そして、ついに何者でもない自分に嫌気がさして、惰性に通う大学を辞めようと決意した。
その旨をFacebookに書いたところ、数十人もの知人がメッセージをくれた。

メッセージをくれた友人の一人がユウトという同級生で、岩手に遊びにおいでと誘ってくれた。
どうせ辞める大学だし、と授業をサボって会いに行った。
宮城の女川は、知らないこと、見たことないことだらけだった。
「とりあえず行動しておけば面白いことがある」と気づいたので、大学にまた通うことにした。
この気づきは、現在にいたるまであらゆる行動のモチベーションになっている。

大学2年生になり、ユウトの紹介で会ったユリが、メディアでのインターンを紹介してくれた。
インターンは、バイトととは違って毎日が楽しかった。
進んで新しい仕事を引き受けたり、時間のかかる業務を自動化したりすると、褒められた。それが、嬉しかった。
高校生の時にした居酒屋でのバイトでは店長と副店長の若い男に毎日罵倒され出勤中の電車のホームに飛び込んでやろうかと思ったこともあったので、雲泥の差だった。

2年生の終わり、親友のミッツに誘われ、就活予備校のようなところに行った。
ただの説明会と思いきや、その場で試験があった。無事に受かり、入学することになった。

大学3-4年

3年生の頭頃からコロナが本格的に流行り出した。面接は全てオンラインに。
ラグビー部を続けながら就活が続けられてラッキーだった。
特にやりたいことがなかったため、就活予備校で言われた通り、外資系戦略コンサルと投資銀行を片っ端から受けた。
全部落ちた。
最終まで行ったものもあったが結局内定には至らず、疲れて夏に就活を一旦ストップした。

その就活休憩中に「面接だと思わなくてもいいから」と言ってOBOGをたくさん紹介してくれたメガベンチャーがあった。
2ヶ月かけて10人ほど会った後「次が最終面接です」と言われた。
面接だったんかい。
そうして内定をもらって、やる気が出始めた。

その後沢山の会社を受け、もう2社ほどベンチャーからオファーをもらい、就活を辞めた。最終的に100社、200人以上とは面接をした。

ちょうどその頃、一冊の本を人から紹介してもらった。
「僕は君の熱に投資しよう」という、VC(ベンチャーキャピタリスト)の仕事内容について書かれた本。
読んで感動し、VCになろうと決めた。
新卒でVCを募集していた2社の面接を受けたが両方落ちてしまったので、インターンを探した。

大学の先輩経由でツテを見つけ、なんとかVCでアソシエイトとして働き始めた。
小さなファンドで、日本のメンバーは僕と代表の二人しかいなかった。
SNSの運営、起業家のコミュニティへの参加、初回面談、投資検討、雑務など幅広く担当した。
けれど、憧れていたVCの業務をやる中で、投資側ではなく起業家側になりたい気持ちが増していった。
そのファンドにそのまま就職する予定だったが、尊敬していた代表も新卒では事業側だったこともあり、新卒VCの道は選ばなかった。

ちょうどその頃、著名な連続起業家が新しく旅行系スタートアップを初めたのでインターンを募集するというツイートを見かけた。
立場関係なく責任与えて色々な経験ができる、という謳い文句に惹かれ申し込んだ。
300文字のエッセイだったが、倍率が高く受からないと思ったので自己PRをGoogle Slideで作ったURLを貼ったら面接にたどりついた。
オンライン面接が微妙にハマらなかったので、対面で会わせてくれ、と懇願し渋谷のオフィスでプレゼンをし合格した。
採用されたのは4人だった。
後日談で「臼井以外の3人は速攻で内定を出した。最後の一人として、何十人もいたパワータイプの中から、一番マシな臼井を選んだ」と失礼なことを言われた。
そこでのインターンは本当に厳しかった。
何もできない自分に落ち込み、オフィスの下のファミマで一通り泣いてから仕事に戻ることもあった。
何度もやめようと思った。
けれど耐え抜き、社会人としての基礎は身についた。
尊敬する大人にもたくさん出会えた。
代表のシノさんの「点を作り続けなさい、いつか線になるから」という言葉は、あえて辛い道を選び続けた大学生活を包み込んでくれた。
あの日直感で令和トラベルに応募した自分を一生褒め続けたい。

