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舞浜でトリップどころじゃない話

日時不詳、いつかの旅の記録……
夜が始まるのを待ち、友人と☒☒☒を呷って舞浜駅までやって来た。ディズニーは閉園中で駅内の人気はまばらだったが駅前のモニュメントや、園内のホテルのイルミネーションは点灯していた。南口を出てディズニー沿いの細い道を歩きながら友人が、もしこの閉園中にも毎晩パレードをしていたらそれこそ夢の国として本物なんだけどな、とさっそく詩的感情吹かせ始めた。俺はディズニーでの思い出を探って歩くうちに、突然、思い出したくない、しかし思い出さずにはいられない、ディズニーでの出来事を思い出した。それも思えばまだほんの2年ちょっと前の話だ。俺は☒☒☒を呷ったこの状況でこの場所にやって来たのも何かのタイミングだと思い、それを酩酊にまかせて友人に打ち明けてみたくなった。こればかりは素面ではもちろん、自分の体験した限りのどんな酒を以ても話せないことだった。それを今からここに書き起こし、いよいよ世界に公開しようというのは自分でも認めたくない生きづらさの一つを認め、見せびらかすことで少しでも楽になりたいと思うからだ。

ディズニーには、シーとランド含めこの数年で4度も訪れている。うち2度は横にいる友人と、1度は今の彼女と、そして最初の1度は当時の彼女とである。それは私が20歳の時で、それまでキングオブ根暗、ついでにキングオブ猫背の看板を誰にも譲ることなく引っ張ってきた自分にできた初めての彼女だった。その彼女と付き合い始めて3ヶ月経った頃、1泊2日の旅行としてここへ遊びに来た。まだ初々しい童貞野郎だった私は、彼女から旅行に行かないかと誘われて大いに動揺した。具体的に言うと鼻の下が伸びるのを抑えるのに必死であった。泊まんの?それはもうそういうことやんと思ったのは健全な男子として当然のことだった。ですよね?ただし、同時に大きな懸念もあった。私ははっきり言って■■■■■だったからだ。やっぱり全然はっきり言えませんでした。この倒錯は中学時代から自覚していたが、とはいえ裸の女性を目の前にすればなんとかなるとたかを括っていた。特別無理をして付き合ってるわけでもなく彼女を愛していたし、またこれを機に倒錯から抜け出せるかもしれないとも思った。……とりあえず鼻の下が伸びたくらいですから同性愛者ではないことは断っておく……

めっちゃ中略。火山から落っこちたり塔から落っこちたり、日中いろんなものから落っことされつつ楽しみ、日が暮れればそれなりにいい感じになって宿へ向かい、中略、まあ実際、いざ、そういうことになったわけです。なろうとしていたわけです。で ご想像の通り、これがもう全然ダメだったわけです。

15歳の時、家の前で飼い猫が轢かれて死んだ日の次に絶望だった。そして何より屈辱だった。好いているのは本当だったからこそ、それを証明できない自分の肉体が理解できず呆然とした。(勃つのが愛の証明なのか問題はひとまずおいといて)落ち着いて、やり直し…………しかしそれからの記憶はしばらく飛んでいる…………なさけないことに俺は自身の疑念の答え合わせに耐えかね、あまりのショックにそのまま10分ほどぶっ倒れていたのだった。彼女の横で、素っ裸で。俺は屈辱だったが、彼女にとっても屈辱だったに違いない。ふと我に返ると彼女が私の頭を撫でていて、「緊張してたのかもね。また今度ね」と声をかけてくれた。そしてつとめて軽く、「私じゃなかったらみんな呆れちゃうよ」といたずらっぽく笑った。

その気遣いはもう痛いほど切なくて、同時に俺を不安でいっぱいにした。なぜここで俺を捨てないんだ!と自分を忘れて怒りさえ感じ、「また今度」があることが恐ろしくてたまらなくなった。薬を飲もうか迷った。彼女を傷つけたくなければそうして当然だったがしかし、彼女の言ったとおり「緊張してた」だけなのかもしれないじゃないかと思い、そうあってほしくて、
1週間後、またそういうことになった。薬は飲まなかった。それでもう1時間半も格闘して、結果はやはり同じであった。それだけ時間を潰しておいて緊張もくそも無くなってしまい、とうとう俺は自分が裸でいったい何をしているのか、おっぱいが何なのかが分からなくなり、彼女は彼女で一寸法師がどんな話だったかを思い出すような顔になり、俺はいよいよ明確に敗北を突きつけられるに至った。本当に、見事に反応しなかった。(おそらくそれで)彼女は去っていった。俺はもはや清々しいくらいだった。

