プロフィール写真をどこまで盛るか

現在、ランナーのSNS利用率は、ほぼ100%に近い。

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少なくとも私の周りでツイッターやLINE、フェイスブック等のアカウントを持っていない人はほとんどいない。

これらのサービスでは、ユーザー判別のために、プロフィール写真を登録する権利が与えられている。

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プロフィール写真は、ユーザーの第一印象を決定付ける顔のようなものであり、ユーザーのセンスによって様々な画像が選定されている。

しかし、あるとき私は気が付いた。

プロフィール写真が、本人の顔よりも、「盛られて」いないだろうか?

信州人なら「盛る」と聞いて「ご飯を盛る」という言葉を思い浮かべるかもしれないが、今回の「盛る」はその「盛る」ではない。

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「盛る」にも、いくつかの意味がある。
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も・る【盛る】[動ラ五(四)]
1 物を容器に入れて満たす。
2 積んで高くする。積み上げる。
3 薬剤を調合する。また、それを与える。特に、毒を飲ませる。
4 あるまとまりの中に別のものをもりこむ。
5 秤(はかり)や物差しなどの目をきめてしるしをつける。目盛りをする。
6 俗に、化粧を濃くする。また、大げさに言う。
7 酒を飲ませる。
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このように、辞書にも記載されているわけだが、今回の「盛る」は言うまでもなく6である。

巷で、これだけ「盛る」ことが普及しているのは、紛れもなく写真加工アプリの存在が大きい。

写真加工アプリが、顔写真にどのような技術により補正をかけているのかは、私にはよく分からないが、次のような効果があることが分かった。

・肌の色を明るく(暗く)する
・ニキビや毛穴を消す
・顔面のパーツの位置を調整する
・目を大きくする、黒目部分を大きくする
・髪の毛を補正する
・顔のサイズを小さくする
・下半身のラインを調整する

これらは、多くの人々の願望である。

実際にこれらのスタイルを手に入れるためには莫大な時間、お金、努力が必要なのだが、アプリはそんな願いを簡単に叶えてくれる。

それは虚構かもしれないが、生まれながらにして経済格差、学力格差、恋愛格差がある中で、努力ではどうにもならないことだってある。

そんな現実を理解して受け止めているからこそ、せめてデジタルの中だけでもと思って、このような技術に惹かれてしまうのかもしれない。

ただ、何でもかんでも盛ればいいというものでもない。

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こちらは、私の自撮り写真(オリジナル)であるが・・・

例えば、とことん盛った画像をプロフィール写真に選定したとしよう。

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私のことを知らない人だったら、「おぉ、思っていたよりキレイ」と思うかもしれない。

しかし、SNSの世界では、会ったこともない人と繋がることもあれば、いつも顔を合わせている友人とも繋がることもある。

もし、いつも顔を合わせている友人が、とことん盛ったプロフィール写真を見たらどう思うだろうか。

「何だこいつ、ヤバいな・・・」

そうなってしまう。

「過ぎたるは及ばざるが如し」という言葉のとおり、どんなことでもやり過ぎてしまうのは不足していることと同様であり、いいことではない。

何でも、ちょうどいいところで自制できる人こそが優れた人である。

では、どのくらいが適切なのだろうか。

これが結構難しい。

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一番無難なのは、盛っていることが気付かれない範囲内で盛るというものだ。

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このくらいがちょうどいいだろう。

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ここまでいくと、明らかに不自然だ。
もはや、ダルシムである。

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この写真も同様で、写っているのはただのおっさんである。

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少し肌をキレイにするくらいにしておけばいいものを、

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調子に乗って盛りまくると、トイストーリーみたいになってしまう。

明らかにおかしいわけだが、SNSの世界ではこのような加工は日常茶飯事である。

しかし、いくらiPhoneの中の私の肌がキレイになったり、顔のパーツが大きくなったりしても、その画面を見る私の肌は荒れたままであり、顔のパーツは小さいままである。

いくら加工が上手くなっても、所詮はデジタルの中での姿であり、現実の世界では何も変わっていない。

真実はいつもひとつ!

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名探偵コナンも日頃から、そう言っている。

世の中は無慈悲だ。
残念なことに、「人を見た目で判断してはいけない」という言葉があるように、人は見た目で判断されてしまう。

では、顔の良さが全てなのか?
結局は生まれ持ったもので、人生は左右されてしまうのだろうか?

いや、それは違う。

確かにイケメンや美女であるということは1つのアドバンテージになると思う。

しかし、それを凌ぎ、この世で最も価値のあることは、理想の姿に近づこうとするための努力である。

ダイエットでもいいし、筋トレでもいいし、もちろん走ることでもいい。

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オシャレな服を買うことでもいいし、美容室でカッコイイ(かわいい)髪型にしてもらうことでもいいし、芸を磨くことでもいい。

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そういう努力をしているとき、人生に希望を感じないだろうか。
モチベーションが溢れてくるだろう。

この世で最も価値のあることは、理想の姿に近づこうとするための努力である。

美しいことではなく、美しくなろうとする努力が尊いのだ。

ゆえに、プロフィール写真は、盛っていることが気付かれない範囲で盛りたいと思う。

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