冬が終わってしまうまで

 本当は夏が終わってしまうまでに、というタイトルで書こうと思っていた下書きを、眠たいには眠たいけど、眠るような気分でもない夜に見つけた。誰にだってそんな夜はあるでしょう。社会人はお疲れさま。

 いつも通り特別に書きたいこともない。話すべきこともない。ただ、定期的に散文を長いこと書かないと、駄目になってしまうような気がする。他人には絶対にこんな表現は使いたくないが、とにかく今はそんな気分だ。


 とにかく今はそんな気もちだ。無理に長いこと話すつもりもない。


 あれやこれや、本当にいろんなことがあった。noteにさえ書くことを憚れるような、より適切にいえば書くことが躊躇われるような嫌な出来事がたくさんあった。従兄弟はどうやら大変な目にあったらしいし、僕自身も大変な目にあったのだろう。あまり自分に対して同情的になりたくはないが、それでも敢えてこう書くくらいには、面倒なことがいくつもあった。やれやれ。



 やれやれ、で流せるような時代、人間に生まれたかった。(皆んなも長い文章を書かないか? 読みたい。文の間に人は対等だし、ましてやこんな深夜に何かを読むのなら、そこにもう関係性なんてないだろ? 引き出しの少ない僕の文章だって、きっと誰かの眠る前をちょっとは埋められるのかもしれない)



 冬が終わってしまうのなら、ニットを着なきゃいけない。ビーニも被らないといけない。無理にでも夜にベランダに出て寒い思いをして煙草を吸わないといけないような気になる。感傷的すぎるだろうか。相変わらず人に読ませるような文は書けないし書くつもりもない。眠れない人や、どうでもいい文章を好きな人がこれを読んだらいい。それくらいの気概で皆んな書けば良い。面白かったら僕も読む。




 Twitterのアイコンが苦手でミュートした人、お前そりゃないだろうっていう行動をして情けなくなってミュートした人、シンプルに繋がりの薄さを感じてリムーブをした人、たくさんいる。もちろん悪いことじゃないし、他人のことについてはどうでもいいと感じる人が多数だろう。
 それでも僕は就職を機に京都を離れてしまう他大学の後輩と飲んでみたいものだし、それなりに前に会わなくなったyさんのことを思う。センチではないけど酒で悪くなった頭に咄嗟に思いつくようなことなのだから、気にはしていることなのだろう(やはり定期的にこういった長文を書こうとする機会は必要だ。気もちの整理に大変役に立つ。皆んなも一度やってみたらいい。)





 短歌の調子はまずまず。なかなか連作に取り組めてはいなかったが、最近は意欲の機運を感じるし悪くない気分だ。ただ一日一題という、なかば自己満足的に始めた取り組みに関しては、まったくもって満足していない。そんな歌に票を入れるのか? と思うことは毎日だし、自分の歌に関してもおおよそ満足しないことが頻繁にある。それになんとまあ、一日の間に歌を出して評を入れることがそんなに難しいのか??? これもやれやれ。それでもやるしかない。
 いやまあやるしかないってそんなことはないのだけど、それでも詠み続けることにはきっと意味があり、少なくともどストレート直情現代短歌には無い何かには、近づけていけるような気がする。そんな感じで良い。短歌は金儲けじゃないし、簡単に共感してもらうものでもない。自分を掘り下げる営為に他ならないはずだ。






 良い波に乗っているかもしれない。珍しく、そんなに湧き立つことがない。以前まではこういう機会は滔々と書いていたのだが、今はそうでもない。現実的なタスクに追われているからかもしれない。やらなければならない事がいくつもある。本当に、マジで。やれやれ、やれやれ。








 取り敢えずホワイトデーかもしれない。
 ラジオもやってみたいな。

 エンタメを求め続けるのって虚しくないですか?

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