3社でのインターン経験から、就職先として自分が大事にすべきものが明確になっていった。
・D&Iへの取り組みを本気で行っている
・自己投資に回せるだけのお金がもらえる
・平均年齢が低く、出る杭を打つ文化がない
・辞めて起業する際に後ろ盾になるネームバリューがある
・素直でいい人が多い
・その会社以外でも通用するハードスキルが身に付く
・英語を使う機会がある
あたりだった。
自分の内定先はこれに当てはまっているように思えず、辞退してしまった。就職浪人を考えたが、意外と外資は遅くまで募集をしていた。
3社最終面接に進み、上記の条件全てを満たすAmazonを選んだ。

Amazonでの1年半

Amazonには、圧倒的に1位になると決意して入社した。
理由はいろいろあり、インターン時代に教わったことを実践すること、優秀な人に打席が回り続けること、尊敬する起業家の多くが会社員時代に成果を出していたこと、社内の面白い人と繋がること、などなど。

といつつも、最も大きかったのは「お前らが大学時代無意味に飲んでカラオケでオールして授業を寝て飛ばして、メンツ濃いだの優勝だの解像度の低い言葉を使って惰性に時間を過ごすことをエモと言ってる間、俺はずっと一限から授業を受けて筋トレして部活に行きつつひたすら働いてたんた。意識高い系と揶揄されようが、クラブに行ったことないことをバカにされようが、スプレッドシートと睨めっこし続けてきたんや。勝ち負けの以前に同じ土俵に立ってないんじゃ便所コオロギども」
というコンプレックスだった。

Amazonの新卒は基本、Amazonで出品する人へのコンサルや営業配属となるため、研修は出品者用ツールの使い方から始まる。
僕の場合は、入社初日に自らが出品者として登録しAmazonで販売を開始して、倉庫に送ったり広告を回したりとツールを自分の金で触り倒した。
上司の最初の1on1では開口一番に「立ち振る舞いに100点じゃないところがあれば全て行ってください。オブラートに包まなくていいです。全て直します」と伝えた。
社内のWikiの情報が古かったため、Slackチャンネルを勝手に作り社内外の知見を呟き続けた。
優秀と呼ばれる人に片っ端から1on1を申し込んだ。
本や記事で読んだ知見や反省を書きとめ、毎日毎週毎月の目標を決め続けた。
朝5時に起きて12時まで働く日が何度もあった。
土日も誰もいないオフィスに出勤した。
1年目は1度も体調不良などで休まなかったし有給も法的に必要な分しか取らなかった。

それでも、1日も会社に行きたくない、仕事が嫌だと思った日は無かった。楽しくて楽しくてしょうがなかった。
結果的に、営業ではダントツの数字が出た。
オープンに知見を呟き続けたことで部署外の人からも声をかけられるようになった。
色々な部署から仕事の依頼が沢山きた。
新卒にしては驚くほど大きなプロジェクトの立ち上げから責任者まで任せてもらうこともあった。
1ヶ月有給を取って海外に行くことも許された。
とにかく会社が大好きだった。
頑張っている自分も、一緒に働く人も、やっている仕事も好きだった。

そんな中で、ChatGPTに出会った。

AIとの出会い、起業

ChatGPTを初めて触ったときに、自分はこれで起業するんだと直感的に感じた。
ドットコムバブル、iPhoneの流行やWeb3など新しい波が来る時、自分は生まれていなかった or 起業できる状況にいなかった。
チャンスが来たら必ず踏み出せるように、とできることを愚直に増やしてきた。
チャンスは今だ、と確信したのだ。
令和トラベルのインターンの時に出会った友人二人もChatGPTに陶酔していたため、3人で事業を始めた。
世間で流行り始める少し前にスタートしたことでタイミングが良かったこともあり、仕事は驚くほど受注でき、法人登記も済ませた。
3月にChatGPTに出会い、5月に登記を終えAmazonとAI会社を両立していたが、共同創業者と話し合い、全員とも会社員を辞めて新しいAIの会社にフルコミットすることを決めた。

