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世界遺産 アユタヤと周辺の歴史地区 主要6大遺跡巡りツアー

うしみです。

アユタヤ遺跡をじっくり見たくて、主要6大遺跡を1日でまわるツアーに参加しました。ツアーは「基本プラン」と「ベテランガイド確約プラン」の二種類。 歴史的な背景等も聞きながら見学したかったので、若干値段が高くなりますが、「ベテランガイド確約」を選択。

早朝 バンコクの滞在ホテルで待ち合わせ。 遺跡ばかり一日見てるツアーは人気がないのか 参加は私一人。

おかげで ガイドさんを独占。ベテランガイドさん(年齢的には若そうでしたが) だけあって、各遺産の詳細な説明を聞けました。 

実際 ちゃんと説明聞かないと どれも同じような廃墟で 何だか良くわからないまま 見学が終わってしまい もったいなかたっと思います。 


アユタヤはアユタヤ朝の都として 約400年にわたり繁栄。 チャオプラヤー川沿の水路に恵まれ かつては東南アジア各地の文化を融合しながら繁栄。タイ文化とクメール文化が融合された美しい都市でした。

1767年、ビルマ軍の激しい攻撃で アユタヤ王朝は滅び廃墟に。その戦いで 徹底的に破壊された たくさんの寺院や仏像が 戦争の悲劇を今に伝えます。


ワット チャイワッタナーラム。 1630年プラサートトーン王が亡くなった母親の為に建立した寺院。

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建築様式がカンボジアのアンコールワットに似ているため カンボジアとの戦争の勝利を記念して建てたとの説もあります。

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他の寺院同様 仏像の東部はビルマ軍に切り落とされてしまいました。首を切り落としたのは 内部に宝飾品を隠していないかを確認していたのもひとつの理由 とガイドさんのお話


ワット ローカヤースッター。 残っている仏塔からアユタヤ王朝時代と推測されてます。 ビルマとの戦争でほとんど破壊され 現在は涅槃仏と仏塔のみが残っています。

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1956年に復元された涅槃仏。80歳で入滅した仏陀を表現してます。巨大!

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後ろに見えているのが 残った仏塔。


ワット プラシー サンペット。 アユタヤ王朝時代アユタヤ王宮の中で最も重要な寺院。こちらもビルマとの戦いで廃墟に。

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チェディと呼ばれる3基の塔には3人の王の遺骨が納められています。


ワット マハタート。 ワットは[寺] マハタートは[ブッタの遺骨] の意味。 13世紀の重要な寺院のひとつになります。

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戦争で切り落とされ そこにあった菩提樹の根元に巻き込まれた仏頭。 今でも 大切に祀られている仏頭。 写真撮影するときは 仏頭よりも自分の頭の位置が低くなるようにするのがマナー。

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修復あとのある仏像。

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戦争で破壊の跡が痛々しい仏像。

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レンガ積みの破壊されてしまった遺跡。


ワット ラーチャブーラナ。 15世紀中頃に当時の王が王位継承争いで亡くなった二人の兄のために建立した寺院。 ワットマハタートの近くにあります。

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最初にこの寺を訪れた王は死ぬという伝説が広がり 歴代の王が誰も訪れなかったとか。こわーい !!

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塔は登れました。


ワット ヤイ チャイ モンコン。 アユタヤ王朝時代初代の王様 ウートン王が 留学中の僧侶が戻って来た時の瞑想の場所として建てた寺院。

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漆喰で作られた大きな涅槃仏。仏像の足の裏にコインを貼り願い事をすると叶うとか。

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大仏塔は勝利の記念塔。誰でも登れます。

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大仏塔内部にある井戸のようなもの。上からコインを落として下にあるツボに入れば願いが叶うと。 私は入りませんでした((T_T))

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アユタヤ王朝時代の寺院の中で 中心から少し離れていたため 比較的破壊が少ない遺跡。アユタヤの遺跡としては珍しく頭部が切り落とされてません。

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大仏塔に登って見える景色。



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ツアーは 日本人町の跡にも行きました。


結果的に プライベートツアーになって あまり時間に追われることもなく かなり自由度の高い遺跡巡りでした。

私が訪れたのは 数多いアユタヤ遺跡のほんの一部。それでもアユタヤ王朝の豊かな文化と 戦争によって破壊された悲しさに 少しだけ触れたような気がしました。

一日中 空の青さが 綺麗だったなあ。。。


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