孤独な夜

20代前半の頃までは、よく孤独を感じていた。

例えば一口に「切ない」と投げ掛けて誰かに共感を得られても、決してそれは同じ「切なさ」を共有していない。

僕の「切ない」は君の「切ない」と同じではない。

そんな事を考える夜が、よくあった。

その頃、SNSが広まって来ていた時期で、藁にすがるように、この「孤独感」を理解して貰えないかSNSに書き込んだことがある。

それは「ライ麦畑でつかまえて」のトピック内でのことだ。

私は、ある場面に至るプロセスを丁寧に追うことで、「切なさ」と表す個人個人それぞれの感情がぴたりと重なる、いうようなことを書き込んだ。そこに、乖離の無い感情の共有があると。

分かるような、分からないような。

それが、やり取りした人たちの感想で、自分の伝える力のなさに意気消沈した。
というか、今まさに読み返しても、私自身分かるような分からないような、そんな感想だ。

でも、それは、仕方のないことだ。
抽象的なことを、文章でやり取りするのは、とても難しい。

けれど、何か偶然が重なることで、全く同じ気持ちを共有することもあるかもしれない。

インターネット上では、過去にいくらでも遡れる。
今日偶然見たnote

「それが人生の全てです。|做(サク) #notehttps ://note.mu/5ug1y4m4/n/n2b26fa04258f」

私と同じ感情だった訳ではない。
強いて言うなら苦悶した、ということだろうか。

でも、きっと、同じ孤独な夜を、共有した。そう思ってしまう。

私の孤独な夜が救われた気がした。

たまたま開いてしまって良かったです。

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