彼女は被害者でしかなかった、と書こうとして俺は俺の苦しみを考え、(それは俺が悪いのか?)と考えた。彼女はただ不運だった、と俺が書いたら責められるだろうか?俺も、ただ不運だっただけなんだろうか?性的欲求を満たそうとするために、大多数の人間は(いわゆる一般的な)セックスをして満足するものを、社会的に容認され得ない行為や対象でしか満足できない人間は一定数いる。それは当然、研究しまくって斜め上の世界に「自ら」突っ込んでいった猛者を除いて。そんなものは理解できない、頭がおかしいという声に怒りは感じないし、至極真っ当な反応だと思う。ただどうしてそうなってしまったのか、生まれつきにしろ幼少期の環境にしろそれを本人が自ら望んだものでは全然ないことが、こうしてあるのだ。こういう人間も(あなたたちに言わせれば怪物だが)性的欲求の解消という目的は同じなのに、こうも苦しまなくてはいけないのはなぜなんだ、という旨の話を友人にしたのだった。友人にしてみればこれとんだ迷惑だったと思うが、他人にようやく話せたことで少し気が晴れたのも事実だった。今でも薬を飲まないとやっぱり全然あかん。

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一応旅の話ですから戻りますけども……俺たち(というか俺)はそんなディズニーから逃げるように、そそくさと葛西へ続く長い橋を渡った。眼下の東京湾を見下ろすと夜の闇のなかに視界いっぱいの黒いうねうねが目に入り、こんな話の後で俺は暗澹たる気分になった。でかいトラックが背後を走り抜けるたびに足元を揺らし、せいぜい太めの一反木綿ほどしかない俺たちはトラックの風圧に煽られて、この黒いうねうねの中に転げ落ちてしまうんじゃないかと思った。もうだいぶ効いてたので。
舞浜大橋を渡り終えて陸側に寄り、工業工業した地帯を抜けるとこんどは団地群に突っ込んだ。何気なく覗いたゴミの収集所で、俺たちは思いがけず掘り出し物に巡り合った。そう使わないことは分かった上で物欲を刺激してやまないゴミの数々、例えばON AIRと書かれた赤いランプ、アクリル入りの偽サインボール、キャンプで使いそうなスープの器、大量のマッチなど。それを俺たちは喜んで部屋に置こうと持ち出した。自室にはすでに歯の抜けたトイピアノや、麺を湯切りするためのザルなどの拾い物が陣取っているのにである。しょうがないから今は煙草を吸うのにいちいちマッチを擦っている。

団地を抜けると葛西臨海公園に辿り着いた。広い駐車場の中を横切るあいだ、いくつもの照明塔が俺たちをしつこく照らしてついてきた。光に追い立てられるように園内に飛び込むと、こんどは目もくらむような真っ暗闇。
公園はとにかく広く、臨海公園というわりにちっとも海にたどり着かず、しまいには謎の坂を登ると広い丘に出てしまった。丘の向こうに建っているらしいビルは曇った空にかすかな光を残して丘の陰に隠れ、あたりの木々の輪郭をぼんやりとアレした。吹き抜ける風が輪郭を揺らし、静寂の中で悲しい音を立てたのはつまり、俺が悲しかったからだ。丘の上には街灯もほとんど見当たらず、俺はせつねーっ、と二度三度ばかし吠えた。小さな白い花畑のそばにベンチを見つけると俺たちはここに腰かけ、こんどは押し黙って追加の12錠を呷った。時間をかけて飲み下し、煙草に火を点け、吸い終えるまで俺たちは黙っていた。俺は、死んだら一人でここに来るのだと思うと気が楽になった。天国とか別によいのでこうありたかった。どう足掻いても俺は俺でしかないという苦しみは、この孤独の中でようやく慰めになるものだ。

第二波が来るのは早かった。坂を降りる途中で立ち止まり、空を見上げると曇った空一面がぼんやりと光っていて、じっと見つめていると空だと思っていたものが何かとてつもなく巨大な壁の一面であることに気づいた。それはちょうどプラネタリウムの天井のようにこちらに大きく曲がりこんでいて、その覆いかぶさってくるような存在感に思わず足がすくんだ。隠れるように急いで坂を下りる間に、いくつかの街灯の前を通り過ぎた。街灯の柱の造りは手が込んでいて、木の幹を加工したような装飾を施してあった。その作り込み加減にまた見入ってしまった俺はここが葛西であることを忘れ、ここも舞浜の、つまりディズニーの舞台の中なのだと思い込んでしまった。坂を下りきると開けた土手に出て、俺たちはそこに座って何が開けているのかを見きわめた。真っ暗な眼下に大きな池があり、海じゃねえのかよ、その向こうにはまた丘があって、ビルの影はどこにも見当たらなかった。俺はといえばこれもまたディズニーの工作なのかと疑って、判断がつかめずにいた。突然の大自然には感動したのだが、ディズニーがこの心地よいそよ風や、巧妙な遠近法を使えないとも思えなかったからである。そういえば、と俺はまた考え、あの星空だってプラネタリウムの天井だったのを見たのだ、俺はトゥルーマンのように、ディズニーに何もかも演出されているのではないかと考えた。俺は虚構に感動しているのか、気づかないふりをしようか、あーあの彼女も演出であってくれー

あー

それからのことは覚えていない。けっきょく葛西から脱出できないまま朝を迎え、現実に立ち返ったのは広い歩道橋の上だった。海側の空には薄っぺらな観覧車が貼り付いていて、反対側の駐車場の向こうにはゴルフ場の高いネットが見えた。数時間前に見上げた団地といい、無機質で巨大なものに恐怖を感じるのはなぜだろうか。

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