Amazonの上司に辞めることを告げると、引き止めず「いつか辞めると思っていた、頑張って」と応援してくれた。
上司だけじゃなく、本当に多くの人が温かく送り出してくれた。
先輩が送別会を開いてくれて、部署外の人も集まってくれた。
社内で最も尊敬していた上司のブンスケさんは「出る杭は打たれるが、出過ぎた杭は打たれない」と言葉をくれた。
8月末、Amazonを辞めた。

送別会

9月から新会社一本になった。
仕事は大量にあり、驚くほど儲かった。
ガムシャラに、朝から晩まで土日関係なく働きづけた。
その後、詳しくはここで書けないのだが、その会社を辞めることにした。
10月中旬のことだった。

何の迷いもなく、たった1人で起業することを決意した。

Amazonからは、新卒にしては破格の給料をもらっていた。
そして、AIの会社からも十分にもらっていた。
そこから、無一文になった。
夢を追うための起業から、生きていくための起業へと変わった。

現在、Michikusa株式会社代表。

起業自体はとっても簡単である。
役所に書類を届ければ会社自体は登記できるから。
社名を決めて、お役所周りから始めた。
社名のMichikusaは、道草から来ている。

事業内容は、Microsoftが提供するCopilotというAIの研修・導入支援と決めていたためそれに合わせてのタイミングで起業をした。
が、なんとそれのリリースが2024年へと延期された。
そのため、色々な会社の代表に営業をかけてどうにか面談をして、「僕にできそうなことはないですかね?」とひたすら聞き続けることで今は仕事をもらっている。

一人社長になり、人生がガラッと変わった。
まず圧倒的に仕事のことを考える時間が増えた。
Amazonにいた時は沢山仕事をしていたけれど、メリハリは付いていた。友達と遊んだり飲み会に行ったりする時は思う存分楽しんでいた。
それが今では、起きてから寝るまでずっと仕事のことを考えざるを得なくなっている。
当たり前で、考えないと生きていけないからである。
今現在、安定した収入源は一切ない。
どうにか、数万円、数十万円の仕事を営業をかけてさまざまな形で稼いでいる。
今お金があっても、2ヶ月後にお金が入るかどうかは全部自分次第である。
お金のことを考えすぎると不安になるため、最近はあえて楽観視しているけれど、何があっても毎月お金が振り込まれる会社員とは全く違う。

そして、人との関わりの大事さをさらに実感するようになった。
今、仕事の8割くらいは縁でもらっている。Amazonでお世話になった人やたまたま飛行機で隣り合った人など形はさまざまだ。
今まで沢山行動してきたことで得た人との繋がりに、ここにきて助けられている。
そして、経営者はかなり孤独である。
まだ創業して間もないけれど、毎日オフィスに行って同僚や上司と喋るというのは思った以上に自分の心の支えとなっだことに気づいた。
それが今では毎日MTG以外では人と喋ることはない。
朝から晩まで、恵比寿のコワーキングで、誰とも話さず、一人ピーナッツとソフトクリームで朝昼夜ご飯を済ますこともある。
だからこそ、昔からの友人と飲んだりすることや、経営者同士で集まって悩みを共有する時間がかけがえのないもののように感じる。
僕が経営で大事にしていることは何かと聞かれたら即答するのは運、縁、恩、勘である。これは、ICUの尊敬する起業家の先輩にもらった言葉である。

起業してAIをやっていると「毎日楽しいでしょう!いいな、俺も起業したい」と言われることが多くある。
確かに楽しいけれど、手放しに楽しいと言えるほど楽しいことだらけでは全くない。
むしろ、ほとんどの時間はうんうんと悩んでいるし、本当に落ち込んで寝れないようなことや裁判沙汰の事件も既に何度も起きている。
けれど、振り返った時に絶対に後悔しない道を選んでいる自信はある。だから、「楽しいよ、起業してね」と胸を張って回答をしている。

長くなってしまったけれど、自分がMichikusaを建てるまでの経緯を辿ると小学生まで遡ることとなった。
最後まで見ていただきありがとうございました。
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