nikki20220226→0416

 久しぶりにnoteを書く。Twitterにも書いたけれど、出来る限り言葉にまとめないと、自分に去来していった事たちが、まるで何も無かったかのように消えてしまいそうだ。例えばこの前の歌会、「体調的にあまりいい思いをしなかった→次は万全に参加したい→そのためにどうしたら良いか。」このプロセスで僕の思考は進んでいるような気がするけど、信用しきっているわけじゃあない。僕自身。こうして文章に書いた今でさえ、このプロセスの最後の部分が具体的に進んでいるか怪しいものだ。

 つまり何が言いたいかって、なんとなく、が嫌ってことだ。考えた気になってしまって、なんの変化も生めないのが嫌だ。あるいは考えを巡らせたとしても、それを何にも活かせなかったという事実が気に入らない。折角自分が何かを感じて、考えたのだから、やはりそれらはどうにかしたい。そうすることで初めて、自分の身に起こったことや感じたことを、形にして保存しておけるような気がする。

 分かりやすく言うと、多くのことを「なんとなく」に流してしまわないために、楔をつけたい。少し感傷的な物言いかもしれないが、まあ夜中の(あるいは世の中の)20代なんてきっとこんなものだろう。



 まあもうなんでもいいか。取り敢えず親父は死んだ。2021年2月26日。そして一年が経った。今あるのはこれだけだ。不思議とそれだけで、たった今も書こうとして特に書くことがなかった。(まあそれは、彼
{身内、近しい人をこういう指示語で呼ぶのが好きだ。その方が他人のような1人の人間として、捉えられやすいような気がするだ。情が近いと理解に面倒が多い。} 
の好きだったワンカップ大関を飲みすぎたからかもしれない)












 ここからだいぶ時間が経つ。本当に書けることが無かったんだろう。母についての想いは、過去のnoteにもあるように滔々といつになっても溢れ出すが、父に関しては想いが屈折しているのか混沌としているのか、そう簡単に湧いてこない。仕方がない。

 それでもやはり、自分の中味を文章にすることは大切だと思うし、読みたいと思ってくれている人が確かに存在するので、書く。自分のために、書く。

 これからも書く。






 少し短歌のことを書く。知っている人は知っているかもしれないが、1年くらい前から短歌が思うようにいかない。何を書いても同じ主張になる。それ自体は別に悪いと思わないが、何を書いても同じようになる原因が、常に頭の中を常に一つのトピックが占めているためなのであれば、これは結構問題だと思う。
 頭の中に常にいるテーマや悩みが、そのアウトプット先を失ってしまっているような感じがするからだ。要するに、約1年前からある一つの事柄が常に心を占領しているのにも拘らず、それらの発散場所を得ていないのだ。そこに短歌はあまり関係ない。何故ならば、その侵略者に対して僕の短歌は明確な回答を持ち得ないからだ。

 だから今は、自分が抱え続けている想いを表現できる場所を探している。別にそれは3Dでも良い。文章表現である必要はない。もしかしたらこのnoteなのかもしれない。情けないことに皆目見当がつかないのだが、なおざりにするのも性に合わないので、どうにかしようとは思っている。今はそんなところだ。


 表現に困っている。











 このnoteは書きながらにして違和感があった。
 このnoteに違和感を覚えたら、よければ、伝えて欲しい。











 そしてあれから1.2週間が過ぎ、僕は未だにこのnoteを発表できないでいる。なぜだろう。(考えない方がいいこともある(むしろその方が多いんじゃないか?))



 部屋で煙草を吸っている(そういえば1年半くらい前の京大短歌に、僕が部屋で煙草が吸えないと発言したら、呼応したかのように堂々と部屋で煙草を吸い出したYなる人物がいた。彼は自分に話しかけて、自分に話を振って欲しそうだった。無視した。初めて会ったんだ。風体も触りがたい人だった。言い訳だ。言い訳だ。覚えている。映像も覚えている。)
 が、これには小さなルールがあってそれは、真面目なことをするとき・したときだ。ぼくは果たして、しているのだろうか? 誰かが頭にある時の営為くらいは真面目と断言したい。







 三人くらいの旧友と話した。(旧友だ、何があったって、歳が離れていたって同い年だって)さくら、桜が舞う、LINEのトーク画面。


 一人は同い年だ。間違いなく。彼は店をやっている。僕たちは酒を飲んだ。僕が彼に酒を奢るのは初めてだった。そこには色々あった。彼は言った。後藤くんは人の気持ちは分からないと思う。そうだろうか?(そうだろうか)なんとも返さなかった。臨床心理士に必要なことは、人の気持ちを分かることだと思いますか? という疑問文を返した。
 氷が溶けたような時間だった。最終的に、彼の感情的な部分に触れたのだろう。構う、構わない。仕方がない。僕らはだいぶ飲んでた。そうだった。そして紛れようもなく、僕らは友人だ。




 一人は違う歳だ。間違いなく。彼女は店をやっている。僕たちは本の話をした。及び書くという行為について。それは僕らにとって避けては通れない話題で、また避けたい話題であった。センシティブなところが近いからだ。僕は言う。「およそ全ての創作、僕らをめぐれば文章を書くという表現は、人間性・価値観のアウトプットであり、それを感じづらい小説を、僕は好めない。」そうだろう?(そうなのさ) 返事は今、思い出せない。必要もない。どうせ全部巻き戻る。
 氷が溶け始める(初めてじゃない)気がする。こんな文章は卒業制作では認められない。僕と彼女の、共通の知人である子も、こんな思いを持っていたようだった。最終的に、最終的に、僕らは核心に触れなかった。気がする。きっとそうだと思う。そして紛れる。





 一人は違う歳だ。間違いなく。彼は店をやっている。僕たちは煙草を吸った。本当にこれだけだ。もちろんうわべを滑る言葉はあった。でもそれだけだ。僕らの4年の間に真っ当な言葉なんて何度あったろう。(それでいい。これがいい。)(どうしたんだろう。たいして書けない。辿り着けない。)フリーマーケット、勿体ない、更地にする更地にする、継ぎたい、(おくりがなみたいな間だった重なった言葉が示す行方が違った)フリーマーケット、フリーマーケットフリーマーケットフリーマーケットフリーマーケットフリーマーケットフリーマーケットフ将来性がない。
 まだ解けない。もらい煙草を勧めているのはいつぶりか。檸檬の木に揺れない風








 浮かれて落ちるイヤホン

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