「走りを楽しむ」という概念

1人でJOGをしているときに、ぼぉーっとしながら過去を振り返ることがある。

あのとき、こうしていたら、どうなっていたのかを想像するのだ。

過去を変えることは、もちろんできないのだが、もう一度やり直せるとしたら、もっと走ることを楽しむことができれば良かったと思っている。

というのも、私は学生のとき、なかなか思い通りに走ることができないことがあった。
思うように力が発揮できない。
走ることが苦しくて、辛いときだった。

それを、そのときの指導者に相談してみたことがある。

「今の自分は、走ることを楽しめていません。」

そのとき返ってきた答えは、「楽しむ」ことよりも、「目的を達成するために何をするか」を優先すべきではないかというものだった。

遊びで走っているわけではないのだから、結果を出すために何をするか。
そこに、楽しいとか、楽しくないという概念は必要ないのではないかという考え方だった。

ぐうの音も出なかった。

「楽しむ」ために走っているわけではなく、競技者として、結果を出すために、強くなるために走っている。

それがアスリートだと思っていたからだ。

ただ、そういうスタイル、考え方をベースにして走ることは辛いことや苦しいことが多くて、なかなか思うようにはいかなった。

そういう状態だと、走る前から億劫になることばかり。
特に苦手なトレーニングに対しては、前向きになれなかった。

当然、そんな状態でトレーニングに臨んでも、自らにプラスに作用するものはほとんどない。

やはり、トレーニングに対してどのような課題を持って臨むのかというのはとても大切なことであり、レベルアップのきっかけというのはそんなところに転がっているものなのだ。

だからこそ、「走りを楽しむ」ということを疎かにすべきではなかったと思っている。

もっとも、当時の私は、「楽しい」という概念さえもよく分かっていなかった。

「楽しむ」という概念は、人によってもそれぞれ異なるが、アスリートにとっての「楽しむ」という感覚は、レベルの高い状態にあると思う。

ただ、アドレナリンが出て高揚している状態を「楽しい」と感じるビギナーの「楽しい」とは、少し違うのだ。

いろんなことが分かってきて、要領が掴めてくると、自分のコンディションやレースの流れをコントロールすることができるようになる。

多くのことをコントロールできるようになると、プレッシャーや緊張感に飲み込まれない余裕が持てる。

その「余裕」こそが、「楽しむ」と同義だろう。

心に余裕を持つことができれば、周りに流されることも無くなるし、先手を打つこともできるし、自分自身の能力を制限していたリミッターを解除できるのだ。

逆を言えば、心に余裕を残せている状態でなければ、人間の脳は最高のパフォーマンスを発揮することができない。

だからこそ、「走りを楽しむ」ことが大事なのだ。

これは、社会人になって、今の環境で走っているときに感じたことだ。

「結果を出さないといけない」と思うと、どこかで苦しくなる。
窮地に追い込まれたとき、それをどこかで楽しむ。

そんな心構えが必要だったと思う。


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