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「休む」って、むずかしいよね


突然だけど、「休むこと」ってむずかしいよね。


ぼくのクリニックには、仕事やストレスの影響で、こころの調子を崩してしまったひとが多く訪れる。
そうした方に「かなりお疲れのようですね。いったんお休みをする必要があります。」ということがある。


レスポンスは様々で

「そんなに悪いんですか」
「でも、明日から行かなくていいと思うとほっとしました」

というように、ショックと安堵を示される人が多い一方で


「休めと言われてもどうしたらいいかわかりません」
「自分だけ休むなんて申し訳なさすぎてできない」
「休んだってどうせ何も変わらない」
「生きるために、休むわけには行かない」


といった困惑や抵抗感があったり、休むことの効能に懐疑的だったり、経済的な事情があったりで
「とても休める状態ではないです」という人も多くいる。


たしかに、休むという状態にもっていくのには、人によってはかなりの覚悟や心の準備が必要だったりする。
「休む」という状態に変化することの不安はとても大きい。
休むべきなのかそうでないのかを考える余裕がなければ、休むという意思決定ができない。


また、無事にまとまったお休みをもらうことができても、仕事に復帰するとすぐまた「心身ともにしんどい状態」に戻ってしまう人もいる。
その一方で、この「お休み」期間のおかげで、人生が変わりました、というくらいに劇的に変わる人もいる。


「休むこと」って、けっこう難しい。
ただ単に、「身体を休める」ことだけじゃない。

このことに深い示唆を与えてくれるnoteが、まつしまようこさんのこのnoteだ。


このnoteをもう何人の患者さんに紹介したかわからないくらいなんだけど、「休むこと」について本当に大事なことが書かれていると思う。

ここに出てくるドクターは、筆者であるまつしまさんに、こう言っている。

「あなたに必要なのは、“遊ぶこと”です。とりあえず遊んで、遊んで、遊びまくって、2週間後にどんな風に遊んだか、教えてください。」


「休むこと」と、「遊ぶこと」がセットになっている。

これは、本当に本当に大切なことだと思う。


「遊ぶこと」というのは、自分の心のニーズを満たすことでもあると思う。
「やるべきこと」「やらなければいけないこと」というのは、自分の心の内側から出てきたものではない。


ほとんどの「べき」は、他人の大事にする価値観がインストールされたもので、そこから生まれる「やらなければ」という気持ちは
ほとんど、「応えなければいけない」と信じ込んでいる他人のニーズだ。


「自分の心のままに欲すること」を満たさずに、「べき」を満たすことだけをやっていると、人は調子を崩すようにできている。


もうひとつ、「休む」という意思決定を、実質的に自分で行うことはほぼ不可能ということ。

心を病むということは、思考力や意志力が奪われるということだ。
「休む」という行動を採用するとは、自分の行動様式を昨日までと大きく変えることになり、そこにはかなりのエネルギーを要する。
心のダメージがある程度まですすむと、そのエネルギーが枯渇してしまうことになる。

医療にかかるような状態になっているとき、自ら「私やばいんで、休みます」という意思決定ができるほどの心の強さや思考力が維持されているケースはほとんどない。


「休みたい」という自分の身体のニーズがあるにも関わらず、それに応えられない。

そうした状態が続くと、どうなるか。

心を麻痺させるようになる。
心の痛みに麻酔をかけるように、いろんなものを感じないようにながら、今の行動様式をなんとか維持しようとする。


いろんな感覚が鈍ってくる。
五感もクリアでなくなってくる。
ごはんの味を感じなくなってきたり、食事を取らなくなる。
そういう状態まで行くと、転がるように悪くなっていく。


思考ができない、エネルギーがない状態では、自力で事態を改善できない。
そういうときには、「他人に頼る」ということが必要になる。
経済的な事情があるときなんか、なおさら思考の整理と環境の整理が必要になる。
最適な意思決定のサポートが必要で、そういうことを一緒に考えたりしている。
医療機関っていうのは、そういう時に使えるサポート先のひとつだと思う。


「うつの時は、重要な意思決定を先延ばしにする」というセオリーがあるけど、それは最善の選択をとるために、思考力をもどすためにもまずはインターバルが必要なんだよね。


というわけで、休むことは難しい。
難しいことを考えるのは、おもしろいし自分のためになる。
だから、休むことについて考えたことを、マガジンという形式にしてはじめたいと思った。


マガジンという安心できるアウトプット先があると、これまでの経験を言語化して整理したり
もっとインプットしてシェアしたいという気持ちも湧いてきやすいとおもってね。


「やすむこと」とは、単に身体を休めることではない。
「あそぶこと」と不可分であり、それは「おもしろい」とか「ゆたかになる」こととつながっている。

「余白をもたらすこと」とか「心が自由になること」「主体性をとりもどすこと」につながっている。


そう考えると、このトピックを考えた先の答えは、本当にいろんな形があるんじゃないかなあと思って、面白そうだとおもったので、とりあえずはじめてみることにした。


「休むこと」で困っている人、苦しんでいる人は、けっこういる。
どんなことで苦しんでいるかを知ることは、僕の仕事の役に立つことでもあるので、質問なんかもいっぱいいただけるとありがたいのです。


これはマガジンを購読してるかどうかにかかわらず、広く募集します。
これを見た旨を添えて、僕のツイッターのDMにください。

やってみないとわからないことはあるけど、ひとまずお付き合いいただければ幸いです。


よろしくおねがいしまーす。

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