見出し画像

私は場面緘黙症になって、いつの間にか治っていた。

そういうわけで私は、黄色い金魚時代に場面緘黙症になった。小6まで外では一言も話せず、人前で笑うことができなくなった。声を聞かれたら終わり。笑うところを見られたら負け。面白い場面に出くわしても、絶対に、笑ってはいけない。不意打ちのが来たら下向いて笑いを押し殺す。それが幼い私のルールだった。

場面緘黙症という言葉は数年前、たまたま見たテレビで知った。発症するのは数百人に一人の割合だという。何百人かにたった一人、そう聞いて逆に嬉しかった。もし甘えが原因なら、数百人に一人な訳がないだろう。場面緘黙症として生きるには、甘えどころかよっぽどの覚悟がいる。あの7年は、厳しくて壮絶だったから。

一番辛いのは、国語の時間の本の朗読。当てられて、立たされたら、ジ、エンド。家では普通だから、親が来る参観日や運動会はもう大変。新しいサインペンは古いのと取り替えられ、りんごの皮むき大会では二位の子にわざとぶつかられ皮がちぎれて一位を譲り、隣の席の男の子にお尻を触られ続けても、先生は全く気づいてくれなかった。自分のことを先生と呼ぶ先生方。大人には特に心を閉ざしていった。

画像1

小4の時、教壇のA先生に呼び出され、黒板の前に私一人を立たせた状態で、他の生徒の作文は散々にけなされ、私の作文を賞賛された。注目を浴びた私は失神するほどに恥ずかしく、その日以来、作文は努めて下手に書くようになった。

治ったきっかけはダウンタウン

日曜の晩にやっていた演芸番組でダウンタウンの漫才を見た。青天の霹靂。衝撃的事件だった。当時は今ほどお笑いがメジャーでなく、おじいさんたちが漫才をする演芸番組ばっかりだったような気がする。あの時代、まだ無名のダウンタウンはアウトサイダーで、細い隙間から湧いて出てきたように見えた。友達もいないので、興奮して弟に教えた。「Mくん、ダウンタウン知ってる?むちゃおもろいで。」

今まで「笑ってはいけない」ルールで生きてきたことで、笑い審査力が上達した。結果、漏れ出た雰囲気が友を呼び、学校で一番面白いRちゃんが私と友達になりたいと言ってわざわざ来てくれた。Rちゃんはダウンタウン好きどころか、芸能界で落ち目になったトシちゃんが「これから売れる本」というハウツー本を書いているという内容の4コマ漫画を描き散らしているような、美人なのにすごく変わった子だった。Rちゃんは人気者だったから、Kちゃん面白いねんと言ってみんなに私を紹介した。私が声を出すだけで、笑うだけで、みんな喜んだ。小6の時、学校の劇で、ラーメンを食べたことがないお嬢様の役を演じて私はブレイクした。この件に関して、大人は役に立たなかったと思う。子供たちが私の場面緘黙症を治した。

この12年サイクルの幸運期は一体なんなんだろう

私は24歳の時、大幸運期が来た。まるでハエ取り紙を着ているみたいに、人や物事がバンバン当たってくるような日々だった。とにかく毎日が楽しくて、これは一体何なんだろうと思ったら、トランジットの木星のコンジャンクションだと知った。いわゆる、雑誌の占い的に言うところの、12年に一度の大幸運期。ということは、12年前の、あのめくるめく日々も、木星の仕業だったんだ。性格は変わらないけど、運勢は変わる。木星は、固く閉ざした心を開く。優しさで包む。人に優しくできるようになる。雰囲気や見た目が変わる。結果、人気が出る。ダウンタウン、Rちゃん、木星のご加護。知って、身震いした。これが、私が占星術を勉強するようになったきっかけだ。それと、もうひとつのきっかけ、直接的なきっかけは、トルシエジャパンでフォワードがほとんど双子座だったことだな。

この記事が参加している募集

子どもに教えられたこと

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?