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私たちは”バイアス”とどう付き合うべきか

「その考え方にはバイアスかかってるよね」という指摘や、陰口とも言える会話がたびたび起こります。

さて、「バイアス」とは指摘によって取り除かれるべき害悪なのでしょうか?

バイアスが問題になるのは、そのことによって誰かが心を痛めたり、不利益を被ったりすることです。

たとえば、ぼくは男性で、育児休業を取得しました。

そのとき、Aさんに「君が休んでる間、他の人がたくさん働くことになるんだよ」と言われました。ぼくはAさんのこの言葉にトゲを感じ、辛い気持ちになりました。

この発言をしたAさんは「男性は育児休業を取らず、他の人の負担を減らすためにとにかく働くべき」という"常識"を持っていて、ぼくは「男性も育児休業制度を使って、子育てと家庭の信頼とルーティンの基盤を作ってから、仕事に復帰すべき」という考え方を持っています。それぞれにバイアスがあり、それを使って生きています。

それ自体は問題ではなく、一方の「常識」を鋭利な言葉に変えることによって、他方の気持ちを傷つけるときが問題なのです。

Aさんにとっては「男性が育児休業を使って何ヶ月も職場からいなくなる」という経験がなく、Aさんの常識の範囲外だったからこそ、ぼくのことを責めたくなる気持ちになったのかもしれません。

ただ、その気持ちはよくわかります。ぼくも、似たように人を責めたことがあります。

あるプロジェクトを一緒に回していたBさんが妊娠し、つわりの重さで仕事が滞ることがありました。いや、今思えば大した滞りではなかったのですが、とにかくぼくのなかに混乱と焦りがあり、「どうしていいか困っている」という気持ちを、苛立ちとともにトゲのある言い方で伝えてしまったことがあります。

ぼくはBさんの妊娠を喜べず、混乱の原因として見なしていました。

そのことについてぼくは精一杯謝りました。Bさんは、今では自分の家族とも仲良くしてくれています。友人の寛大な心がなければ、ぼくは自分を責め続けていたと思います。

さて、ぼくたちがこうして無自覚なバイアスに気づくのは、人を傷つけたときなのでしょうか。

ぼくは人を傷つけるバイアスは変えるべきであり、駆逐すべきだとは思っていません。

そのためには、ぼくは「もしもこうなったらどう思う?」という問いから対話し、今までの「バイアス/ものの見方」を作りかえ、自分たちの中に予測をつくることだと思います。

「もし、こんなことがあったらどう思う?」みたいな感じで、今「常識」じゃないものが「常識」になった世界を想像しながら、その問いから未来をシミュレーションし、予測を立てることができる。これは、ぼくたちが持っている知のあり方の一つです。

無自覚なバイアスに気づき、「もしもこうなったらどうする?」と対話しながら未来を予測する場とは、ワークショップです。

そんな気持ちでもって、ぼくはこのワークショップに臨みます。では。


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