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定期購読マガジン「アートの探索」をはじめます

こんにちは。臼井隆志です。定期購読マガジン「アートの探索」をはじめます。このマガジンは、ビジネス、教育、福祉などさまざまな視点からアートに関わる「ファシリテーター」のスキルを学びたい人を対象読者にしています。

ぼくのアートワークショップ13年のキャリアを棚卸ししながら、「公開なら書きにくいことも、このマガジンにはどんどん書いちゃうぞ!」という気持ちで綴っていくマガジンです。

価格は月額500円にしました。フラペチーノを飲むぐらいのつもりで、読んでもらえたら嬉しいです。

マガジンの売上は、リサーチ費用に充当します。ぼくはいま親が子連れで楽しめる演劇やダンスの公演を定期開催するプロジェクトに取り組んでいます。そのためのリサーチです。具体的には、書籍代と旅費です。国内外の事例について、文献調査や実地調査を行う予定です。2019年は7月に台北、10月に京都でのリサーチを予定しています。

購読者の方が10人を超えて、希望があればslackかfacebookでグループをつくり、鑑賞した公演や展覧会の感想を安心してシェアしたり、読書会を企画できたりする場をつくりたいと思っています。

開始に先立ち、エッセイを書きました。こんな勢いで、どんどん書いていこうと思っています。

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運命と意志

「この世の出来事は全部運命と意思の相互作用でできているんだって、知ってる?」

この言葉は、舞城王太郎の小説『ディスコ探偵水曜日』で繰り返し出てくるパンチラインで、大好きな言葉だ。恥ずかしげもなく、今日はこの言葉をたよりに、「アートの探索」マガジンをなぜはじめようと思ったのかを書く。

「運命」とはわれわれが出会うもので、「意志」とは出会うものごとを解釈し予測し関わり取り組むこととする。意志は、理性で考え行動する場合もあるが、「どうしようもなく突き動かされてやってしまう」ということもある。「衝動」と似たような意味で使いたい。

人生のなかで、理解困難で見通しが立たないものに出会うことがある。さまざまな困難や謎を前に、拒むか、勇気を出して関わり取り組むか、ぼくたちは選択をすることができる。

たとえば、無理難題を人に押し付けられたとき。または、圧倒的に魅力的な人を前にしたとき。なんだかわからないが強く惹かれるテーマに出会ってそれを学びたくなるとき。

理解困難なものと踊るステップ

魅力的なものにとりさらわれて夢中になるのはとても良いことだと思う。ただ、それでは地に足がつかず翻弄されときに自分を苦しめてしまうことがある。夢中になったその先で、「翻弄される自分」の物語を語り出すとき、少しずつ地に足がついていく。

理解困難で見通しのきかないものに出会ってしまったときでも、宙に浮いて翻弄されるのではなく、地に足をつけて、軽やかなステップで、そいつと踊るように関わっている人を知っている。

しなやかな、強い人だと思う。ぼくもそうなりたくてモガモガしている。

アートの闘いに伸るか反るか

さて、アートである。

アートは理解困難だ。文脈を知っている人はゲームとしてプレイできる。命がけのゲームで、創造に人生を賭ける壮絶な闘いの道である。トップを走るアーティスト、キュレーター、ギャラリストなどはこの闘いにのっている。

ぼくはのれない。それよりも、アートを楽しむ道を選んだ。というよりも、あるきっかけで自分は武闘派ではないことを自覚し、数年前に辞めた。

というよりも、人々が偶然にアートに出会った瞬間が好きなのだ。よくわからないけど夢中になってとりさらわれたのちに、その意味をめぐってステップを踏み始める瞬間が好きなのだ。理解困難なものに翻弄されながら、意志の力で物語を語り出そうとする瞬間がぼくは好きなのだ。

そうやって、理解困難なアートを楽しむ人には創造性が備わっていく。その創造性は、無数の選択肢があふれる、わからないことだらけの世界を、人のせいにせず、意志の力で楽しむ力だ。

アートを遠ざける呪い

一方で、「アートの楽しみ方がわからない」という人は、アートを遠ざける。

「自分なんかが見ていいものじゃない」
「まして感想を語るなんておこがましいことはできない」
「歴史や社会の文脈をきちんとふまえた人が見て、語るべきだ」
「わたしにはわからない。関わらなくていい」

そう思っている人は少なくないだろう。べつにぼくは、そういう人の心を変えたいとは思っていない。ただ、誰にでもアートを見る権利があり、誰もが感想をいだき語ってよいものだと思う。だから、その誤解は修正しておきたい。

「素人がアートを見るな」「歴史をふまえず語るな」という声が社会にこだましている。これを「呪い」と呼んでいいと思う。その呪いを内面化してしまった人が上に書いたようなことを言う。

偶然にアート作品を見て、どうしようもなく心を動かされてしまった人がいるとする。「感想を言葉にして、この心の動きをもっととらえたい」と強く思ったとする。そんなとき、社会にこだまする「呪い」が彼や彼女の口をつぐませ、「私なんかが語るべきじゃない…」と、自分で自分を傷つけさせる。

ぼくが闘いたい相手はこの「呪い」であって、特定の誰かではない。

意志のファシリテーション

アートは、それ自体で人を救いはしない。人を救うのは、アートが受肉している真実とか美とかの意味を、感じ、解釈するその人の心だ。自分なりに関わり取り組もうとする意志の力がその人を救うのだ。だがある種の呪いが、その力をむしばむ。

アートに出会う人々の意志の力を駆動させるのが「ファシリテーション」だ。ファシリテーションは、呪いにむしばまれない空間をつくり、アートを解釈をして言葉にするための足場をつくり、理解困難な世界を軽やかに踊れるようステップを促す。

「ファシリテーション」とは、一般的には会議などで使われる技法で、人々の取り組みを「容易」にすること、そして事がうまく運ぶよう「舵取り」をすることを意味する。

アートに出会う、見る、印象を抱いたり記憶を蘇らせたりする、解釈し意味づけ、語る。こうしたことをファシリテーションは容易にし、なめらかにステップを踏むことができるよう、場を舵取りしていく。

人々がアートを探索する過程を、ひそやかに下支えするのが、アート・ファシリテーションの機能である。こうして人々の創造性を、はじめの一歩から少しずつ備えていくことができる。

「アートの探索」で語ること

このアート・ファシリテーションの技術について、ぼくの経験から書き残していく場を作りたいと思い、ぼくは定期購読マガジンを立ち上げることにした。

現在とりくんでいるアートに関わる活動のことを紹介していったり、その舞台裏で考えていたこと、使った手法、支えられている思想について、書き綴っていく。

購読者の方が増えてきたら、美術や演劇について感想や印象を語るオンライングループをつくったり、アートファシリテーションにまつわる研究会を開いたりしたい。

今月の予定は以下の通り。

1. 演劇にまつわる現在の臼井の取り組み
2. アートファシリテーションを学び続けている13年間のこと
3. 書評:「子どもの演劇体験」
4. 才能の諦め方

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このマガジンは、アートエデュケーターの臼井隆志が、子育てのことや仕事の中で気づいたこと、読んだ本や見た展覧会などの感想を徒然なるままに書い…

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